The Reverberator

EFFORTLESS FRENCH

予備校広告塔ノーマティヴィティ ~ 自分のことを棚に上げ、広告的手法に迎合する「クィア大学院生」たちの欺瞞(前編)

下記の内容は、以前書いたブログ記事

「非常勤講師ノーマティビティ」とクィア格差 ∧ 「学歴ロンダ・ノーマティヴィティ」と幸せの筋立て - The Reverberator

の後半部分の続編になります。語り手の「私」の大学院生活が始まりました。

 

 

東棟3階P側303号室。ここが「この大学」で「先生」のクィア研究のゼミが行われる教室。今日がその初日。私は「先生」に「一本釣り」されて「この大学」に進学したものの、まだまだ異邦人のような気分でちょっと迷いながらようやくこの東棟3階P側303号室に辿り着いたのです。ドアの前で立ち止まる。深呼吸をする。もう誰か先にいるのかな。最初に(後でわかるより)自分は他大学から進学してきた(ロンダしてきた)ことを言ったほうがいいかしら……。
緊張しながらドアを開ける。すぐに中から私に向かって声がした「あら?」と。
「なんだカコじゃない」と私は先客に言いました。
カコは微妙な表情をしていました(おそらく私も)。私もカコも「母校」で「先生」のクィア理論上級の講義を取っていました。上級なので数人の限られた(選ばれた)学生しかいませんでした。私たちは見知った中でした。それでもカコが「この大学」に進学するとは知りませんでした(私もカコに知らせませんでしたが)。私は思い直しました。私は「先生」に「一本釣り」されたのではなかった、と。
ドアが開いて「よお」と声が響き、やはり見知った二人の学生が入ってきました。「コムロ先輩にマコ先輩!」私とカコは同時に声を上げました。「英国にいってらっしゃったんじゃなかったのですか?」
「例のロンドン暴動で住んでいたアパートがやられてね。大家もロンドンから離れると言って……」

それで事情を知った「先生」から「日本に戻ってうちへ来ない?」と言われたそうです。コムロ先輩もマコ先輩も私たちと同じく「母校」でクィア理論上級の講義を受けることのできた選ばれた幸運な学生でした。「ハッピーなクィアね」とクィア理論上級コースを取れなかった同級生たちには散々妬まれました、はい。
また学生たちが入ってきました──学生A、学生B、学生C。やはり3人とも「母校」でクィア理論上級を取っていた人たちでした。私はすっかり緊張感がほぐれ、異邦人の気分のカケラも消え失せました。だってみんな知りあいなんですもの。まるで「母校」の小高い丘から──私たちは「アホ山」と呼んでいました──「どこでもドア」でクィア理論上級を取っている学生全員が「この大学」にまるごとワープしてきたみたいなんですもの。


「先生」が教室に入ってきました。ということは「先生」のゼミのメンバーは、私、カコ、コムロ先輩、マコ先輩、Aさん、Bさん、Cさんの7人のみ。「初めまして」の自己紹介はなし。周りを見ながら「先生」はやり手なんだと改めて感服しました。
いつものように、「母校」でのクィア理論上級の講義のように先生のお話が始まって15分が過ぎたころでしょうか。突然、壇上側の、すなわち後ろではなく先生の側の扉が開きました。「遅れてすみません。去年までのクィア・セオリー・アドバンストがボルツマン2Fだったから、てっきり同じ教室だと思って……こっちのファインマン・パス303だったんですね」その学生らしき人物は私たちを見回しながら言いました。
ここは東棟3階P側303号室のはず、この人は何を言っているのか。私はそう思いました。が、すぐ了解しました。ファインマン・パス303は東棟3階P303号室の通称なのでしょう。4年間「この大学」で過ごした学生にとっては通称使用が当たり前──だから私たちを見回しながら(知らない人ばかりねと確認しながら)そのことを強調したかったのでしょう。「S」と、その「ストレート組」の学生は「先生」に紹介され(わざわざ「先生」が紹介したのです!)、後ろの席に着くように言われました。私は、いえ、おそらく私だけでなく「ロンダ組」の学生全員はどんよりとした気分になりました。
私は頬が引きつり、上半身の筋肉が強張り、右足が攣ったような感じになりました──だから右足を横に伸ばしました。「S」は私の伸ばした右足につっかかり転倒しました。「あら、ごめんなさい」私は大仰に言いました。「S」は「いえ、私が不注意だったのです」と何事もなかったように無表情で言い席に着きました。


ゼミでは「S」がしゃしゃり出て──いえ、率先して発表をしました。『インターセクショナリティの解析とその固有値』とか何とかでした。「インターセクショナル」という概念は初めて知りました。私たちの「母校」では、クィア理論初級、中級、上級すべてを通して「リサ=プアのバカの一つ覚えノーマティヴィティ/ナショナリズム」の分析に集中しました。クィア理論の神髄はこのリサ=プアのバカの一つ覚えノーマティヴィティ/ナショナリズム」にあると言っても過言ではありません。私、カコ、コムロ先輩、マコ先輩、Aさん、Bさん、Cさんの全員が「リサ=プアのバカノマ、バカナショ」で論文を書きました。何度もです。私たちは「先生」からクィア理論の「極意」を授けられました。私たちは「バカノマ、バカナショ」のプロであることを自負しています。

「S」はインターセクショナリティを多変数の関数として定式化しました。つまりある変数x(人種だとしましょう)が変化すると(例えば有色に変化したとき)、他の変数はそれに対しどう変化するのか、その変化率を知るためにインターセクショナル関数を微分するのです。したがってインターセクショナル関数のすべての変数(属性、社会的状況)を全微分した値が、そのインターセクショナルの変化率になるというのです。また、ある社会運動Pがインターセクショナルを採用している場合と、別の社会運動Qがインターセクショナルを採用している場合の比較として、インターセクショナルP、インターセクショナルQを行列で表示し、それぞれの固有値を得ることで、インターセクショナルPの方向性(その強みと弱み)とインターセクショナルQの方向性を比較することができると主張しました。その後いろいろと数式を書きながらインターセクショナル関数とインターセクショナル行列の対応関係を述べN次元の「インターセクショナリティ空間」なるものを定義していましたが……話半分で聞いていたので省略します。

勝ち誇ったような満面の笑みを浮かべ私たちを見回しながら「S」は何か質問はございませんかと言いました。誰も何も言いませんでした。私たちは全員曖昧な表情を浮かべお互いを見つめていました。なんだか「S」に見透かされたような気分でした。
私は黒板に書かれた虫のような大量の偏微分記号とやたらとスペースを取る巨大な行列の表記に気味の悪さを感じました。クィア研究は文学部の系列なのにまるで理論物理学の授業ようなありさま……私は何か穢されたような気分になりました。再び私の頬が引きつり、上半身の筋肉が強張り、右足が攣りました。攣った右足を伸ばしました。しかし「S」は今度は私の右足をやすやすと飛び越え後ろの自分の席に戻りました。

これ以降、ゼミの主導権は「S」に握られました。

 

次の日はコムロ先輩とマコ先輩の共同発表でした。発表の前に、お二人は私たち全員に「カップケーキ」を配りました。英国王室ご用達の由緒ある洋菓子ブランドの東京支店から届けられたものでした。今日の発表は少し長くなるから──コムロ先輩とマコ先輩は言いました。それもそのはずです。コムロ先輩とマコ先輩は「母校」でのクィア理論初級、中級、上級で習ったこと「すべて」をこれみよがしに並べてありったけの知識をなにもかも披露していました。私も「カップケーキ」の糖分補給と紅茶のカフェインがなかったら睡魔にやられていたでしょう。
しかしさすがはコムロ先輩とマコ先輩です。それだけにとどまりませんでした。なんとこの差し入れの英国王室ご用達の「カップケーキ」が実はお二人の発表のキーワードだったのです。それはこうです。コムロ先輩とマコ先輩が帰国する原因となったロンドン暴動の後、この英国王室ご用達の由緒ある洋菓子ブランドが英国の復興と国民の連帯を願いテレビコマーシャルを作成しました。CMの前半にロンドン暴動の様子が描かれ、後半は同性婚の披露宴でこのカップケーキを食べる──それが英国の楽観的な未来を表しているというのです。コムロ先輩とマコ先輩はそこに「リサ=プアのバカの一つ覚えナショナリズム」の概念を巧妙に「当て嵌め」ました。すると「バカの一つ覚えナショナリズムとの親和性」が導かれたのです。すごい離れ技です。私は感服しました。こんな一企業のテレビコマーシャルごときから、ロンドン暴動全体が「リサ=プアのバカの一つ覚えナショナリズム」で説明できるなんて! 英国は歴史的に政治学の分野が強く、「英国固有のナショナリズム研究」の蓄積があるというのに、それらを差し置いて「米国人リサ=プア」による〈「米国の」「固有の」ナショナリズム〉で英国史上重要な出来事であるロンドン暴動を説明できるなんて! 本当に離れ技です! 

しかもです。このコムロ先輩とマコ先輩の発表によって、「聖なるクィア理論」を崇敬するどころかバカにしている「主流LGBT」の連中をギャフンと言わせることができる。私はそれを確信しました。私は胸を躍らせました。興奮して鼻息荒く呼吸をしました。「私たちクィア大学院生」は──みんなそう思ったことでしょう──なんてったって「私たちクィア大学院生」は「一般のLGBT」より「ランクが上」、なんですから。なんてったって「私たちクィア大学院生は他人を評価する側」──これは王権神授説みたいなものです。「リサ=プアのバカの一つ覚えノーマティヴィティ/ナショナリズム」は「私たちクィア」がLGBTに対して優位を示すために神から授けられた武器──そうです、「私たちクィア」の矛と盾なのです。私たちはコムロ先輩とマコ先輩に最大級の称賛を送りました。

 

そのときです。よろしいでしょうか、と「S」が立ち上がりました。「S」は野党党首が与党の責任追及をするときのようにコムロ先輩とマコ先輩の前に立ちはだかりました。

今、ネットで調べたところ、そのカップケーキ製造会社のテレビコマーシャルには今回の発表で取り上げられた同性婚ヴァージョンとは別に異性婚ヴァージョンもありました。確認したところ、内容的には、同性婚ヴァージョンと異性婚ヴァージョンの差はありません。つまりロンドン暴動の映像+同性婚〈または〉異性婚の映像で構成されているのです──この可換性が重要です。そしてこのことが意味しているのは、同性婚、すなわちLGBT〈だけ=のみ〉の問題ではない、ということです。コマーシャル映像の同性婚の部分は別の(おそらく任意の)事象に可換できる、ということなのです。それなのに、「リサ=プアのバカの一つ覚えナショナリズム」との親和性導出の際に、異性婚ヴァージョンの存在に触れなかったことは、公正であるべき研究として全く評価できません。

こう考えてください。もし、テレビコマーシャルが異性婚ヴァージョン〈だけ=のみ〉だった場合に「リサ=プアのバカの一つ覚えナショナリズムとの親和性」を先ほどと同じように導けたでしょうか? 

そもそも、異性婚ヴァージョン〈だけ=のみ〉だった場合に「リサ=プアのバカの一つ覚えナショナリズム」を「当て嵌める」動機が生まれたでしょうか? 

もし異性婚ヴァージョン〈だけ=のみ〉だったら、「この発表の変更点」をすべて挙げてみてください。

いいですか、このカップケーキ製造会社のテレビコマーシャルは「異性婚」と「同性婚」が鏡像のようになっているだけで、後はまったく同じです。だとしたら、鏡像変換において──すなわち異性婚ヴァージョン〈だけ=のみ〉だった場合において、「リサ=プアのバカの一つ覚えナショナリズム」が成立するかしないかは重要です。もし、「鏡の世界」で、それが成立しないのだとしたら、「リサ=プアのバカの一つ覚えナショナリズム」と対になる「もう一つの、鏡の世界で成立するナショナリズム理論」が必要です。鏡像変換に対応していない理論なんてありますか?
それ以前にコムロ氏とマコ氏の発表で気になるのは、おそらく異性婚ヴァージョンの存在も知っていたであろうに、それにもかかわらず、導出の前段階で同性婚ヴァージョンのテレビコマーシャルの映像を大々的に引用していることです。これは同性婚ヴァージョンしか存在しないという印象操作としか思えません。同性婚に対する何かしらの印象操作としか思えません。もっと言えば、「リサ=プアのバカの一つ覚えナショナリズム」を「当て嵌める」ための、そのための〈事象〉の〈変形〉です。

もし私がこのカップケーキ製造会社のテレビコマーシャルを問題にするとしたら、それは、なぜ異性婚と同性婚の二つのヴァージョンがあるのか、です。「その使い分け」にはどんな意味があるのか、そもそも二つのヴァージョンが必要とされた社会背景は何か、です。研究者を志す私には、「何かに当て嵌めれば」(当て嵌まるようにt都合よく〈変形〉すれば)「自動的に期待通りの回答が得られる」ような研究なんて「あなた方と違って」面白いとは思えません。それは「その想像力の範囲を著しく飛び越える研究」であるはずがありません。「何かに当て嵌める」ことは問題を単純化することです──問題を「丸投げ」することです。「何かに当て嵌める」ことは、それに「当て嵌まらないもの」を予め消除することです。コムロ氏とマコ氏の発表で、テレビコマーシャルの異性婚ヴァージョンが省略され、同性婚ヴァージョンの映像が不自然なほど異様に過剰に執拗に切り取られ引用されたのは、それこそ、〈事象〉を「リサ=プアのバカの一つ覚えナショナリズム」を「無理に当て嵌める」ことから必然的に要請された〈変形〉なのではないでしょうか。

また、コムロ氏とマコ氏は気がついているのかわかりませんが、「リサ=プアのバカの一つ覚えナショナリズム」とは、アメリカ帝国主義を支える例外主義の新たな形態のひとつに位置づけた〈「米国の」「固有の」ナショナリズム〉です。「アメリカ帝国主義を支える例外主義の新たな形態としてのナショナリズム」が必要条件なのではないですか? それに対し、ロンドン暴動という英国の出来事に対し「バカの一つ覚えナショナリズム」が発見されたということは、コムロ氏とマコ氏は意図せずにリサ=プアの理論に対し反例を提出したことになりませんか?


コムロ先輩とマコ先輩が最初に述べたように、今日の発表は予定より大分時間が過ぎていました。Aさん、Bさん、Cさんはこの後予定が入っていると言っていました。コムロ先輩とマコ先輩はこんなに「舐めるように」問題を指摘されるのは初めてだったらしく、発表原稿に「S」の指摘をメモするフリをしながら心ここに非ず呆然としていました。コムロ先輩とマコ先輩が「母校」のクィア理論初級、中級、上級で習ったこと「すべて」をこれみよがしに並べてありったけの知識をなにもかも披露したことが仇になったようです。「S」はコムロ先輩とマコ先輩の発表内容の問題点を、まるでコンパイラーがシンタックスエラーを逐一吐き出すように、表情一つ変えず淡々と機械的に容赦なく「エラー」を弾き出していきました──これはそもそも論理的なレベルのエラーなんですよとでも言いたそうに。「先生」はそんな「S」を遮ることなく、むしろ学生の主体性を尊重するかのように、じっと黙っていました。私はそんな「先生」の悠然たるお姿に改めて感服いたしました。
ついに警備員の方が見えて、申し訳ありませんがファインマン棟は消灯します、ボルツマン棟の1Fならば24時間使用できる教室があります、申請書を書いてそちらに移りますか、と言いました(通称使用でした、念のため)。
「先生」は私たちを見回し、私たちの意図を汲み取り、「いえ、今日は終わりにします」と言いました。


駅に向かう途中、マコ先輩はコムロ先輩の胸に顔をうずめ泣いているようでした。Aさん、Bさん、Cさんは「自分たちは……やっぱり向いていないかな、この大学」と、まるで三つ子のように揃った動作で同時に言いました。Aさん、Bさん、Cさんは「だんご三兄弟」とか「金太郎飴トリオ」とか言われていたことを思い出しました。Aさん、Bさん、Cさんの得意技はやはり「リサ=プアのバカの一つ覚えノーマティヴィティ/ナショナリズム」で、3人とも「非常に似通った論文」を提出することで知られていました。まあ、「リサ=プアのバカの一つ覚えノーマティヴィティ/ナショナリズム」を「当て嵌めれ」ば当たり前なんですが。「先生」も「君たちの論文は金太郎飴みたいだね」と冗談交じりに言っていたようです。でも、Aさん、Bさん、Cさんは、それを好意的に受け止め、「私たちは金太郎飴クィアなんですよ」と自虐的に自称していました──「クィア」と同じく「金太郎飴」という言葉をリクレイムwしたようです。ただ、その「金太郎飴戦略」が功を奏したことが「クィア研究業界」の面白いところです。真面目一筋のAさん、Bさん、Cさんはそれぞれ一人で「リサ=プアのバカの一つ覚えノーマティヴィティ/ナショナリズム」型の論文をなんと20本も書きました。3人の合計で60本の「金太郎飴的クィア論文」が「量産」されたことになります。これはすごいことですよ。このリサ=プア型論文の「量産」が「クィア学会」の発展に貢献したことで、「先生」に「この学校」に呼ばれたのです。Aさん、Bさん、Cさんはとにかく愚直なので、これからも「リサ=プア型クィア論文」=「金太郎飴クィア文章」を「量産」して「クィア研究業界」の発展の貢献していくことでしょう。ただ、聞いたところによると、現在の「クィア学会」は何か揉め事が起こっているらしく、「先生」はいち早く学会との距離を取ったようです。


私たちが夜道を暗い気持ちで歩いていると、カコが私に言いました。「今度はあなたの番ね」と。そうです、次の、来週の発表は私が担当なのです。カコは私に何かできることがあったら遠慮なく言ってね、と私の顔を見つめ、反対側のホームへ行きました。今まで近くでは気づきませんでしたが、白い地に水玉模様のカコの服は、向かい側のホームから全体を見るとカルピスの包み紙のようでした。

 

前編終わり

 

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