リチャード・B. ガートナー『 少年への性的虐待 男性被害者の心的外傷と精神分析治療』(宮地尚子ほか訳、作品社)より
接触のある虐待は、普通罪を問われる犯罪である。含まれるのは、虐待者が自分のペニス、指、舌、他の身体の部分や、何等かの物を用いて、少年の身体に挿入したり、挿入を試みたり、刺激することである。また、加害者の性器や肛門を子どもに触らせることや、フェラチオやマスターベーション、性交その他の挿入も含まれる。胸を触ること、必要のない浣腸の強制や、動物と性的に関わるよう強制すること、子どもを売春に関わらせることも含まれる。
接触のない性的虐待(noncontact sexual abuse)は、以下のように広範囲にわたる行動を含み、報告される頻度はまちまちである。
虐待者が子どもの前でマスターベーションをしたり、何らかの性的な行動をすること。
性的満足のために、子どもに自分の性器を見せること。
子どもが他者と性的な関わりを持つよう勧めること。
覗き見をすること。
性的な目的で子どもの写真を撮ること。
子どもにポルノを見せたり、手の届くところに措いたりすること。
子どもを性的な話にまきこんだり、性的な話題について話をすること。
子どもの性的発達や性的指向、性器などについてからかうこと。
子どもに過度に露出した洋服を着せること。
子どもを殴ったり叩いたりするのに子どもを裸にしたり、自分が裸になること。
叩くことで性的な快楽を得ること。
性的な意味合いを帯びた情緒的虐待や言葉による虐待をすること。
他の子どもが性的虐待を受けているのを目撃させること。
性的なおしおきをすること。
必要以上に性的なことに興味を示したり質問したりすること。
十分に大きくなっているにもかかわらず子どもの入浴に関心を強く示すこと。
すでに自分でできる年齢であるにもかかわらず、性器に薬を塗ってあげたりすること(もちろんこれは接触を含むが、微妙であるため、接触のある虐待の範疇にはふつう含められない)。
世代間の境界や、個人の境界を侵すような誘惑的な目つきや話をすること。
これら接触のない性的虐待の中には明白なものもあるが、こっそりとわかりにくいようになされるものもある。発生率を調べる研究はどれも、これら密やかな(covert)性的虐待を虐待の定義に含めないだろうが、少年時代に虐待を受けた男性にとって、この種の虐待もまた重要なサブグループを形成する。
Brandt and Tisza(1977)はこれを「性的悪用(sexual misuse)と呼び、一方、Bolton et al.(1989)は「セクシュアリティの乱用」(the abuse of sexuality)と呼んでいる。密やかな性的裏切りと明確な性的虐待は、行動上の差異はあるものの、対人関係上の本質としてはとてもよく似ている。
密やかな近親姦は、行動よりも関係性に基づいて定義されることが多い。Maloney(1995)によると、それは「子どもが、親が愛情や情熱を夢中で注ぐ対象にされてしまった時に起こる。子どもとの関係が、養育から近親姦的な愛への境界線を越えるのは、それが子どもの欲求を満たすためではなく、親の欲求を満たすためのものになった時である」。
はっきりとした明白な性的行為はないものの、興奮をもたらすような性的色合いを帯びた関係もここに含まれる。その関係性は心理的な近親姦といえるだろう。そこでは子どもの身体的な境界は侵害されないが、心理的な境界が侵害されるからである。
Love(1990)が「情緒的近親姦」と呼ぶ、この力動が破壊的であることは、Herman(1981)もMendel(1995)も論じている。虐待者はこのような心理的もしくは情緒的な近親姦に密やかな性的裏切りが含まれていることに、意識レベルでは気づいていない場合もある。例えば、キースの誘惑的な母親は、自分と息子との関係が性的な意味合いを持ち、心理的な境界がなくなっていることがどんな意味を持つのか、微塵も考えたことがなかったようだった。
「虐待」という言葉を法的用語として使う場合、つまり、虐待的であるとして起訴され罪となるような行動にのみ適用する場合、これらの密やかな関係性は、そこには含まれないことになる。しかし、密やかな関係性にはとても強い性愛的な要素が含まれており、関係の中に力の差がなければ起こりえないことでもある。私は本書を通じて、しばしば「虐待」という言葉を、明白な性的裏切りだけでなく、密やかな性的裏切りについても使う。しかし法的に虐待だと定義できるような関係性と、起訴されることはないが少年の心理性的(サイコセクシュアル)な境界を侵害するような裏切りとの差を示すためには、密やかな虐待には「境界侵犯(transgression)といった別の言葉を使う方が、より正確かもしれない。
しかし、法的な定義はいつも人間の実情にうまくあてはまるわけではない。Brooke Hopkins(1993)は、母親から受けた性的裏切りのことを著作で以下のように述べている。
彼女の行動が誘惑的だったといえるかどうかは重要ではない。それよりも、そこでは、自分の子どもを情緒的、身体的に搾取したということが重要なのだ。彼女自身の情緒的欲求・身体的欲求の充足のために、彼は利用された。これは、犯罪と見なされる行為ではなかったとしても(法律はこの種の行動を規制する手段としてはあまりに粗雑である)、やはり間違った行為だった。いくら受け身だったとか、ちゃんと知らなかったといっても、ごまかせるものではない。
p.45-47
- 作者: リチャード・B.ガートナー,Richard B. Gartner,宮地尚子,岩崎直子,村瀬健介,井筒節,堤敦朗
- 出版社/メーカー: 作品社
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