アンデシュ・ニューマン、ベリエ・スヴェンソンの『性的虐待を受けた少年たち ボーイズ・クリニックの治療記録』(太田美幸訳、新評論)より。
ペドファイルが子どもへの性的虐待で告発された場合、その人物は複数の子どもに虐待行為を行っていたと考えられる。ペドファイルが複数の子どもを虐待する状況を、英語では「セックス・リング(sex ring)」と呼んでいる。
セックス・リングのうち、もっとも多いのは一人の男性ペドファイルが複数の男児を虐待するケースであるが、複数の虐待者がいる場合もある。複数の男性ペドファイルが構成するグループもあれば、男女両方のペドファイルが構成するグループもある。
共同の家族面接
ファーネスは、セックス・リングを発見したときに最初にすべきことは、共同の家族面接を実施することだと言う(Furniss, 1991)。
面接には、親だけでなく虐待された子どもも全員出席することが必要だ。警察官が同席することも、治療の観点からきわめて重要である。なぜなら、警察官は虐待行為について事実に基づく報告をしてくれるからである。警察からの報告は、家族が虐待の全容を知る助けとなる。
家族面接を共同で行う目的は、セックス・リングのなかで起こった事実の詳細を全員に知らせること、そして親同士あるいは子どもと親とが意見を交換したり、感情を言葉で表現したりするのを手助けすることである。家族面接を共同で実施することによって、その後の治療をスムーズにはじめることができる。
共同の家族面接における重要なトピックは以下の通りである。
- 親たちは、セックス・リングが実際に存在していることを信じられるか?
- 自分の子どもがセックス・リングに加わり、性的虐待を受けたことを信じられるか?
- 虐待が自分たちの目と鼻の先で行われたという事実についてどう感じるか?
- 自分の子どもが虐待を受けたことについてどう感じるか?
- 虐待を受けたことを子どもがだまっていたことについてどう感じるか?
- 虐待のことで子どもを責める人はいるか?
- 自分の子どもが虐待を受けていたということを知ることは、彼らの親としての能力にどう影響するか?
- ほかの親と同じ状況、あるいは異なる状況に置かれたら、親たちはどんなふうに感じるか?
- 虐待が起こったことについて、母親は父親と同じように感じるか? 似ている点と異なる点はどこか?
私たちは、このモデルをボーイズ・クリニックで試してみた。その結果、このモデルの有用性と問題点が明らかになった。共同の家族面接のためにファーネスが推奨した質問群はとても役に立ったが、各回の面接にすべての親を集めることは困難だった。事実、面接の機会を設けるたびに参加者は少なくなっていった。
セックス・リングの被害者となった子どもたちを集めることも同様に難しかった。子どもたちは、必ずしも互いのことを知っているわけではない。虐待者はさまざまな手段で子どもたちを集めるため、子どもたちは互いのことについて共通する知識をもっていないのである。これによって事態は複雑になっている。
虐待された子どもたちは、それが学校で知られること、そして同性愛者だとからかわれることを極度におそれている。虐待者のペドファイルが暴力を振るったり脅したりしなかった場合、子どもたちは共犯意識を強くもっている。それゆえ、そうした子どもたちは、たとえ同じ経験をしていたとしても、また恐怖心を共有していたとしても、ほかの子どもたちに虐待のことについて話すのをいやがるのだ。
もっとも効果的な治療のやり方は、セックス・リングに巻き込まれた子どもたちを小さなグループに分けることだと思われる。以前から互いを知っている子どもたち、また虐待の秘密を共有している子どもたち同士であれば治療はすすめやすい。
虐待者が、行為をビデオや写真に残していたケースがあった。これによって彼は法廷で有罪判決を受けたが、しかしこのことは、子どもと親にとっては深刻な問題となる。この証拠はどのようにして残されたのか。誰がそれを見たのか。誰がそれにアクセスできたのか。当の子どもたちはそれを見てもよいだろうか。治療者のミーティングでは、こうした点が検討された。
また、共同の家族面接を実施してみてわかったことは、父親の出席率がきわめて低いことだった。面接が実施されるたびに出席する父親の数は減っていった。
当然ながら、子どもが受けていた虐待の事実を明らかにする際に親との連携は重要である。私たちの経験上、兄弟/姉妹の感情や反応も同じくらい重要だ。
治療に加わらない兄弟/姉妹は、被害を受けた子どもをからかったり非難することがある。少年たちは、ペドファイルから虐待を受けたことによって「オカマ」と言われていじめられる。非共感的な兄弟/姉妹は「そこに行ったのが悪かったのだ」と考え、被害にあった子どもたちを責めるのである。
親たちが示す感情は複雑だ。興奮を抑えきれない親も多い。そして、虐待に気づかずにいた自分たちを悪い親だと責めたり、何も言わなかった子どもたちを責める。また、自分の手で裁きを与えようと暴力的な復讐を計画する父親もいる。そして全員が、信じていた人物に裏切られ騙されたと感じている。なぜなら、加害者であるペドファイルは家族の身近にいて、子どもに近づくために親たちの信頼を得ていた人物だからだ。
親たちは、子どもたちの性的アイデンティティについて、そして生じうるダメージについて、子どもたちの将来を考慮しながらグループで議論を行うことになる。
- 作者: アンデシュニューマン,ベリエスヴェンソン,Anders Nyman,B¨orje Svensson,太田美幸
- 出版社/メーカー: 新評論
- 発売日: 2008/01
- メディア: 単行本
- 購入: 1人 クリック: 26回
- この商品を含むブログ (3件) を見る
【関連】
- 「被害者の責務でしょう、あなたたちがやらないと変わりませんよ」 ~ 「泣き寝入り」という言葉の暴力
- 子どもの性的虐待の理解 ~ 虐待の程度および虐待の性質
- 女性による男児への性的虐待という現実と、女性による男性あるいは少年への性的虐待は定義上不可能であるという誤った「男性的」世界観の間で
- 日本における少年への性的虐待に対する社会的認知
- 「なぜ私は加害者の弁護をしないのか」 ~ 性暴力と法
- 二次的被害によるPTSD
- 性暴力表現の社会問題化よる「調査者自身が受ける被害」
- 性暴力扇動商品による性の衝動化・中毒化
- 性暴力被害者に対する社会的物象化
- 性暴力扇動商品と性犯罪者処遇プログラム
- 性暴力扇動商品は、性暴力を消費者に扇動するのみならず、性暴力を容認し、無罪化する「社会通念」と判例傾向を促進する
- 「平等法」と「表現の自由法」は衝突へ向かっている。世界中において、「表現の自由」保障は、社会的不平等の問題や大幅な法的平等が必要であることなどに真剣に取り組むことをせずに発展してしまった
- クィアを標榜すればそれを望まぬ人たちに対して「性的な言動」を浴びせることが許されるのだろうか、クィアを標榜すればそれを望まぬ人たちに対して「直接的な性行為内容」をあらゆる場において受け入れるよう迫ることが許されるのだろうか、クィアを標榜すればそれを望まぬ人たちに対してペドファイルとその利害関係者の要求に従うよう恫喝することが許されるのだろうか