出生前診断の問題とクィア理論の応用
東京オリンピックの影で、あるいはオリンピック批判の陰で、日本の不公平・不公正を象徴するかのような問題が起こっていた。こちらの方のツイートが指摘しているように、コロナワクチン接種をめぐる不公平・不公正である。つまり、 「大企業と一部の有力大学…
どの命が、どの身体を有するであろう命が、どのようなあり方をもつであろう命が、その誕生を祝福されるのか。どの命が、どの身体を有するであろう命が、どのようなあり方をもつであろう命が、その命の芽を予め摘まれるのか。クィア理論が唱えていた「予めの…
私たちは中絶しなかった。私たちは生まれてくる子どもを殺さなかった。私たちは「殺す権利」を選択しなかった。私たちは「殺す権利」を行使しなかった。 そもそも私たちに何の罪もない子どもを「殺す権利」があるのだろうか? 私たちに「殺す権利」がないの…
「わたしたちの」──と「私たち」を僭称し、身体のあり方を統御する既存の規範に対して「あなたたち」は従順に振る舞っている、と大仰に嘆いて見せる。そして「あなたたち」は……をするのではなかったのか、と、すかさず自分たちに都合のよい事態を「……」に代…
「望まれない身体」が排除され、あの街では浄化が進行している。そのように説く者がいる、そのように教え諭す者がいる。それは、「そのこと」に気づいている「わたし」あるいは「わたしたち」がいて、「そのこと」に気がついていない「あなたたち」がいる。…
恣意的に「空間」を分割し、その空間の構成要素の「動き」をまことしやかに物語化する者がいる。それは「まことしやかな物語」を語るために、構成要素の「動き」を都合よく、まるで一連の流れがあるかのように解釈し、そのために都合のよい条件を設定した「…
1966年から1974年にかけて兵庫県である施策が行われた。それは県衛生部が「不幸な子どもの生まれない対策室」を設置し、出生前診断を奨励、羊水検査でダウン症候群など染色体異常の可能性のある胎児を見つけることを推進した──パンフレットを作成し、それを…
私たちは「わたしたちを殺すことは不正である」と思える。私たちは「わたしたちを殺すことは不正である」と言うことができる。 数年前、あるいは数十年前、私たちは「わたしたちを殺すことは不正である」と思っていた。数年前、あるいは数十年前、私たちは「…
どの命が、どの身体を有する命が、どのようなあり方をもつ命が、その誕生を許されるのか。胎児を人と見なすこと、または人と見なさないこと、あるいはどの胎児に「将来の価値」を与え、どの胎児に「将来の価値」を与えないのか。その選別は、そのときどきの…