西澤哲『子ども虐待』(講談社現代新書)より
第1章でも述べたように、世界のどの国やどの社会においても、子どもへの虐待が問題視され、その対応が講じられていく際には、まず、身体的虐待が問題とされ、その後、ネグレクト、性的虐待、そして心理的虐待の順に社会的関心の焦点が移行していくと言われている。
先に述べたように、「性的虐待」の問題に、少なくとも現時点において、日本社会はきちんと向き合っていない。日本が性的虐待の問題をいまだに的確に認識できていないことは、統計にも反映されている。
たとえば、2008年度の全国児童相談所への虐待関係の通告件数の総数は4万2664件であったが、そのうち性的虐待に関する通告は約1324件であり、全体に占める割合は3パーセントで、欧米の先進各国の統計に比べると、日本はひと桁違っている。
かつて「日本人は欧米人に比べて子どもに対して性的関心を持つことが少ないため、日本では性的虐待が少ないのだ」という説明がなされていた、しかし、いわゆる援助交際と呼ばれる現象、子どもに対する性犯罪の現状、子どもポルノの巨大なブラックマーケットの存在などを考えると、この主張は意味をなさないように思われる。性的虐待の通告件数の相対的低さは、おそらく、過小評価とそれにともなう過小報告の結果であると思われる。日本の社会は、いまだに、子どもの性的虐待という問題を的確に認識できていないと言えるだろう。
これも先に述べたが、性的虐待を受けている子どもの年齢別の分布は、欧米では、6歳頃の就学期、12歳頃という二つの峰を持つことになる。また、米国の統計によれば、性的虐待を受けた子どもの年齢分布では、8歳が中央値になる(つまり、年齢が8歳よりも高い子どもと低い子どもが同数いる)。思春期年齢未満の子どもも、かなり多く性的虐待の被害を受けていることがわかる。
これに対して、日本の性的虐待を受けた子どもの年齢別分布は、12歳頃の子どもをピークとした一峰性(単峰性)にしかならない。つまり、思春期以前の峰が存在しないという特徴を示している。
すなわち、日本では、思春期年齢未満の幼い子どもの性的虐待が見落とされている可能性が非常に高いということになる。
後からわかったケースは統計に反映されない
著者は、日頃、虐待を受けて家庭から分離された子どもが多く生活する児童養護施設で、子どものケアにかかわっている。こうした児童養護施設には、家庭で父親などから性的虐待の被害を受けた子どもが多く生活しているが、彼らに性的虐待の被害経験があることが判明するのは、施設に入所して以降であることが多い。むしろ、児童相談所がかかわっている時点では明らかになっていく事例のほうが圧倒的に多い。
しかし、施設入所後に性的虐待がわかったとしても、あとから児童相談所のデータが修正されることはない。したがって、先に述べた児童相談所への通告件数には、事後に判明した性的虐待の事例は反映されていない。
しかも、施設入所後にその被害が明らかになる事例の大半は、子どもが幼児から小学校低学年という年齢帯、つまり、思春期前の被害なのだ。このように、日本では、性的虐待は過小評価、過小報告という状況にあり、また、思春期以前の年齢帯の子どもに特にその傾向が顕著であると推測できよう。
p.112-114
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