The Reverberator

EFFORTLESS FRENCH

カップケーキ化される命 ~ 新しい出生前診断ノーマティヴィティとネオリベラリズムとの親和性への警鐘

どの命が、どの身体を有するであろう命が、どのようなあり方をもつであろう命が、その誕生を祝福されるのか。どの命が、どの身体を有するであろう命が、どのようなあり方をもつであろう命が、その命の芽を予め摘まれるのか。クィア理論が唱えていた「予めの排除」なるものはいったい何だったのか──それは「棒読み」だったのか? 

 

胎児の異常検査容易に 新型出生前診断が一般診療へ  テレビ朝日(2018/03/04)

http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000122149.html

妊婦の採血だけで手軽に検査できる新型出生前診断は、人工中絶につながりやすいことなどから、日本産科婦人科学会が診断を受けられる条件を35歳以上としたり、カウンセリングを義務付けるなどして認定された全国の約90の医療機関で行われています。 

 

新型出生前診断、一般診療に 実施施設増の見通し 毎日新聞2018年3月3日

http://news.tv-asahi.co.jp/news_society/articles/000122149.html

 NIPTは胎児の染色体が1本多いダウン症など3疾患の可能性を妊娠早期に調べることができ、他の出生前診断と比べて手軽で精度が高いのが特徴。国内では2013年4月に導入され、現在は90施設が認定されているが、事実上は大手の医療機関に限られている。胎児の染色体異常による中絶につながるため、「命の選別」との批判も根強い。

 

どの命が、どの身体を有するであろう命が、どのようなあり方をもつであろう命が、その誕生を祝福されるのか。どの命が、どの身体を有するであろう命が、どのようなあり方をもつであろう命が、その命の芽を予め摘まれるのか。中絶を前提にした出生前診断という命の選別を目にしたときに、その背後にある排除と包摂のロジックに目を向けることが重要だとされるのならば、すぐさまこの問題を議論の遡上に挙げるべきではないか。

 

新型出生前診断、本格実施 優生思想あおる「利益」優先=千葉紀和(東京科学環境部) 毎日新聞2018年2月22日

https://mainichi.jp/articles/20180222/ddm/005/070/017000c

 出生前診断は新技術が登場するたび、選択的中絶への批判と希望者の権利とが対立しながら徐々に広がってきた。手軽で精度の良いNIPTが一般診療として本格導入されれば、一気に、産む前の検査が当たり前の時代が近づく。危ういのは、加速する出生前診断のビジネス化が人々の不安をあおり、同調圧力で「命の選別」を強いる社会への変質が進むことだ。 

 

新型出生前診断  「命の選別」定着懸念 無認可検査を警戒  毎日新聞 2018年1月28日

https://mainichi.jp/articles/20180128/ddm/002/040/069000c

 妊婦の血液から胎児の病気の可能性を調べる新型出生前診断(NIPT)で、日本産科婦人科学会が臨床研究に限定してきた方針を転換する。背景には高齢妊娠の増加に伴うニーズの高まりと、それを狙った無認可ビジネス拡大への危機感がある。だが、認可の有無を問わずNIPT自体に「命の選別」との批判も強い。「産む前の選別が当たり前の社会になる」と危ぶむ声も上がる。

 

どの命が、どの身体を有するであろう命が、どのようなあり方をもつであろう命が、その誕生を祝福されるのか。どの命が、どの身体を有するであろう命が、どのようなあり方をもつであろう命が、その命の芽を予め摘まれるのか。なぜ胎児だけが「異常」かどうかを調べられ、そして「異常」であったならば、それが「片づけられる」対象になってしまうのか。そこには国家の望む「健常者の身体」という規範への順応が確実にある。危機において国家から除外される身体と、中絶で命を摘まれる「異常な」胎児との間に連続性がないわけがない。それなのに「クィア・ポリティクスの視点から、それはどのように読み解くことができるのでしょうか?」などと自分たちが他人に教え諭すことを前提にし、そのために都合よく問題設定をし、そのためだったら人に見せるために嘆いてもみせる。人工妊娠中絶という制度がある以上、すべての人に「よりよい未来」という共有されたファンタジーなどありはしないのに、それなのに、「自分たちのような、クィアという利口な集団」以外の愚かな人たちが「よりよい未来」を信じていると想定し(そう決めつけなければアメリカのどこかの誰かが言っていることを「当てはめる」ことはできない)、そのことをもってナショナリズムだとかネオリベラリズムだとかいう都合よく成型した言葉をもちだし批判して何かを言った気になっている。いつまでそんなことが通用すると思っているのだろう。

 

生命を序列化しない社会を=中央大教授・宮本太郎 毎日新聞2018年2月17日

https://mainichi.jp/articles/20180217/ddm/008/070/149000c

 旧優生保護法のもとで、強制不妊手術を受けた女性が、1月30日に国を提訴した。「不良な子孫の出生を防止」することを掲げた同法のもとで、障害があることなどを理由に1万6000件以上の不妊手術が本人の同意なしにおこなわれたといわれる。国の責任は重大だが、他方で生命の選別をすすめる優生思想の根は深く、過ぎ去った過去の話ともいえない。

 

きょうの潮流 しんぶん赤旗 2018年2月27日

https://www.jcp.or.jp/akahata/aik17/2018-02-27/2018022701_06_0.html

「21番目の染色体の中に優しさがいっぱいつまっています。多くの人にそのことを理解してもらいたい」。ダウン症者、岩元綾さんの言葉です。

(中略)
私たちには多様な「生」が認められる社会にする責任があります▼「出生前診断で命の芽を摘むより、ダウン症や障害のある人、すべての人が生きやすい社会をつくる方が先です」。

 

【関連】