The Reverberator

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親分、アッシは「大日本クィア組」のために今年も「周期的な資本主義批判」を一生懸命やりまっせ ~ 「チンピラ・クィア」爆誕

 

ねえ、アレが「チンピラ・クィア」なの?

 

アレって?

 

ほら、あそこで「資本主義におもねり、資本主義に迎合している」とか言ってLGBT団体に詰め寄っている人がいるじゃない。

 

ほんとだ。”まだ”いるんだ。いや、”また”出て来たんだ。

 

なによその言い方。まるでトコジラミが見つかったみたいじゃない。

 

実際、トコジラミみたいなんだよ、あの連中は。

 

やーね、トコジラミみたいなクィアって(なんだか痒くなってきたわw)。で、どんな生態なの、そのトコジラミ……じゃなくて「チンピラ・クィア」って?

 

ま、簡単に言えば、誰でも普通に生活していれば何かしら関わっていること──すなわち誰も「そのこと」を否定できないのをいいことに、相手に「そのこと」におもねっているだの迎合しているだの加担していると詰り、詰め寄り、「クィア馬鹿理論を棒読み」して聴かせ(まあ「リサ=プアのバカの一つ覚えノーマティヴィティ/ナショナリズム」あたりだね、連中、極度にワンパターンだからw)、なんか悦になっている──生態。

 

まるでヤクザが因縁つけているみたいじゃない。だって今時分、資本主義に関わりのない生活をしていると言い切れる人なんて余程の恥知らずの嘘つきか、それこそ、やんごとなき身分の人たちぐらいしか思いつかないわ。結局、あの人たちは、自分たちのことを棚に上げているんでしょう?

 

ご明察。そう、だから「チンピラ・クィア」なんだよ。

 

具体例は? あなたのことだから「記録」しているんでしょう?

 

うん。SNSを「観察記録」としても活用しているからね。ほら、タブレットを見て。これが「チンピラ・クィア」の生態観察記録。時系列にはなっていないけど、この並びのほうがわかりやすいと思う。キーワードは「周期的な資本主義批判」だ。

 

クィアなんちゃら」が散々やってきた「周期的な資本主義批判」というのは、「誰でも、何かをすれば、確率的に、だいたい○○に加担している状態にあるだろうと想定できること」を、「クィア造語で糊塗して、尤もらしく、まるで今、ここで新たに発見したように装って」言ってるだけじゃないか。

2020年10月30日

だいたい「クィアなんちゃら」って散々「周期的な資本主義批判」をしておきながら、自分たちは「日本の雑誌なのに、着飾った白人女性が表紙の高級ファッション誌」の中で「クィア理論の宣伝」をしているのって…どういうことなんだ。あれこそ「1%のためのクィア活動」だろう。#クィア理論のインチキ

2020年10月30日

よく「クィアなんちゃら」が「周期的な資本主義批判」で言ってる「資本主義に絡め取られる」っていう現象がわからなかったのだけど──それは具体的にどう発現し、その状態をどうやって観測し、何とあるいはいつの時点で比較して、そう言えるのか。でもなんとなくわかった。#クィア理論のインチキ

2020年10月22日

「グッチやプラダのことは知らないけれど(私には、そう私ごときには無関係ですよ←これ強調)、高級ファッション雑誌から原稿料をもらいました!」というような発言をする人は、おそらく「資本主義に絡め取られる」という現象を一番よく理解しているのだろうな、という直感が働く。

2020年10月22日

もし大学で学生にものを教えているような人ならば、高級ブランドと資本主義の関係がわからないはずはないし、それを紹介する媒体について知らなければ単純にリサーチすればいいだけのこと(知らなければ、知らないを理由に『Hanada』にも書くのだろうか?)。それをしないのは「それを知ってる」から。

2020年10月22日

「資本主義に絡め取られる」現象って資本主義と親和性のある高級ファッション雑誌がおおらかな心で「バカの1つ覚えのような資本主義批判」を掲載し、クィアな執筆者も「その媒体のことはよく知らない」を言い訳にして、双方「ブランド力」を高めあってる茶番を、見て見ぬふりをすることだと思う。

2020年10月22日

ここでも書いたんだけど、「クィアなんちゃら」あたりが言ってる「資本主義(新自由主義)に絡め取られる」だとか「資本主義(新自由主義)に回収される」だとか何のことを言っているのかやっぱり全然わからないな──何を観測してそう言えるのか。https://t.co/TQ8ImB5sCo#クィア理論なんていらない

2020年10月30日

それに「Netflixのアレを観ろ!」「Amazonプライムで〈あのクィア馬鹿映画〉をやってる!」とか、資本主義に抵抗(周期的な資本主義批判w)とか言っていながら何言っているんだ?

 

だいたいある人(人々)の行為が「資本主義に絡め取られている状態」であるのか「資本主義に絡め取られていない状態」であるのかを、どのような観測によって知ることができるのか? とくに「資本主義に絡め取られていない状態」というのは、そもそもどういう状態なのだろう。#クィア理論のインチキ

2020年10月30日

前から気になっているのは「クィアも歩けば〈資本主義または新自由主義への回収〉にぶち当たる」みたいな「目撃談」がまことしやかに語られていることだ。これってどれほど信憑性があるのだろう。#クィア理論なんていらない

2020年10月30日

知りたいのは「クィアがそこらへんを歩いたとき〈資本主義または新自由主義への回収がなされていない状態〉を観測できる」としたら、その条件は何なのか? 「ああ、これは資本主義(新自由主義)に絡め取られていないなあ、良いことだ」と確信できる条件は列挙できるのか?#クィア理論のインチキ

2020年10月30日

普通に考えれば、「資本主義に絡め取られている状態」を「クィアなんちゃら」が観測したとき、そのときの判断に使用したいくつかの条件を形式的に否定したものが「資本主義に絡め取られていない状態」を観測するための条件になるのではないか。だとしたら二択になる。#クィア理論はセクハラ

2020年10月30日

「高級ブランドで埋め尽くされた紙面が売りの、着飾った白人女性が表紙の高級ファッション雑誌」の中で、「資本主義(新自由主義)に絡め取られるという現象を観測し、それに警鐘を鳴らしていると自画自賛しているクィアなんちゃらの存在」は、資本主義に絡め取られているのか、いないのか。

2020年10月30日

さらに「予備校の広告塔をやってるクィア大学院生」は、「あきらかに資本主義におもねり、それに迎合している」のに、身内のそれを指摘しないで平気で「周期的な資本主義批判」をしている「クィア馬鹿」の存在を知って、本当にショックを受けた😱#クィア理論なんていらないhttps://t.co/7I8gaAC7Gu

2024年2月8日

「相手の罪悪感を利用し」またはそのために「罪悪感を植え付け」──「周期的な資本主義批判」や「〇〇との親和性」みたいに誰もが少なからずそれに関わっているのに殊更「特定の人」に向けて支配しようとするのが「クィアなんちゃら」だと思う。皆さん、気をつけてください。#クィア理論のインチキ

2019年12月31日

 

そもそも人口の数パーセントにも満たない「クィア馬鹿」が念を入れるだけで資本主義を打倒できるのだとしたら、それとまったく同じ論理で、人口の数パーセントに満たない連中の「クィア馬鹿運動」によって性犯罪が増えたり、性犯罪の分布に大きな影響を与えるという口実を正当化させてしまうだろう。

 

 

ほんと、ヤクザが因縁つけているみたいね。「チンピラ・クィア」とは言い得て妙だわ。

 

そもそも「クィア」自体が「ヤクザ組織」みたいなんだよ。「クィア組」とでも言った方がいい。連中の生態は、まさに「カルトの手法」「マルチの手法」「ヤクザの手法」の悪魔的合体から成り立っている。

 

「私はクィアを知り、クィアを名乗ることで救われました」→カルトの手法

「あなたもクィア会員になりなさいよ、ほんのちょっとの修行で多様な人と連帯できる名誉に預けれるから」→マルチの手法

クィアを名乗らないのなら、新自由主義ナショナリズムの落とし前をつけてもらう」→ヤクザの手法

2022年5月4日

これ、何度でも確認しておきたい。「クィア」とは「何の契約」もしていないのに、いつのまにか「そのような契約」をしたかのように既成事実化される。これ、ほんと気持ち悪い。ほんと、カルトの手法、マルチの手法、ヤクザの手法。#クィア理論のインチキ https://t.co/nAm7t90T4T

2022年1月7日

 

やっぱり具体的な観察記録があるんでしょう? その「ヤクザの手法」の。

 

うん。

 

「ボス猿クィア」論法
”「わたしたちの」──と「私たち」を僭称し、身体のあり方を統御する既存の規範に対して「あなたたち」は従順に振る舞っている、と大仰に嘆いて見せる。そして「あなたたち」は……をするのではなかったのか…”
と「他人の自由と責任を拘束」する。 https://t.co/zsTg9cUtR5

2020年8月15日

「ボス猿クィア」論法
”こういう論法で、いつのまにか「私たち」の目的が遡及的に定められ、それがいつのまにか義務のようなものになり、まるで「そのような契約」をしたかのように取り扱われる。つまり既成事実化される” https://t.co/zsTg9cUtR5#クィア理論のインチキ

2020年8月15日

「ボス猿クィア」論法
”そこから「あなたたちは○○するはずなのに、○○していない」という批判を展開し、自分たちを「批判する側」「教え諭す側」「観察する側」「評価する側」等に自然に仕立て上げ、「……」に代入した操作しやすい言葉によって、都合のよい説明をまことしやかに繰り広げる。”

2020年8月15日

「ボス猿クィア」論法
”そうやって他人に付け入り、まるで契約不履行を咎める債権者のように振る舞う。そうした後に「皮肉なことに……は……になっている」と時空を超えた高みからまるで預言者のような神託めいた物言いをする。”https://t.co/zsTg9cUtR5#クィア理論のインチキ

2020年8月15日

「ボス猿クィア」論法
「皮肉なことに……」は「クィア論法の定番中の定番」
”他人の行動を見透かしているかのような物言いで評価し、それによって自分たちの優位性をひけらかす──自分たちは先見の明があり、ずっと以前から「このような」警鐘を鳴らしてた、というわけだ” 

2020年8月15日

 

どこか北条政子の演説を意識しているようでありながら、でも実際は典型的な「ヤクザの手法」「マルチの手法」「カルトの手法」そのものだわw 

 

「ポモ(ポストモダンw)」に免疫がないとコロっといっちゃう人もいるかもね。

 

「親分クィア(ボス猿クィア)」に対して「子分クィア」はどんな感じなの?

 

こんな感じかな。

 

まあ「〇〇〇なんちゃら」も…師匠だか親分だかに弟子だか子分だかが得意げにアピールしているのが一部で物笑いになってる感じだよね──”親分の早口言葉、あっしは全部聞き取れやしたゼ😊”。

ホント、ポストモダンって前近代的。コネと露骨な学閥主義。「仁侠〇〇〇」とでも言いたいくらいだ。

2019年12月29日

クィアなんちゃら」もなぜか国の税金や公金を使って程度の低い文章を量産したり(ネオリベラリズムと親和性がある! ノーマティヴィティだ!)、ペドフィリア擁護を強要したりしているチンピラ・ヤクザみたいなものだよね。絶対におかしい。#クィア理論のインチキ #クィア理論 はセクハラ

2019年9月28日

 

クィアなんちゃら」連中を見ていると、ウルトラセブンの『恐怖の超猿人』を思い出す。最も「子供だまし」な物語だが、 ゴリラ型宇宙人ゴーロン星人(親玉クィア)が、人間を猿人間ゴリー(子分クィア)に改造して地球を征服する、というのがまさにクィア・ポリティクス🤣

 

というか「クィアなんちゃら」自体がカルト宗教だし、ゴーロン星人みたいな「ボス猿」と子分みたいな大学院生が偉そうにしてるし(カトリック譲り?の序列制度)、「クィア理論」はそのための護教神学なんだから、やっぱり「クィア制廃止」だろう。

 

ほんと笑っちゃう。権威主義の塊みたいね、「クィア」って。

 

そうなんだよ。「親分クィア」に絶対服従の「子分クィア」がいて、これが「カタギの、一般のLGBT」に何のつもりか知らないが難癖や因縁をつけてくる──「親分」の下に自分がいるけど、その下に「一般のLGBT」を従え、あわせて「大クィア組」でも形成したいんだろうな。「親分」に命令されたんだか、「子分クィア」=「チンピラ・クィア」のスタンドプレイなのかしらないが、「一般のLGBT」にとっては迷惑でしかない。警察に取り締まってほしいくらいだ。。規範に抵抗し、権威を否定していると触れ回っている「クィア馬鹿」こそが、特定の規範に妄信的に従い、特定の権威に平伏している。そんなことは(クィア以外の人たちは)「みんなわかっている」。「クィア」っていうのは、本当に、グロテスクな生態をしている。

 

それにクィア学会」が潰れたことも、みんなわかっている。でしょう?

 

それについても分析をしたいと思っている。あれは、自分たちが普段していた「批判の形式」を「自分たち自身の向けられた」ことにより、自縄自縛に陥ったんだと(みんな)思っている。「パターン化された批判の形式」は、いずれ「自分たち自身にも向けられる」。だから自分たち自身にはそれを適用しない再帰性の問題だね。

だったら、それを「クィア馬鹿自身」に対して、その「パターン化された批判の形式」を「写像」と見做して、それを鏡のように反射させてみよう、つまり「逆写像」の矢で連中を突き刺してやろうと思っている。

 

あなたが以前、問題にしていた「クィア大学院」も、よく考えれば「チンピラ・クィア」の一形態、または予備軍ね。自分たちのことを棚に上げ、偉ぶって──あんな程度の文章で偉ぶり、その偉ぶり方がまるでガニ股で歩いているような不恰好に一般の人には見えるのに、それに気づいていない鈍感な「生態」が目に浮かぶわw 

 

そうだね。この「自分たちのことを棚に上げる」手法は「クィア馬鹿」全般に見られるけど、とくに「子分クィア、またはクィア大学院生」=「チンピラ・クィア」は脇が甘いこともあって、典型的な「生態」=「事例」が見つけることができる。さっきもちょっと触れたけど「クィア大学院生による予備校広告塔問題と自分たちのことを棚に上げた新自由主義批判」についてはずっと考えている。

 

その話も聞きたいわ。

 

いいけど、そろそろコンサートの時間が迫っているので、その話題は後でじっくりとするよ。「このイベント会場」を通り過ぎれば、NHKホールはすぐだ。今日のベルリオーズの《幻想交響曲》、楽しみだね。

 

あら、あそこでも「チンピラ・クィア」が何か因縁をつけているわ。

 

今年は「このイベント」に「某大使館」が出展していないから、連中、見せ場がなくて、欲求不満なんだろうな。チンケな理由で「アクロバティックな難癖」を付けているのがなんとも痛々しい(笑う)。以下は社会学に対する批判だけど「クィア理論とその仲間たち」にも完全にあてはまる。

”社会に問題がないと、社会学は存在価値を失います。ですから社会学者は自分で問題を捏造し、それを分析、処方箋まで書いてしまいます。古株の新聞記者ならこれを、マッチポンプと呼ぶでしょう。自らマッチで火をつけて、自らポンプで水をかけて消すことをいいます。” 

2020年7月15日

 

 

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