The Reverberator

EFFORTLESS FRENCH

中絶の合法化と「望まれない身体」の排除、あるいは「望まれない身体」の排除を目的にした中絶合法化

「わたしたちの」──と「私たち」を僭称し、身体のあり方を統御する既存の規範に対して「あなたたち」は従順に振る舞っている、と大仰に嘆いて見せる。そして「あなたたち」は……をするのではなかったのか、と、すかさず自分たちに都合のよい事態を「……」に代入する──後のために操作しやすい言葉を巧妙に選ぶ。こういう論法で、いつのまにか「私たち」の目的が遡及的に定められ、それがいつのまにか義務のようなものになり、まるで「そのような契約」をしたかのように取り扱われる。つまり既成事実化される。そこから「あなたたちは○○するはずなのに、○○していない」という批判を展開し、自分たちを「批判する側」「教え諭す側」「観察する側」「評価する側」等に自然に仕立て上げ、「……」に代入した操作しやすい言葉によって、都合のよい説明をまことしやかに繰り広げる。そうやって他人に付け入り、まるで契約不履行を咎める債権者のように振る舞う。そうした後に「皮肉なことに……は……になっている」と時空を超えた高みからまるで預言者のような神託めいた物言いをする。他人の行動を見透かしているかのような物言いで他人を評価し、それによって自分たちの優位性をひけらかす──自分たちは先見の明があり、ずっと以前から「このような」警鐘を鳴らしてた、というわけだ。これを「クィア文」あるいは「クィア論法」と名付けておきたい。


私たちは、「身体のあり方を統御する既存の規範」というものに対し、それがどういうものであるのかを本当に知らされているのだろうか。「身体のあり方を統御する既存の規範」というものをきちんと理解しているのだろうか──自分たち自身でそれを考える余地が与えられているだろうか。「クィア文」あるいは「クィア論法」に誘導されて、知るべき情報がそれに覆い隠されていないだろうか。「非規範的な性」という言葉とセットになった「非規範的な身体」(望まれない身体)──「非規範的な性行為(セックス)」という言葉と相補的に(そして従属的に)表現される「非規範的な身体」──に焦点が当てられるとき、その操作によって、何かを覆い隠しつつ、その者たちに都合のよい結論にいつのまにか導かれていることに、その渦中にあって、どうやって気づくことができるだろうか? そもそもクィア」を標榜する者を、どうして、どうやって、信頼することができるのか。そもそもクィア」を標榜すれば、それらが何か検討に値するように思わされるのは、なぜなのか──その者たちが「弱者」を狙い、その「弱み」に付け込み、「弱み」があるからこそ付け入り、そのように振る舞っているからではないか。これまで、そうやって「ペドフィリアを擁護することを強要」され、平然と性行為に言及され、そうせざるを得ない状況に追い込まれるセクシュアルハラスメントによる苦痛を、その者たちによって、与えられてきたのではないか。

 

それらに抵抗するために、一つの方法が考えられる。それは「クィア・スタディーズ」の名の下に書かれた文章から「クィア的なもの」を極力省き、それをないものと想定して読み、そうしたことによって文章の骨子を取り出すことである。すなわち「クィア的なもの」という「セクシュアルハラスメント」と「知ったかぶり」を無視し、そこで導かれた平凡な結論を見定めること。「クィア」が仕向ける誘導──どのような言葉づかい(例えば「非規範的な性」)で、それによって何を導こうとしているのかに敏感になること──に抵抗しつつ、それを「クィアが導こうとしない問題」との接点を見つけることである。「身体のあり方を統御する既存の規範」によって排除と浄化が導かれることは、何も「クィア」なんかを媒介しなくても、直感で把握できる。確認すべきことは「クィア」がそれをどのような道筋で説明しているかである──「クィア論法」の「解法」を精査することである。「クィア」に利用されないためには、「クィア」が誘導する問題ではなく、「クィア」が誘導しない問題に、「それと同じように」取り組むことである。「アメリカの新興学問」関係者から問題を設定する権能を奪うことである。「その問題」を「この問題」に置き換えることである。

 

そうした場合、「身体のあり方を統御する既存の規範」というものは、中絶の問題に接続できる。人工妊娠中絶の問題から「身体のあり方を統御する既存の規範」とはどういうものであるのかを理解できる。そこに横たわる問題が「ここに」浮上する。人工妊娠中絶は排除と浄化を導くものあると結論づけることが「それによって」可能になる。人工妊娠中絶は、その合法化の際、「身体のあり方を統御する既存の規範」をどのように利用したのか。

 

……問題は、このロウ対ウェイド裁判が起こった背景である。この判決は中絶を厳しく制限する法律に対する約10年にわたる反対運動の結果であった。Singerも指摘しているように、この10年の間にアメリカにおいて中絶法反対運動は取るに足らない少数派から主要な政治勢力へと成長していたのであり、連邦最高裁の判決はその最後に出されたものであった。そして、この中絶法反対運動を引き起こしたのは当時妊婦によって広く服用されていた鎮静剤の「サリドマイド」であった。
当時多くの国でサリドマイドによって奇形児が次々に生まれたが、その原因がサリドマイドであると知れ渡ると、それを知らずに服用していた多くの女性が中絶を求め、さらにそれに関連した事件もたびたび生ずるようになってきた。それを受け、中絶法反対運動が高まりを見せた。1967年イギリス議会は、妊娠を終わらせる場合よりも、妊婦もしくは妊婦の家族のすでに生まれている子供のうち誰かの身体的あるいは精神的健康が損なわれる危険性の方が大きい場合に中絶を認めるという趣旨の法律を通過させたが、これは実質的に中絶自由化であった。(Singer 1998: 120)アメリカにおいても、フィンクベインという女性が自分の住んでいたアリゾナ州で中絶手術を受けようとしたが受けられず、いくつかの州に移り、手術を受けられなかった。全米メディアの同情がフィンクベインにあつまり、さらにケネディ大統領らもこの問題についてニュース番組で議論した。フィンクベインはスウェーデンに飛び、そこで中絶手術を受けたが、その結果胎児に奇形のあることが判明したのである。Mohrはこの事件について「中絶はもはや絶対的なものの間での選択―生かすか殺すか―を意味するのではなく、程度問題―どんな条件の下でどんな生命なら生かすか―を意味するように思われた」(Mohr 1978: 112)と論評している。つまり、中絶を認めるべきか否かの基準として、「生命の質」が考慮されるようになったのである。

 

麦倉泰子「中絶の倫理問題についての考察」 http://www.rikkyo.ne.jp/grp/cchs/student/img/journal/2005/mugikura.pdf

  

羊水穿刺は、胎児のダウン症の検査のために、信頼されて幅広く使用された処置であった。その使用の増加は、当時の中絶の権利をめぐる議論と交差し、それを活発にした。法律は国によって大きく異なっていたが、大体の方向として、1960年代から1970年代に、胎児の選択的中絶に関する刑法が見直されている。

多くの国で中絶が解禁され、母親の健康が危険にさらされる場合を特例とするという病院委員会の裁決のもとで、医師と妊婦に対する処罰が廃止された。ここでの「健康」は様々に解釈されたが、重度障害のある子どもを育てる困難から生じる「精神的健康」が含まれることも多かった。この結果、医師と患者、また(関与可能なところでは)病院委員会は、21トリソミーのある子どもが母親の精神的健康に回復不可能なほどの影響を与えることを根拠にして、中絶を制限する法律の抜け道を得たのである。

 

このように、ダウン症出生前診断の一般的普及は、多くの西洋諸国で中絶法が緩和されなければ起こらなかった。事実、当時の多くの親にとって、出生前診断の第一の目的は、ダウン症のある子どもを持つという「重荷」に対して、妊婦とその夫に心の準備をさせることではなく、合法的な人工中絶の選択をするよう、彼らに迫ることだと思われた。ダウン症協会や支援者団体は、医師と準医療専門家が提示する出生前スクリーニング検査の方法に懸念を表明した。新たな技術は、表面上は妊婦と夫が情報に基づいて意思決定を行う能力を向上させたが、夫婦たちが実際に経験したように、その手続の真の原理は、ダウン症のような遺伝子異常がないかを検査によって発見し、中絶させることであった。実際、ダウン症は、羊水穿刺の促進のために利用される典型的な先天的異常となり、出生前スクリーニング検査の使用をもっと拡大しようという公衆衛生の広告に、恐怖戦術として利用されたのである。

 

デイヴィッド・ライト『ダウン症の歴史』(大谷誠 訳、明石書店)p.174、176-177 *1

  

ダウン症候群が21番染色体のトリソミーであることを1959年に突き止めたジェローム・ルジェーヌ)の評伝を書いた娘のクララ・ルジェールによれば、フランスで羊水検査の手法を開発したのはルジェーヌの友人で、同じように治療に結びつけようと研究をしていたという。クララは「ふたりは自分たちの偉大な発見が、本来の目的とは反対のほうへ覆されてゆく、救いのない目撃者となるしかなかった」と書いている。そして、羊水検査の結果中絶が行われることに反対したルジェーヌは、1960年代から70年代にかけて、中絶合法化を求める人々から「小さな怪物(ダウン症の子のこと)とともに死ね」などの激しい中傷を受けたという。

 

 

酒井律子『いのちを選ぶ社会 出生前診断のいま』(NHK出版)p.101 *2

 

【関連】

*1:

ダウン症の歴史

ダウン症の歴史

 

*2:

いのちを選ぶ社会 出生前診断のいま

いのちを選ぶ社会 出生前診断のいま