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The Reverberator

メモ用

レイプが性行為の一種ではなく、暴力犯罪の一種になったとき

ジュディス・ハーマン『心的外傷と回復』(中井久夫 訳、みすず書房)より

今日という日

私の小さな自然の身体の中に

私は腰をおろし、そして学ぶ──

女性である私の身体は

あなたの身体のように

どの街でも標的となって

十二の歳に

私から奪われた……

私は一人の女があえて立つのをみつめる

私はあえて一人の女をみつめる

私たちはあえて私たちの声を挙げる。*1

 

 

コンシャスネスレイジング運動とともに始まった過程はいくつかの段階を経て公衆の自覚のレベルを高めた。レイプについての第一回の公開スピークアウトはニューヨークでラディカル・フェミニストによって1971年に行われた。最初の「女性に対する犯罪を裁く国際法廷」は1976年にブリュッセルで開かれた。

合衆国においてはレイプ関連法の改正運動が1970年代の中ごろに「全米女性機構 National Organization for Women」によって着手された。10年以内に合衆国50州すべてで法改正が発行した。

これは口をつぐまざるを余儀なくされている性犯罪被害者に口を開く勇気を与える目的の改正である。

 

 

1970年代中ごろに始まったアメリカの女性運動はまた、性的攻撃というこれまでなおざりにされていた問題の研究を爆発的に増加させた。1975年にはフェミニスト運動の圧力に応えて、国立精神保健研究所にレイプ・リサーチ・センターが創設された。(レイプの)研究対象でなく研究を行う側の者としての女性に門戸がはじめて開放されたのである。

通例の研究規則を変えて、センターが費用を支出する「主任研究員」の大部分は女性であった。フェミニストの研究員たちはその対象に密着して仕事をした。

感情的デタッチメントを科学研究の価値の尺度とすることをしりぞけ、自分のインフォーマントたちと自分との間の感情的なつながりを公然と誇りにした。ヒステリーの英雄時代と同じく、長時間の水いらずの個人的面接がふたたび知識の源泉となった。

 

これらの研究の結果は一世紀以前にフロイトがファンタジーだとして斥けた女性の体験が現実であることを確証した。女性および小児に対する性的攻撃はわれわれの文化に広く滲透しており、まさに風土病であることがわかった。

 

もっとも精細な疫学的研究は1980年代初期にダイアナ・ラッセルが主宰して行われた。彼女は社会学者であり、人権運動家でもある。無作為抽出法によって選ばれた女性900人以上に対して、家庭内暴力と性的搾取の体験について深層心理学的な面接が行われた。

結果は恐るべきものであった。4人に1人の女性がレイプされていた。3人に1人の女性が小児期に性的虐待を受けていた。

 

一般に滲透している性的暴力を記録するのに加えて、フェミニスト運動は性的襲撃のインパクトを理解する新しい言語を提出した。史上はじめてレイプを公的な場面で論じる場に加わって、女性たちは当然のことをはっきりとさせておく必要を理解した。すなわちレイプとは残虐行為だということである。

 

フェミニストたちは定義を改めてレイプを性行為の一種ではなく、暴力犯罪の一種であるとした。この単純にみえる定式はレイプが女性の最深層の欲望を満足させるという、当時通俗のポルノ文学から大学の教科書までのあらゆる形式の文書で優勢であった見解に対抗するためにつくられたものである。

(中略)

女性運動はレイプについての公衆の意識を高めただけでなく、被害者に対する社会の新しい反応を引き起こした。1971年、最初のレイプ・クライシス・センターが開設された。10年後には数百に及ぶこの種のセンターが合衆国の各地に続々誕生している。

医学あるいは精神保健システムの枠外に組織されたこれらの草の根機関は、レイプの被害者に実際的、法的そして感情的なサポートを提供した。レイプ・クライシス・センターのボランティアたちはしばしば被害者に同行して病院に、警察署に、裁判所に趣き、人間の威厳を保ち敬意を払われるケアがこれまで大幅に欠如していたので、これが行われるようにと論陣を張った。

彼女らの活動はしばしば敵対行為や抵抗に遭ったけれども、彼女らの活動は病院などの施設内で働く専門家女性をめざめさせる契機ともなった。

 

1972年、精神科ナースのアン・バージェスと社会学者のリンダ・ホルムストロームとはレイプの心理学的結果についての研究を開始した。彼女らはボストン市立病院に24時間待機して、病院の救急部に来るレイプ被害者をいつでもただちにインタビューしカウンセリングを行うことにした。

 

1年間に彼女らが診た数は女性92人、小児37人である。彼女らは心理学的反応に一つのパターンがあることに気づき、これを「レイプ・トラウマ症候群」と呼んだ。

彼女らは女性たちがレイプを生命の危険を覚える事件として体験していることに注目した。襲撃されている間じゅう、殺されるか不具にされるかの恐怖に戦いているのが一般である。

彼女らは、レイプ後の余波期において、被害者が睡眠障害、吐き気、驚愕反応そして悪夢を訴え、また解離症候群あるいは無感覚症候群を訴えることを強調している。また彼女らは、レイプ被害者の示す症状が戦闘参加帰還兵に記載されている症状と共通していることを指摘している。

 

レイプは、フェミニスト運動にとって、日常生活における女性への暴力の代表的な形として最初にとりあげられたものである。理解が深まるにつれて性的搾取の研究は次第に複雑な関係をとりあげるようになった。

暴力と親愛の情とがからみ合って切り離せないような関係である。問題の焦点の最初は「ストリート・レイプ」、すなわち、赤の他人が犯すレイプであったが、それから一歩一歩、知人によるレイプ、デイトにおけるレイプ、さらには結婚生活におけるレイプへと迫っていった。

 

最初は女性に対する暴力の一形態としてレイプに焦点を当てたのであったが、次第に、家庭内の殴打をはじめとする私生活内のいろいろな強制行為の形態に探査の手をのばすようになっていった。

また、はじめは成人女性に対するレイプに焦点が当てられたが、そこから始めても小児への性的虐待をもう一度発見するようになってしまうのはどうしても避けられないことであった。

 

レイプの場合と同じく家庭内暴力と小児の性的虐待についての研究もフェミニズム運動から派生したものである。被害者たちへの救援活動は正統的な精神保健システムの枠外で組織された。もっともフェミニズム運動によって目ざめさせられた専門職の女性が手だすけをしてくれることも少なくなかった。

被害者となったことが与える心理効果についてのパイオニア的な研究は、フェミニズム運動に積極的かつ公然と参加している女性たちによってなされた。

 

レイプの場合と同じく、家庭内暴力と小児の性虐待との心理学的研究は、またしても、心的外傷症候群の再々発見となった。心理学者レノア・ウォーカーは、避難所に逃げてきた女性たちを記述して「被殴打女性症候群 battered woman syndrome」と呼んだものをはじめて記載した。私自身は近親姦後生存者たち(近親姦経験者 incest survivors)の心理をはじめて記載したが、基本的にはそれはヒステリーの19世紀末の観察所見のくり返しであった。

 

 

50年の昔、ヴァージニア・ウルフは「私的世界と公的世界とには切り離せないつながりがある。一方における圧政と隷属は他方における圧政と隷属である」と書いた。今や一方における心の傷は他方における心の傷であることも明らかである。

 

 

p.39-45

 

 

心的外傷と回復

心的外傷と回復

 

 

【関連】

*1:J.Tepperman, "Going Through Changes," in Sisterhood Is Powerful, ed. R. Morgan