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The Reverberator

メモ用

子どもの性的虐待の理解 ~ 虐待の程度および虐待の性質

子どもへの性的虐待とセクシュアルハラスメント問題

ロジャー・J.R.レヴェスク『子どもの性的虐待と国際人権』(萩原重夫訳、明石書店)より。

 

虐待の程度

性的虐待であるとみなされる行為に対する、相当の関心と広範な非難にもかかわらず、様々な国で子どもたちが虐待を経験する程度は、依然として本質的に想像の域を出ていない。国境を超える性的虐待の蔓延を比較した、疫学的研究は存在しない。

系統的比較の不在にもかかわらず、個別国家は、全国的蓋然性調査を通じることによってでも、性的虐待の横行を検証してきた。実証的研究は、事実相当心に刻まれる結果となっている。とりわけ、研究の堅固な実証的性質という観点からと、公式の統計が明らかにできなかった、研究結果が明らかにする虐待の程度からそう言えるのである。

 

20ヵ国以上に及んで現存している証拠によると、少なくとも女性の7%と男性の3%が、それぞれ性的虐待の経験があると報告していることが示される。重要なことは、こうした推計は、最低の割合だという点である。

幾つかの国では、女性で36%、男性で29%に達する相当高い推計が報告されている。これらの推計は、刑事司法および社会サービスの介入から得られる公式報告には、依拠していないことを指摘するのは意味がある。

相対的な傾向を推測するのに用いられた研究は、一般市民や特定集団(例えば、大学生)の標本を使用しているが、それは、公式報告を通じて現在報告されている数字よりも、かなり高い割合を示す傾向がある。

(ワーテルとミラー・ペリンは、公式推計で報告が少ない理由のいくつかを述べている。それは例えば、報告者が十分な証拠がないと感じること、無知、困惑、ないし害を与えるとの脅迫などの理由による被害者の沈黙、事案を取り扱う能力のなさによる社会的サービス機関の報告の過少などから、報告が少なくなっているのである。)

 

疫学的データと公式の犯罪、もしくは子ども保護統計との間にしばしば見られる広い差異を前提にすれば、諸推計値は論議を呼ぶであろう。

(例えば発生率研究は、全体の集団を代表しない、自分で選んだ大学生を使う傾向にあることが指摘されている。すなわち、社会的不適合、および成績不良者は範囲外となる。)

継続する論争は、性的虐待が、数量化するのが当然困難である程度を明らかにしている。こうした困難の結果、方法的、および定義的差異によって、国家間の実際の比較は本質的に不可能になっている。

虐待の実際の定義は言うまでもないが、研究標本、用いられた方法、尋ねた質問、および実証化の程度における差異は、結果の数値を少なくも多くもできる。いかなる犯罪の推計における場合と同様、こうした問題すべてに対して、社会認識の相違、および被害者の認識の問題と、実際に報告をしたいかどうかという中心的ディレンマが付け加えられなければならない。

その上、髙い虐待の報告は、ちょうど低い割合が単に問題を意識していないだけであるのと同様、社会的承認と、虐待と闘おうとする社会の試みを反映することがあり、例えば、ベルリンにおいては80%以上の子どもが虐待されたとする割合が明らかにされている、最近の報告の有意性を確定するのは困難である。多要素を含む研究を計画することに内在する、こうした倫理的、実践的問題は圧倒的であって、未だ解決されていない。

 

解釈と出典の如何を問わず、既存の研究は、少なくとも一つの結論を保証する。性的虐待は、まれどころではなく、公式統計の欠如と、専門的関心が限られていることで、違ったふうに述べられているかに見える所に存在しうるのである。研究者が、子ども時代に、性的虐待の行為に晒されたか否かを尋ねた国ではすべて、かなりの割合の大人が、虐待を自分の子ども時代における経験の一部として認識している。子どもの性的虐待に割かれる広報の量に関わりなく、すべての国に、子ども時代の性的被害を報告したいとする大人がいるのである。

  

p.237-239

 

 虐待の性質

 虐待の程度を測ろうとする試みが直面する困難は、性的虐待の本当の性質を明確にしようとする研究において再浮上する。困難や論争にもかかわらず、集められた証拠は、性的虐待の性質についてどちらかと言えば複雑な像を描いている。調査の結果を見れば、現在用いられている「子どもの性的虐待」という包括的用語は、問題を孕むものとなる。この用語が、いくつかの経験的差異を曖昧にするからである。それらの違いにもかかわらず、多様なデータの出所から報告されている経験において、いくつかの傾向と、注目すべき形態が登場している。

研究によって、性的虐待に関する以下の側面に関する重要な命題が明らかにされている。すなわち潜在性の違い、被害者の犯罪者との関係、犯罪者が用いる方法、および含まれる行為の実際の形態である。

 

(中略)

 

調査によれば、虐待を明らかにすることの困難さが際立つ。被害者は通常、明らかにすることに消極的である。被害者は、直ぐに口を開くことはめったにない。被害者は報告をためらうだけではなく、実際に報告する者もごくわずかである。

例えば、重要な遡及的研究により、男性被害者の11%、女性被害者の24%しか虐待を報告していないことがわかっている。実際に報告する者も、陳述を否定し、あるいは撤回することがよくある。国際的統計によると、誰かに経験を開陳する者は、被害者の半数以下であることが指摘されていて、ましてや当局や、公式の援助を与える者に対してはなおさらである。

どの子どもが陳述するかを予想することは依然として難しく、同様に、いつ、どのように、また誰に対してするのかも予想は困難である。

調査からわかる一般的傾向は、虐待が深刻であればあるほど、また加害者が被害者の関係者である場合には、陳述する可能性が低くなることを示唆している。最大の心理的苦痛をもたらす虐待の型については、陳述が最も少ない。虐待者が見知らぬ者の場合でさえも、子どもが開陳するかどうかは不確かで、とりわけ、見知らぬ者から最も虐待を受けやすい者である、少年の場合はそうである。

他の重要な発見によって、少年もまた、性的虐待の被害を受けていることが際立つ。少年は、少女に比べ、虐待される割合が1.5~3倍少ないことは確かである。けれども、女性と比較せず男性の経験のみに焦点を当てると、推計によれば、非常に高い虐待の割合が明らかになる。最高31%の男性が、性的虐待を報告しているのである。

公式に確認された事例もまた、男性の被害の高い割合を明らかにしている。こうした重大な割合にもかかわらず、研究者や論者は、圧倒的に少女に注目している。ある研究者は、現在男性の被害を考慮しないことの否定的影響を強調している。少年は、比較的脆弱でなく、少年の虐待は、少女に対するものより損害が少ないと想定され、防止プログラムは少年の必要性を取り上げていず、少年の被害者は、大人に達した時、虐待に関連する問題についての援助を得られないのである。

(いくつかの研究によれば、少年の性的虐待は過小評価され、過少報告されている。また少年は、親や現在の子ども保護カリキュラムによって十分に保護されていないとされている。少年の周囲の人間による反応のなさは、反射的効果をもたらしている。共同体における監視の不存在は、家庭外での虐待のリスクを少年に晒す。少年は、自分自身を守ることが期待されているため、虐待に関して責められる。女性は潜在的加害者とはみなされていない。父親と息子、子ども同士の虐待は否定されている。けれども、男性の被害は無視されてきたとの主張は、それとは反対に、実際には非常に多くの量の論評を受けていることは否定できない。)

 

おそらく、最も一貫して見出されるのは、犯罪者は男性の傾向が高いことである。男性による犯罪は、疑いもなく高い割合に上る。あらゆる国際的報告書は、犯罪者は圧倒的に男性で、大体90%から100%の間であるとされている。けれども、女性犯罪者による子どもの性的虐待も存在するようである。しかし、女性による虐待の性質を調査した者はほとんどいない。実際に報告している者は、女性犯罪は、性的虐待への重要な洞察をもたらすかもしれないとしている。

支配理論は、子どもの性的犯罪は、性的虐待の分析において、ジェンダーと男性の力を中心に捉えている。また加害が、男性の将来の性的犯罪に大いに寄与する傾向があり、女性犯罪者による虐待は、男性による虐待と比べて深刻さが劣らないことを前提にすれば、そちらへ研究の方向が向くことには意義がある。

 

研究はまた、性的行為の性質と、犯罪者が用いる力の異なった型をさらに良く理解し始めている。報告によれば、最も一般的な性的行為は、露出であり、それから、接触があり、次に強姦の試みがなされる。実際の性交を伴うものは非常に少なく、約3%である。

研究によれば、使用された力の割合と、犯罪者と被害者の関係の程度との間に、重要な反比例関係があることを明らかにしている。

関係者による虐待の発生の高率さを前提にすれば、一般に信じられているほど、公然たる物理的力は支配的ではない。犯罪者は、被害者を「誘惑し」、心理的に罠にかけるのである。犯罪者が必ずしも物理的力を用いないとはいえ、心理的強制、並びに他の形態の「力」は間違いなく子どもに影響を与え、被害者を沈黙させることに寄与している。

 

子どもの、性的虐待状況への巻き込まれ方、大多数の者が虐待される場所、虐待者との関係、および自分たちが虐待されていたことを明らかにしたがらないこと、これらすべてが、対応への試みをきわめて困難にしている。ある論者は適切にも、こうした特徴を子どもの性的虐待の、沈黙のエコロジーを構成するものとみなした。

沈黙のエコロジーの一部は、犯罪者が、子どもと日常的関係を維持している「正常な」人々だということである。これから見るように、性的虐待の沈黙のエコロジーを取り上げる必要性は、性的虐待の原因、結果、および防止についての法的対応と理解とを導くことになる。

 

p.239-242

 

 

子どもの性的虐待と国際人権

子どもの性的虐待と国際人権

 

 

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