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デート中の出来事──少年と少女の性暴力

ロジャー・J.R.レヴェスク『子どもの性的虐待と国際人権』(萩原重夫訳、明石書店)より。

少年は、大人によって行われた場合には、DVとか、夫婦間暴力とかと名づけられるものと同じ性質の、身体的、心理的、および性的虐待を、自身の性的関係において受けている。他の性的虐待の分析と異なり、ここでの提示にはこうした行為が、四つの理由から含まれている。


含める第一の理由は、この暴力形態が、いくつかの思春期の関係の、重要な部分を構成している度合である。およそ、10人中1人の高校生が、恋愛関係において身体的暴力を経験している。これは大きな数字であり、この関係に関わっている当事者の観点から分析された場合は、とりわけそうである。若者の20~30%が進行中の関係において、デート中の暴力を報告し、過去のデート経験を想起した男女の35%以上が、身体的暴力を振るい、また振るわれたと報告している。


性的虐待の分析において、デート中の暴力を考察することが重要な第二の理由は、関係の中での暴行が、子どもの性行動とセクシャリティを支配する主な発見がなされたことによる。この支配は非常に広範であって、被害者がしばしば虐待者への「愛」を告白し、酷く殴られた後でも虐待者を弁護し、自分になされた虐待の責任は自分にあるとし、虐待の脅迫的性質を否定するか、きわめて小さいものとすることがよくある。
例えば、デート中の暴力による被害者のおよそ半数は、相手の暴力は、少なくとも「ある程度正当である」と述べている。同様に高い割合で、暴力が始まった責任を自分にあるとし、同様の割合で、その関係の継続を望んでいるのである。


第三の理由は、デート中の暴力の被害者に、高い割合で負傷が報告されていることである。ノース・キャロライナでの、デート中の暴力の包括的な研究によれば、例えば、暴力的関係を経験したとする70%近い少女と、半数以上の少年が負傷を経験しているのである。

 

デート中の暴力を考察する最後の主な理由は、支配の問題に関係する。支配は、思春期の被害者に特別のリスクをもたらし、他の関係においても被害と犯罪が継続することを許す、適応不全形態の発達を引き起こすことが強調される。支配の性質と、子どもの特別な脆弱性は入念な検討に値する。というのは、それがこうした行為を顕著な権利侵害として取り扱う提案に、支持を与えてくれるからである。


支配は長い間、暴力的関係を取り扱う際、主要な関心領域として認められてきた。研究者は、殴られた被害者が自分自身を責め、虐待者を擁護し、暴力的関係に留まる傾向は、虐待者とのトラウマ的絆の構築を反映していると論じている。

トラウマ的絆の概念は、若者の関係を考察する際、とりわけ重要である。ある思春期の被害者は、心理的に「人質」状態にあるとされる個人と同様(虐待されている子ども、殴られる女性、カルト構成員、戦争捕虜など)、虐待関係にさらに自らを傾倒させる生き残り戦術を採用する。証拠によれば若者は、トラウマ的絆へのリスクがさらに高いとされている。


思春期は、ジェンダー役割への極端な順応、関係性への依存、および関係に含まれる仲間の圧力への順応によって特徴付けられる。
(例えば研究によれば、男女がそれぞれ、支配と服従の役割を引き受ける時に、その関係は虐待をいつでも引き起こすことが示される。
若者は極端なステレオタイプ化されたジェンダー役割に適応する傾向があるので、こうした役割が思春期に強化されることが広範な研究によってわかっている。
強化されたジェンダー役割は、恋愛関係において少女は援助する役割であって、その関係の成功(または失敗)に責任があるという期待をもたらす。
こうして思春期の関係は、一見ジェンダー規範に内在的な強化された性差別、並びに被害者がその関係維持に責任を負わせられる若者に課せられた限界を理由として、より虐待に陥りやすくなるであろう。研究によれば思春期の関係は、性的親密さについて、少女は「守る人」であり、少年は「開始する人」であるとの期待を生みがちである。性的親密さについてのこのような対立的捉え方が、男はデート中にセックスをするため、強制力を用いても正当化されると信じる若者の傾向などの、他の関係性暴力と結びついている。
強化されたジェンダー役割、および伝統的ジェンダー役割の受容を示す傾向に加えて、社会的受容と自己評価に対して、思春期では交際相手に互いに依存し合うことが、暴力のリスクに晒すのである。思春期は、仲間の規範への適合への試み、および関係に入ることへの圧力によって、際立っている。)


社会的依存性、および感情的密着は、暴行者への執着を固定するが、これは、感情的にかつ経済的に虐待者に依存している大人の被害者と同様の図式である。重要なことは、思春期には大人の女性とは異なり、少女は、研究者が、自己防衛のため制御する場合であっても、より柔らかな、穏やかな、そして深刻な暴力を振るうのだとしても、少年も少女も同じように関係性に執着するという事実である。

 

虐待関係の性質に加えて、思春期について解っていることは、虐待を促進する環境を提供することが示されている点である。第一に、思春期の生活は、自己規律とリスクを犯す限界を試すことが含まれ、暴力的関係のリスクを増加させる酒や他の行為を試すことにつながる。第二に、思春期は、家族から一般的に離れていくことによって特徴付けられる。このことは、若者を不安定な立場に置く。被害者は、関係が虐待的になっても、家族からの援助を求められないか、そうしたくないかもしれない。若者が援助を求めたとしても、それが真剣に受け止められないかもしれない。大人は、思春期の絆を最も小さくし、若者が絆を断ち切って他の者とデートすることを期待し、若者が、暴力的関係に陥る可能性を認識できないのである。

 

思春期の性質に加えて、思春期の関係の性質もまた、若者をリスクに晒す。恋愛関係は、非常に情熱的で、興奮し独占的になりがちである。若者は必然的にこうした関係の経験が不足しているので、高揚した感情を取り扱う能力を持っていないかもしれない。例えば、高揚した感情によって、嫉妬は愛情を表現する正常な方法と解釈され、問題性を認識できないことにつながるだろう。思春期はとりわけ「規範の混乱」を経験しやすい。彼らの関係の中で起こることが、何が正常なことであるかを確定し、彼らの虐待関係は、問題であるとも、許容されないともみなされていない。

 

規範が混乱しやすいことは、思春期が、関係の中から発生する複雑な問題を処理する、「成熟」を備えられないことを示唆する。その上求愛行動は、実際には暴力的なことがありうる。「正常な」高校のデート関係の研究によれば、例えば50%以上が、身体的暴力の経験を報告していて、95%以上が心理的暴力の経験を報告している。また15%以上について、強制的な性行為が報告されている。研究者は、求愛の暴力課程の多くが、嫉妬、拒絶、および関係の破綻などの、関係性の困難から通常の作用として生じるとしている。

 

思春期の関係の性質は、若者を関係暴力に晒されやすくするけれども、ある関係の形はリスクを作り出す。例えば研究によると、ゲイとレズビアンの若者は、援助を得ることが困難であると報告されている。同様に、研究者は長い間、大人と思春期の女性に対する暴力のリスクは、男友達が妊娠を知った時に始まるか、強くなることを指摘している。

妊娠、母親になること、および同性愛的志向は、それを体験している若者が、大人よりも利用できる手段が少ないという理由だけで、虐待のリスクを高め、大人や仲間から受ける判断や非難が、若者に援助を求めようとする気をなくさせるのである。援助の欠如を前提にすると、状況は、こうした思春期の被害者の無力感と孤立感を高め、虐待する共同生活者への依存を高める。

 

若い暴行者が、罪を犯す理由を検証した研究によればまた、青少年の関係において、暴力への関心をもたらす要因が浮かび上がってくる。研究の三つの領域が、特に示唆的である。

第一の研究領域は、メディアや友人から、思春期の暴行者が受け取る奨励や承認といった、特に若者に衝撃を与える社会的影響に焦点を当てる。こうした研究者は、仲間やメディアが、関係の中で男は女を支配すべきであり、男は攻撃的行動を取る権利を持っているという、信念を植え付けるのだと論じている。

(暴行する10代の若者は自分の行動を仲間に知らせ、それに対する支持を実際に得ている傾向があるとする命題には、既存の研究によってある程度支持が得られる。)


第二の研究領域は、思春期の関係における暴力は、後天的な適応不全行動から生じるに過ぎないとするものである。この研究では、親の虐待行為とDVが、思春期の被害者と加害者の両者として、DVに係るリスクを若者に負わせていることが示されている。
最後の一般的形態の研究は、関係自体に注目し、虐待の動態が、虐待者が暴力を見返りのあるものとしていかに規定し、経験するかを受かび上がらせる。例えば、支配していることは、人の自己評価を高め、現実の、あるいは仮想の悪に対する復讐として用いることを可能とする。同様に、繰り返される感情的および身体的暴力は、被害者が要求に従うことを確保する傾向がある。この自己強化的図式は継続する可能性が高く、とりわけ思春期の暴行者が自らの行動を変える動機付けとなる否定的結果を経験しないかもしれないので、さらに継続するのである。 

 

p.302-306

 

 

子どもの性的虐待と国際人権

子どもの性的虐待と国際人権

 

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