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非常勤講師ノーマティヴィティ Part2、あるいは男性がジェンダーやフェミニズム領域のポストを狙うことへの不信(クィアならいいのか?)

 

以前、クィア理論の信憑性の問題で、非常勤講師ノーマティヴィティという解析ツールが提唱されました。これは、うだつのあがらないクィア大学院生のアンチョコとして知られている、リサプアのバカの一つ覚えノーマティヴィティの原理的なロジックを検証するために、有志のエンジニアによって開発されました。


最初に、解析ツールとしての非常勤講師ノーマティヴィティというものが、どのようにして構成されているのか、軽くおさらいしておきましょう。簡単に言えば、写像写像です。写像というと難しく感じますが、簡単です。

 

まず、リサプアのバカの一つ覚えノーマティヴィティを使用しているクィアなんちゃらを探します。そのクイアなんちゃらは、バカの一つ覚えノーマティヴィティを、何かにあてはめて偉そうにしているのですぐに見つかります。リサプアのバカの一つ覚えノーマティヴィティを棒読みして、何か言った気になっているので、ドヤ顔のクィアを見つければいいのです。この、対象となるクィアなんちゃらがバカの一つ覚えノーマティヴィティを何かにあてはめている、というのが最初の写像になります。

 

ここで私たちの目標を確認しておきましょう。私たちはクイア理論の信憑性を問題にしています。ですから、私たちがすべきなのは、検証です。リサプアのバカの一つ覚えノーマティヴィティの検証です。

 

それはどうするか。簡単です。バカの一つ覚えノーマティヴィティを、それを使用している人物に対して、またはその周辺に対して、まさにクィアなんちゃらがそうしているように、クィアなんちゃら自身の写像を使って、クィアなんちゃら自身に対して、あ、て、は、め、て、みればいいのです。実際の、オリジナルの、リサプアのバカの一つ覚えノーマティヴィティを知らなくても、私たちには、クィアなんちゃら特製の写像があります。この特製の写像をクイアなんちゃら自身に、鏡の反射のように、向きつけるのです。これが写像写像の意味です。

 

これはバカの一つ覚えノーマティヴィティだけではなく、他のクイア理論、例えばピンクウォッシュなどにも有効です。


では、非常勤講師ノーマティヴィティの構成を見てみましょう。例えば、ある大学で非常勤講師の人たちが専任講師と同じ待遇を求めて行動しているのに、ある非常勤講師がその大学の専任講師の公募に応募したとしたらどうでしょう。非常勤講師と専任講師の間の格差を温存したままで、自分だけが専任教師になる。すべての非常勤講師が専任講師と同等の身分になっていない現状に挑戦せず、他の非常勤講師の人たちを置き去りにして、自分だけが非常勤講師の身分を脱し、正規雇用の専任講師の身分になろうと目論む。


これは、まさにリサプアのバカの一つ覚えノーマティヴィティの要件を満たしています。このロジックが、リサプアのバカの一つ覚えノーマティヴィティの核なのです。そしてこれが、リサプアのバカの一つ覚えノーマティヴィティを、それを使用しているクイアなんちゃら自身に逆写像することが、私たちの非常勤講師ノーマティヴィティと言うツールのアルゴリズムになっています。


ただですね、そしてここが重要なのですが、現在のバージョンの非常勤講師ノーマティヴィティのアルゴリズムは、雇い止め問題という具体的な事件を条件にしていますが、その条件をなくして、もっと一般的に作り変えることも可能です。


つまり、ある人物がリサプアのバカの一つ覚えノーマティヴィティを使用していなくても、非常勤講師と専任講師の間の格差を温存したままで自分だけが常勤講師になる、という条件だけでも構成できる。事実、クィア大学院生あたりが棒読みしているリサプアのバカの一つ覚えノーマティヴィティの主張をよく整理してみると、それって何とでも言えるね、万能マシンだよね、という感想しかありません。もちろんその場合は、その何とでも言えるような写像を使用しているので、「何とでも言える」は、「誰も彼も」という写像として変換されます。つまり、常勤職を目指す非常勤講師であれば、誰も彼も、非常勤講師ノーマティヴィティに抵触しているとして告発されてしまうことになる。

それは妥当なのでしょうか。

それはおかしいのではないかと思った皆さんは、オリジナルのリサプアのバカの一つ覚えノーマティヴィティが、もともとおかしいのではないか、それこそ何とでもいえるような仕様になっているのではないかと気づいてほしいですね。


さて、今回私たちは、以前構成した非常勤講師ノーマティヴィティをもとに、新たなバージョンの非常勤講師ノーマティヴィティ、つまり非常勤講師ノーマティヴィティパートツーというものを構成したいと思います。ロジックは同じです。だから簡単に作れます。

なぜ非常勤講師ノーマティヴィティパートツーというものが必要なのかというと、すべての非常勤講師の人たちが専任講師と同等の身分になっていないのに、自分だけ専任講師になろうとする人たちを問題化する従来の非常勤講師ノーマティヴィティだけでは不十分な状況に対応するためです。それは大学の教員の男女比です。多くの人たちは、専任講師、非常勤講師を含め、大学の教員の男女比を改善すべきだと言っています。しかし状況は改善されているとはいえません。それはなぜでしょう。簡単です、男性側のやる気がないからです。自発的な行動を起こしていないからです。


ここで、万能ツールとしてのバカの一つ覚えノーマティヴィティを導入します。非常勤講師ノーマティヴィティパートワンの説明と違い、まず一般論から入りましょう。大学の教員の男女比の改善が目指されているのにもかかわらず、その改善にまったく寄与しない、むしろ現状を永続化しかねない、すなわち男性の非常勤講師が、大学の教員の男女比改善に挑戦しないで、自分だけはいいだろうと専任講師の公募に応募すること。それを非常勤講師ノーマティヴィティパートツー、または男性非常勤講師ノーマティヴィティと呼びましょう。


これは、論理的には、すべての男性非常勤講師が、非常勤講師ノーマティヴィティパートツーに該当し、その名の下に批判されることを可能にします。前述しましたが、もしこの非常勤講師ノーマティヴィティパートツーの論理がおかしいと思うのならば、オリジナルのリサプアのバカの一つ覚えノーマティヴィティがおかしいというのは、言うまでもありません。繰り返します。男性の非常勤講師であれば、誰も彼も、非常勤講師ノーマティヴィティパートツーにより批判対象になることが奇妙だと思うのならば、リサプアのバカの一つ覚えノーマティヴィティのロジックが奇妙なのです。

 

話を進めます。ここから具体的に話になります。ここからが大事です。非常勤講師ノーマティヴィティパートツー、または男性非常勤講師ノーマティヴィティの疑いのある、とある男性非常勤講師がいます。その男性非常勤講師が、「自分だけはいいだろう」と専任講師になるために応募している学問領域が、こともあろうにジェンダーフェミニズムの領域だったらどうでしょう。大学の教員の男女比の改善に挑戦しない、やる気のない男性非常勤講師が、女性非常勤講師を差し置いて、ジェンダーフェミニズムの領域で大学のポストを狙っているとしたら、どうでしょう。その男性非常勤講師は、誰よりも彼よりもジェンダーフェミニズムを理解しているから、そういうことをするのでしょうか。皆さん、考えてみてください。

 

 

 

 

まだ言ってるの? モナー・ノーマティヴィティって?

バカの一つ覚えノーマティヴィティ

 

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