The Reverberator

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わたしたちは「殺す権利」を要求しない、だからあなたたちも「殺す権利」を放棄して欲しい ~ クィア政治とプロライフ政治の親和性

 私たちは中絶しなかった。私たちは生まれてくる子どもを殺さなかった。私たちは「殺す権利」を選択しなかった。私たちは「殺す権利」を行使しなかった。


そもそも私たちに何の罪もない子どもを「殺す権利」があるのだろうか? 私たちに「殺す権利」がないのに、あなたたちにはどうしてそれがあるのか? どうして「殺す権利」があると言えるのか? 


私たちは殺さない。だから、あなたたちも殺さないでほしい。私たちは「殺す権利」を行使しない。だから、あなたちも「殺す権利」を行使しないでほしい。


中絶はそれ自体が積極的な善ではない、それどころかそれは悪なのだから。中絶は何の罪もない子どもを殺すことなのだから。中絶の権利を要求することは、「殺す権利」を要求することなのだから。


だから、私たちは「そうしなかった」。だから、私たちはこれからも「そうしない」。だから、あなたたちも「そうしないでほしい」。

 

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私たちにも、あなたたちにも「殺す権利」はない。「殺す権利」を求めてはいけない。かつて、あなたたちが私たちに説いて聞かせた〈あなたたちの大義〉を思い出してほしい。  

「人の生命にかんする他の例では、フェミニストの一貫した唯一の哲学は、すべての人に尊厳を認めるというものです。私たちは女を階級としてステレオタイプ化するのを止めるよう要求しています。私たちは、年齢や精神的・肉体的条件、あるいは望まれなさの程度に基づく新しい階級別ステレオタイプを導入することはできないし、しようとも思いません。

かつて人間以下のものと定義されていた私たちには、自分たちの権利を主張する中で、彼らは人間ではないという主観的な判断に基づいて他者の権利を否定することはできません。……中絶は何の解決にもなりません。女は中絶に頼るたびに、差別をより強固なものにしているのです。

……あらゆる世論調査で、女よりも男の方が中絶を支持する率が高いのは不思議ではありません。女の中では、男の教育制度で長く教育を受けた人ほど中絶を支持する傾向が強いことも、不思議ではありません」(議会公聴会での、生命を支持するフェミニストのメンバー証言)。

 

 

荻野美穂『中絶論争とアメリカ社会 身体をめぐる戦争』(岩波書店) p.233-234 *1

 

 

もし、わたしたちが真理の知識を受けた後にも、故意に罪を犯し続けるとすれば、罪のためのいけにえは、もはや残っていません。

── ヘブライ人への手紙 10.27

 

 

www.newsweekjapan.jp

トランプ大統領、トランスジェンダーの米軍入隊を禁止へ 訴訟の恐れも

 

トランプ米大統領は26日、ツイッターで、心と体の性が一致しないトランスジェンダーの人々について、米軍への入隊を禁止する方針を発表した。時期や方法などの詳細は明らかにしていない。

突然の発表に対し、人権団体や民主・共和両党の一部議員は政治的動機に基づく差別だと非難する一方、保守系団体や一部の共和党議員は賛同する考えを示している。

オバマ前政権は、性的指向性自認に基づく米軍内の障壁撤廃に取り組んできた。

トランプ氏は昨年の大統領選期間中、トランスジェンダーを含む性的少数者(LGBT)のために戦うと公約していた。

しかし、この日のツイートでは「米軍幹部や専門家と協議した結果、米政府は米軍のいかなる職務であれトランスジェンダーの個人を受け入れない方針となった」と発表。「米軍は決定的な勝利に専念する必要があり、トランスジェンダーの受け入れに伴う高額の医療費や混乱を引き受けられない」とした。 

 
 
 

  

私たちは殺さない、だから、あなたたちも殺さないでほしい。私たちは「殺す権利」を行使しない、だから、あなたたちも「殺す権利」を行使しないでほしい。私たちは「そうしない」、だから、あなたたちも「そうしないでほしい」。私たちは殺さない、だから、あなたたちも殺すべきではない。私たちは「殺す権利」を行使しない、だから、あなたたちも「殺す権利」を行使すべきではない。私たちは「そうしない」、だから、あなたたちも「そうすべきではない」。私たちは殺さない、だから、あなたたちも殺してはいけない。私たちは「殺す権利」を行使しない、だから、あなたたちも「殺す権利」を行使してはいけない。私たちは「殺す権利」を要求しない、だから、あなたたちも「殺す権利」を放棄してほしい。私たちは「そうしない」、だから、あなたたちも「そうしてはいけない」。

私たちは〈この殺す権利〉を要求しない、だから、あなたたちも〈その殺す権利〉を放棄してほしい。

  

すでに見たように、中絶反対派は女の胎内にあるものは受精の瞬間から完全な一個の「人格」であり、成長した一人の人間とまったく同様に扱われるべきであると主張している。この観点からすれば中絶は殺人と同義であり、たとえ女にプライヴァシー権や身体に対する自己決定権があるとしても、それは彼女の体内にいるもう一人の「人間」を「殺す権利」を含むものではない、すなわち胎児の生存する権利を上回るものではないということになる。なぜならアメリカ国家の独立宣言が個人の「自由」や「幸福の追求」よりも前に「生命」を掲げているように、人間にとって生命の権利とは至高のものとされているからである。もしも胎内の「人間」の生命権を重さにおいて上回りうるものがあるとすれば、それは妊娠出産によって女性の生命を防衛する権利のみである。

(中略)

これに対する中絶擁護派の反論は、中絶を選択したある女性の次のような感想に、素朴ではあるが率直な形で示されている。
「悪いけど、私はよく知りもしない誰かのために、私の人生を犠牲にする気はないわ。それが中絶の後、私がいちばん強く感じたことだったんです。誰かの命を犠牲にすることで、私は自分の生命を救ったんだって。」

 

 

『中絶論争とアメリカ社会 身体をめぐる戦争』p.230-231 

 

 

【関連】

 

*1:

中絶論争とアメリカ社会――身体をめぐる戦争 (岩波人文書セレクション)

中絶論争とアメリカ社会――身体をめぐる戦争 (岩波人文書セレクション)