キャロライン・M・バイヤリー『子どもが性被害をうけたとき お母さんと、支援者のための本』(宮地尚子/菊池美名子/湯川やよい 訳、明石書店)より第6章「宗教の問題」。
宗教的コミュニティにおけるドメスティック・バイオレンスや性暴力の問題をとりあげ、その被害者の支援に取り組んでいるプロテスタントの牧師マリー・M・フォーチュン氏がこの章を担当している。
わが子が性的虐待をうけた──おそらく、知人か信頼していた人に──母親であるあなたは今、想像を絶するような悪夢の最中にいることだろうと思います。加害者はあなたの夫かもしれませんし、交際相手かもしれません。身内や近所の人間、教師、コーチ、もしくは聖職者の可能性もあります。
あなたがもし信心深い人間であれば、こんなことがおきるなんて、神はいったいどこにいらっしゃるのだろう、これまで教会の日曜学校で教わってきたことに何の意味があったのだろう、という葛藤に悩まされていることでしょう。あなたのような境遇におかれた女性なら当然の悩みです。
子どもへの性的虐待にかかわる宗教的な問題について読み進めるうちに、ヘブライ語聖書の中に出てくる次のような言葉について思いを巡らすようになるかもしれません。わが子らが国を追われてしまったことを嘆き悲しむラケルの様子と、その子らが国へ帰還することを約束する神の御言葉です。
主はこう言われる。
ラマで声が聞こえる
苦悩に満ちて嘆き、泣く声が。
ラケルが息子たちのゆえに泣いている。
彼女は慰めを拒む
息子たちはもういないのだから。
主はこう言われる。
泣きやむがよい。
目から涙をぬぐいなさい。
あなたの苦しみは報いられる、と主は言われる。
息子たちは敵の国から帰ってくる。
あなたの未来には希望がある、と主は言われる。
息子たちは自分の国に帰ってくる。
エレミヤ書31章15-17節
p.140-142
相手を赦すこと
【 わが子を虐待した相手を赦すべきでしょうか?】
いいえ。赦す義務はありません。また、加害者の態度や状況に変化が見られない限り、子どもにも赦すように言わないでください。
キリスト教徒へのイエスの教えはこうです:
もし兄弟が罪を犯したら、戒めなさい。そして、悔い改めれば、赦してやりなさい(ルカによる福音書17章1-4節)。
ここで言う悔い改めとは、ただ反省することとは違います──つまり「ごめんね。傷つけるつもりななかったんだ」と言うだけでは不十分だということです。預言者エゼキエルが言うように、悔い改めとは変化のこと、つまり心も考え方も一新するということなのです。これには多くの労苦と時間が必要です。
ユダヤ教もこの考えと似ています。人に危害を加えた人間は、罪を償い、損害の埋め合わせをし、謝罪し、赦しをこい、間違いを正さない限り、赦されてはならないとラビは説きます。つまり、罪を犯した人間は、自分でその責任をとり、かつ自発的に間違いを正すべきだということです。被害者が自ら率先して赦そうとする必要はありません。
ですが同時に、このことも覚えておいてください。赦しとは、あなたとあなたの子が、心に焼きつく被害の記憶から解放され、自分たちの人生を生きていけるということです。これは、忘れてしまうこととは違います。あなたもお子さんも何がおきたのかをすっかり忘れてしまうことはないでしょう。しかし相手が悔い改めるようなことがあれば、あなたはこの出来事を整理し、前に進めるかもしれません。
赦しとは、あなたやあなたの子に対してなされた罪を良しとすることでは、決してないのです。
想像してみてください。あなたの子どもを傷つけた人物が、懺悔をしているところを。刑に服し、更生中で、罪を心から悔やんでいる様子を。あなたの子どものためのカウンセリング費用を払い続けているところを。想像してみてください。あなたやあなたの子どもがこの事件から解き放たれ、前に進もうと──つまり、赦そうとしているところを。
赦したからといって、あなたが加害者と再び関わりをもったり、信頼したりする必要はありません。その人物は、あなたとあなたの子どもを裏切ったのですから。
加害者を赦すということは、まるで何事もなかったかのようにまた相手と関わることとは違います。
ところで、加害者を簡単に赦してしまうのは、彼らのためにもよくありません。以前、裁判所命令による加害者治療プログラムに参加する27人の近親姦加害者のグループと接したことがあります。これは宗教とは関わりのない地域活動の一貫でしたが、27人うち25人は熱心なキリスト教徒で、牧師との宗教的な議論をのぞんだので、その夜私たちは様々な問題について語り合いました。最後に彼らはまとめとして、「あまりに早く赦されてしまうのは、俺たちのためによくないんだということを、ぜひ他の聖職者にも伝えてほしい」と私に言いました。
25人のキリスト教徒達はみな、自分の子どもを虐待した疑いで逮捕され、その後すぐさま牧師の元を訪ね、赦しをこうていました。そして、すべての牧師が彼らのために祈りを捧げ、彼らは「赦しを得て」教会を後にしたのです。「これ以上自分たちにとって最悪なことはなかったと思う。自分が子どもにしたことに向き合わなくてもいいということになってしまったのだから」と加害者は言っていました。
加害者によるこうした証言はとても重要です。時期尚早な赦しは彼らのために、いえ、誰のためにもならないということを示してくれるからです。事実、真の悔い改めや自分のしたことに責任をもつチャンスを加害者は失ってしまうかもしれないのです。
p.144-146
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