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EFFORTLESS FRENCH

性暴力扇動商品は、性暴力を消費者に扇動するのみならず、性暴力を容認し、無罪化する「社会通念」と判例傾向を促進する

広範囲に及ぶ実証研究並びに、実際の性犯罪加害者調査と、性暴力被害者たちの証言を包括した、一九六〇頁にものぼる、アメリカ合衆国連邦政府法務省ポルノ調査委員会最終報告書(一九八六年)においても、暴力ポルノが(父親による女児性虐待を含めた)性犯罪を促す事実が証明・報告されている。さらに、合計一万二三二三人を対象にした、四八の実証研究では、暴力ポルノに限らず、人間裸体(性器の露出の有無を問わず)を刺激物と表象するポルノが、視聴者の性犯罪を扇動している事実が立証された。二八一人の強姦罪被疑者を対象とした調査で、「アダルトビデオで見て自分も同じことをしてみたかった」という意識があったか否か直接的影響について尋ねると、少年被疑者五〇パーセントと成人被疑者三七・九パーセントが、この意見を肯定したという報告がされている。

 

なお、「ポルノグラフィー」という言葉であるが、「ポルノ」とはギリシア語の語源で「娼婦・女性の奴隷」という意味で、「グラフィー」は「記述」という意味である。なお、古代ギリシャにおいて、娼婦のほとんどは、人身売買された女性の奴隷である。現在において、「ポルノグラフィー」という言葉は、この語源のごとくに、女性の性奴隷化を扇動する商品を意味する場合もある。しかし、片方では、『チャタレー夫人の恋人』等、主に人権擁護的・間主観的・共感的な性表現を意味するように使われている場合もある。この言葉の混合した使われ方は、二つのまったく異なる性の様相の表現を複雑に混合して混乱させる。よって、ポルノという言葉の二重の定義は、性奴隷化及び性的物象化問題の所在をうやむやにする、つまり

 

[反ポルノ]=[国家権力の濫用による表現の自由の弾圧]+[性の抑圧]

 

という、問題を複雑にすりかえる図式をつくって(チャタレー判決にはこの図式がまさにあてはまるが)、言説において性的物象化を助長する遂行的機能を持つ。そのため、「”ポルノ”の範囲が非常に不明瞭であるから、その規制も困難」という見解が生まれる。しかし、この「ポルノグラフィー」という言葉のうやむやな現行定義に基づいてあえて論じるならば、その「ポルノグラフィー」の合法・非合法の境目は、そもそも「範囲」という程度の次元に位置するのでなく、性犯罪を扇動するか、あるいは性犯罪を防止する人権擁護的な性の在り方を促進するかの、「様相」の次元に位置する。この論文において、どういった様相の「わいせつ物」「ポルノグラフィー」が性犯罪を扇動するのかを、数々の実証研究と事例を列挙して明確化する過程で、「ポルノグラフィー」や「わいせつ物」という言葉の代わりに、「性暴力扇動商品」という言葉を提案する。

 

性暴力扇動商品は、性暴力を消費者に扇動するのみならず、性暴力を容認し、無罪化する「社会通念」と判例傾向を促進する。例えば、無差別に選ばれた男性たちが、性と暴力を混合した映画(浴槽で自慰行為をしている女性を突然男性が襲いかかって激しく殴打する等)を毎日一本ずつ、一週間視聴した直後に、実際に陪審員たちが強姦罪の有罪判決を支持した公判ビデオを見た。すると、この男性たちは、強姦被害女性の抵抗が足りなかった等を指摘して、被害責任を被害者に移転し、被害者に同情する代わりに、被害者を非難する傾向が見られ、この有罪判決を否定する結果となったのである。つまりは、性的物象化という性犯罪者の心理現象を、事件を裁く人間まで共有するのである。

 

 

柴田朋『子どもの性虐待と人権 社会的ケア構築への視座』(明石書店)p.99-101

 

 

子どもの性虐待と人権

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