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標的の充足力、標的への敵意、標的の脆弱性 ~ 被害者学の視点から

デイビッド・フィンケルホー(David Finkelhor) の『子ども被害者学のすすめ』(森田ゆり/金田ユリ子/定政由里子/森年恵 訳、岩波書店)より

 

被害者学とは

 被害者学とは、犯罪や事故、自然災害などの被害者とその家族や遺族に注目し、被害者の救済支援、被害者の権利擁護をめざし、被害者の視点からの刑事司法や医療、心理、社会のメカニズムの解明など、あらゆる角度から研究する学問で、米国においても比較的新しい学問分野といえる。日本で被害者学が注目を集めるようになったのは1990年代からで、日本被害者学会は1990年に設立されている。
フィンケルホーは本書において、子どもの被害を専門的に、学際的に研究する被害者学を「発達被害者学」と名付けて提唱した。その必要性の論拠の第一は、子どもとは暴力などの対人関係における被害を最も頻繁に受けている人口層であるという統計上の事実にある。

 

訳者のあとがき p.207 

 

発達被害者学の定義と分類

 発達被害者学が研究対象とする対人関係における被害は、生活におけるほかの出来事とは一線を画す、一種の好ましくない人生経験だ。この被害は、相手である〈行為者〉が〈社会規範に背いて〉行ったということから個人に及んだ意図的な危害と定義されよう。人間による作用であること、規範にもとる行為であることから、被害を受けるとトラウマという大きな衝撃を受ける可能性が高い。

事故、病気、死別、自然災害といったストレスやトラウマと、被害とは異なる。これらの場合は「ハリケーンの被災者」、「がんの犠牲者」、「事故の犠牲者」と言うこともある一方で、〈被害〉とは、対人関係における被害を指し示すほうが一般的である。

事故・疾病・自然災害と比べると、悪意、裏切り、権利の侵害、不道徳といった要素が勝る。さらに、対人関係において被害を受けると特有の機関や社会反応とわたり合うはめになることもたいへん多い。警察、法廷、社会的取締り機関といったものや、正義を回復し罰を与えるために奮闘するといったことは、ほかのストレスやトラウマにはそれほど縁がないものだ。


対人関係における被害は昔から犯罪学の分野の研究範囲であるが、犯罪学者が子ども時代の被害に関して十分に研究をしてこなかった一つの理由は、子どもの被害は警察が取り扱うようないわゆる犯罪の分類に収まりきらないことであろう。

子どもも成人同様にありとあらゆる害を被っているというのに、人間による暴力的な行為や逸脱した行為が子どもに危害を加えても、その多くは犯罪としてうやむやなのだ。子どもに対する身体的虐待は建前では刑事犯罪であるにもかかわらず、起訴されることはそれほどないし、大抵は警察や刑事法廷ではなく社会的取締り機関が対応している。
子ども同士の暴行は、よほど深刻な事態か年長の子ども同士のケースでない限り、刑事司法制度は大抵素知らぬ顔だ。

 

発達被害者学という新分野をよりよく定義するために、子どもの被害を以下の三つのカテゴリーに分類することを提案する。


(1)警察が取り扱うようないわゆる犯罪(たとえば強姦、強盗、暴行)で子どもが被害者となった場合。これを〈犯罪〉と呼称する。
(2)子どもの福利状態を侵害する行為。これは虐待やネグレクトなどの子どもに対する最も深刻で危険な行為から、それよりあまり問題とされることがない子どもの労働搾取までを含む。これらを〈子どもの不適切な養育〉と呼称する。そして、
(3)成人間で犯されていれば明らかに犯罪であるが、子ども同士あるいは子どもに対して犯されているがために慣行として刑事司法制度の枠外に置かれる行為。きょうだい間の暴力や前思春期(9-12歳)の子ども同士の暴行など。これらを〈刑事犯罪ではないが未成年者に対する刑事犯罪相当の行為〉とし、略して〈非刑事犯罪〉と呼称する。

 

p.38-40


暴力被害について考えるための新しい概念的枠組み

 ティーンエージャーが苦しんでいる暴力被害を十分に説明するには、ライフスタイルと日々くり返される行動を基にした発想の枠組み自体が、大幅に修正される必要がある。親しい人による暴力被害となると、保護の欠如、危険に曝されること、そして危険が身近にあることなどの概念は、日々くり返される行動やライフスタイルの側面として見るのではなく、子どもを被害に曝す、あるいは被害から守る環境的要因として見る必要がある。

親がケンカしていたり子どもに注意が向いていなかったりして、子どもが性的虐待の危険に曝されているという状況は、保護の欠如が暴力被害へと繋がる環境的条件となる、それは、子どものライフスタイルや日々くり返される行動の問題ではない。

 

ティーンエージャーの暴力被害の危険を説明するライフスタイル理論によって強調される環境的条件に加えて、女性という性や感情的な交流の欠如といった個人の属性などが、いかに危険を増すかということに、もっと注目すべきである。個々の個人的性質が暴力被害の受けやすさを増大させている。それは彼らが本質的に危険であるからとか、日々くり返される行動を伴わないからということではなく、むしろそれらの属性が、個人の中にある危険な何かに関係したり、訴えかけたりするからである。その性質は、それらが暴力加害者の必要、動機、または心理的な脆弱性と出会ったとき、危険なものとなる。
つまり、ある種の暴力加害者は、被害者の中にある、ある種の性質に引き付けられ反応するので、それらの性質を持つ潜在的被害者はより被害を受けやすくなる。

 

このプロセスについての適切な用語は、「標的の合致」であろう。この用語は、潜在的被害者のいくつかの性質が、潜在的な暴力加害者の必要や心理的脆弱性と一致しているという事実を指しているからである。このプロセスは三つのより具体的な下位分類に分けられる。ここでは、標的の充足力、標的への敵意、標的の脆弱性と呼んでいる。


1.標的の充足力

被害者の持ついくつかの特性は──それらが暴力加害者が手に入れたい、使いたい、利用したい、または操作したいと思う性質であったり、所有物であったり、技術であったり、属性であったりするために──被害者をより危険な状況に追いやってしまう。

金や商品を手に入れることに関心を示す暴力加害者にとって、顕著に裕福な人や豪華な家は、その欲求を満たす対象となる。異性愛の男性性暴力加害者にとって、女性は、性的暴行という犯罪に適った標的である。その他の性暴力加害者にとっては、前思春期の子ども、またはある場合には、男の子がその欲求を充分に満たす対象となる。標的として魅力があることの日々くり返される行動理論に対応したこの考えは、明確に、この分類に当てはまる。

 

2.標的への敵意
被害者のある性質が、暴力加害者の怒りや嫉妬、破壊的衝動を引き起こしたり、所有物であったり、技術であったり、属性であったりすることによって、彼らの危険を増大させる。この分類の例は、民族的な性質または同性愛者であること、または柔弱だということである(嫌悪犯罪に関連する)。

偏狭な人または特定の少数派やごく少数の人々に対しても怒りを持っている人にとって、子どもがそのような民族集団に属していること、もしくは性的志向を持っていることで、彼らの敵意と子どもの性質との間に一致を作り出す。同様に、いじめっ子にとっても、彼らはその行為によって自分の独立と強さを証明する必要に駆られているのかも知れず、不安げにひっついている子ども──ママの子──は、彼らの敵意に合致する性質を持っているのかもしれない。親による暴行の場合、身体障害があってお荷物であったり、従順でなかったりといった性質は、一般的である。

 

3.標的の脆弱性
被害者の特徴としては、被害者の抵抗する力、つまり暴力被害を防ぐ潜在的な能力を低下させ、それゆえ被害者を、暴力加害者にとってより容易な標的にしてしまうために、危険を増大させることが挙げられる。子どもの暴力被害にとって、脆弱性の分類において典型的な危険因子は、身体的な弱さ、感情的な交流の欠如、または心理的問題という属性である。


これらの標的の合致という概念、特に標的の充足力という概念は、標的として魅力があることの考えと似ている点があるが、「魅力」という言葉は、明らかに誤った選択である。それを性的暴行犯罪に適応することは、被害学者らによって長く議論されてきた問題であるが、被害者は身体的なアピールをしていたのだというステレオタイプを強め、被害者を責める含みを持つ。

これらの概念の中で示唆される「引力」は、美しさではなく、むしろさまざまな要因、傾向、そして暴力加害者の反応性であり、従って合致の考えである。それゆえ、充足力は、それが一般的に望ましいものであろうとなかろうと、単に暴力加害者の特異な動機を満足させるものであろうとたくみに働き、標的が暴力加害者の探しているものに合致していることを意味する。

この場合、敵意は、従来通りの意味において、挑発を示唆するものではない。たとえば、暴力加害者の中に、赤ん坊が泣くことによって憤慨や、負担をかけられていると感じるような、なんらかの素因がなければ、泣いている赤ん坊が暴行を誘発することがないのと同様に、少数派グループの人々がそれだけで嫌悪犯罪を誘発するわけではない。


また例が示すように、標的の合致は犯罪ごとに、また暴力加害者ごとに非常に異なることに注意することが重要である。女性は、性的暴行や、異性愛男性による犯罪に対してかなりの充足力を持っている。しかし、男性同性愛者は男性にとって脅威とみなされるために、男性暴行者は、同性愛男性に敵意を持っているかもしれない。

不従順のような、親の標的敵意を増大させるかもしれない性質は、あったとしても、仲間による暴力被害の危険とはほとんど関係がない。身体的な弱さなど、いくつか一般化される標的合致の性質があるかもしれないが、これさえ多くの暴力被害においてはあまり重要ではない。

 

p.102-106

 

子ども被害者学のすすめ

子ども被害者学のすすめ

 

 

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