柴田朋『子どもの性虐待と人権 社会的ケア構築への視座』(明石書店)より
児童性的虐待という極端なトラウマ状態に襲われると、脳における感情のセンサーともいうべき扁桃体から、ある種のホルモンが放出される。そのホルモンは、直面する外界の情報(出来事)を、時間・空間的に整理して意識層に短期間登録する機能のある、脳の海馬体の神経細胞を破壊する作用がある。破壊された結果、「解離」という現象が起こる。この解離という神経細胞破壊現象において、被害に対する直観と知覚的感情が被害瞬間に麻痺する。
さらに重篤なトラウマ・被害によって破壊された海馬体は、被害事実を時間・空間的に整理して登録できずに、(被害者が性的虐待事実に向き合える年齢になるまでの)一定期間、被害記憶を喪失させる。
最も深刻なトラウマの場合は、被害時に他の人格を創り出して、自分とは別の人が被害に遭遇する心理設定をするという、「多重人格」と呼ばれる最も重篤な種類の解離現象が発生する。
こうして、子どもとしては即対処できない、過大な問題からとりあえず回避して、己の心の安定を「守る」機序が子どもには無意識に働く。従って、発達中の脳に半永久的な損害を与えられた児童性虐待サバイバーたちは、被害時点で解離症状が起きて無反応になり「凍てつく」ため、即逃げる・抵抗するという機能が生涯麻痺している。
子どもは、安全なはずの家庭において、保護者である親から性的暴力の被害に遭うと、即時に逃げようにも逃げ場がない(子どもが家出をすれば、父親以外の者からの人身取引の被害に遭う可能性が高い)。
そのため、子どもは虐待されずに育てられれば、普通は自然に、最も感覚的に身についていく、「性犯罪が起こりうる状況を直観的に察知する機能」を麻痺させて、生命線である親が性犯罪者である事実を意識化せずに、トラウマ記憶を隠蔽・喪失し続けて育つ。なぜなら、安全なはずの家が、常習的な性犯罪の現場である現実を意識したら、子どもは家の中で、極度の危険状況を常時察知して、常時パニック状態でいることになる。
このように危険状況を察知する機能を麻痺させて育った子どもは、成人後も、犯罪の危険を察知し、犯罪が惹起する前に逃げる機能の障害を強いられて生きる。
性暴力者たちは、危険状況を察知し回避する機能が麻痺したまま育ち、被害時点で解離症状が発生し、抵抗が著しく困難な近親姦サバイバーたちを、「落ち度・隙(すき)」があると見なし頻繁に性暴力の標的とするようである。このような被害を受けなかった女性たちより、性的攻撃(性犯罪)、身体的攻撃(傷害・暴行罪等)等の被害に遭う確率が、少なくとも二倍であるとの調査結果が出ている。
さらに、このようなサバイバーたちは、親による児童性虐待を受けなかった女性に比べて、(多くの場合詐欺や脅迫を用いる)ポルノグラフィー製作の標的になる確率が、四倍であるとの調査結果が出ている。この調査を行った北米の社会学者ダイアナ・ラッセルによれば、「(親が)子の信頼と未熟さを搾取した(性虐待した)結果、他人の信頼性を正しく判断する能力の障害が被害児に生じる。この障害のために、被害児はその後の生涯において性的及び非性的な虐待に曝されやすくなる」。
親による児童虐待サバイバーたちが、この類の被害に遭わなかった女性たちと比べて七倍以上の確率で、極度のうつ状態から自殺を試みている事実は、サバイバーたちが生涯を通して頻繁に、性的及び非性的攻撃の標的とされる不正な現実と深い関わりがあるだろう。
英語から由来した、日本語の「トラブル」という言葉は、人間関係上問題が生じ、関係する両者に責任があるとの意味合いがある。しかし、前記の通り、サバイバーたちは、児童期に受けた性暴力被害の痕跡としての自己防衛機能障害のために、攻撃欲・人権侵害欲の容易な標的になるのである。こうした再被害の現実に、「トラブル」という言葉・概念は、人権侵害被害者を非難し、障害者を狙う攻撃欲そのものを問題化しない社会イデオロギーを促す。
児童性的虐待被害者に配慮した社会をつくるためにはどうしたらよいのだろう。例えば、サバイバーたちが必要とする、身体距離を十分にとる習慣を社会的につくることだ。
例えば、通り過ぎる相手に場所を譲らない、特に人の背後ギリギリで通り過ぎて、その人の臀部(を覆う服)にかすれそうになる、向かいに座っている相手のすぐ前まで身を寄せて、股間を大きく広げて座る等、(特に女性の)身体的空間を尊重しない威嚇的姿勢が「男らしい」との風潮が、未だ特に高齢男性の間である。この相手の身体的尊厳を侵す態度は、以前に自己の身体的・性的空間を侵略されたトラウマのある児童性虐待のサバイバーにとっても、そうでない多くの女性たちにとっても不快である。
また、電車を二階建てにするなどして満員電車をなくし、エレベーターですでにあるように、一つの部屋に何人以上入れてはいけない等の法律をつくり(すでに北アメリカ等でこの法律はあり、各部屋に「何人以上入れたら連邦法違反」との表示プレートがつけてある)、日本においてよくある人間の「すし詰め」状態をなくしていく必要がある。
児童期に性犯罪被害に遭わなかった幸福な人たちにあわせて社会をつくるのではなく、児童性的虐待被害者たちが暮らしやすい社会にするよう配慮することは、この問題を常に認識する習慣をつくるから、児童性的虐待の防止にもつながる。
p.40-43
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