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なぜ子どもが犯罪被害に遭いやすいことが広く認識されてこなかったのか ~ 相殺される被害と加害

デイビッド・フィンケルホー(David Finkelhor) の『子ども被害者学のすすめ』(森田ゆり/金田ユリ子/定政由里子/森年恵 訳、岩波書店)より

 

メディアによって未成年被害者よりも未成年加害者に対して焦点があてられる問題

大半の米国人には、子どもは弱い存在であるという一般的な理解はあるにもかかわらず、子どもが最も犯罪に遭っているという事実は広く認識されていない。

他のことがらと比較してみよう。たとえば、マイノリティはより犯罪に遭いやすく、女性は性暴力により遭いやすい。また、高齢者は犯罪に対して最も恐れを抱く年齢層であるが実際にはハイリスク層ではない。子どもが犯罪被害に遭いやすいという事実は、なぜもっと公に、また広く認識されてこなかったのだろうか。いくつかの要因があると考えられる。


一つは、子どもが被害に対し、ハイリスクであるという結論を示すデータを得ることがむずかしいことにある。それは今日の公的な統計が不十分であることに由来する。
(中略)

子どもが犯罪被害に遭うハイリスク層であるという認識を妨げているのは、未成年者被害者の統計が分散していることにある。(米国では)身体的虐待、性的虐待とネグレクトの統計を収集し報告する組織と、犯罪統計を扱う組織が別々なのだ。


しかし最大の問題は、統計とは何の関係もない。問題は、未成年者と犯罪の問題について、メディアと社会の生み出すステレオタイプである。大抵の場合、犯罪が未成年者に関わるときは、未成年被害者ではなく、未成年加害者に焦点をあてられる。

 

実際、未成年加害者の問題は代表的な悪評高いトピックとして、メディアにおいても一般認識においても受けとめられている。米国人なら誰でも、未成年加害者が相当に多いことを知っているが、未成年被害者の多さについては知られていない。

事実、世論調査が通常示すところによると、世論は未成年者の犯罪率を誇張して認識しており、未成年者による犯罪は、暴力犯罪の18パーセントであるという事実よりはるかに多いと考えている。大半の人々は未成年者の犯罪は1990年代の後半に急増したと信じているが、実際はその時代は世紀を超えて最も犯罪率が低下した時期なのである。

 

未成年加害者の問題に焦点をあてたがり、全般的な社会の不安を未成年者による犯罪のせいにしたがる文化において、未成年被害者の数の多さにも同様に問題の焦点をあてるよう、世論を動かすことはむずかしいのかもしれない。

 

 p.16-17

 

公的機関による「非行問題」への対処に関わる問題

 保護の分野においても、子どもの被害者と加害者への対応の差は、公的施策レベルにおいて明白な対照を示している。

 

子どもと犯罪に携わる米国連邦政府機関は、子どもの正義と非行予防局(Office of Juvenile Justice and Delinquency Prevention)である。

その名称にもかかわらず、この政府機関は、最近ではある程度は加害者同様に被害者への関心を示してきてはいるが、予算と書類の大半を非行問題が占めている。

 

日常用語で「正義を授与される」と言うとき、人は被害者のことを念頭に置くことが多いにもかかわらず、「子どもの正義(Juvenile Justice)」という用語は、興味深いことに法制度においては未成年加害者への対処についてのみ言及されてきた。警察や裁判所が未成年被害者に関与する際はその用語や制度が使われることはほとんどない。

 

p.18-19 

 

学問領域における未成年被害と未成年加害への対照的な対応の問題

子どもの被害と子どもによる加害への対応のきわだった対照は、学問領域においても見られる。たとえば、ほとんどすべての大学が未成年加害と少年法についてのコースを社会科学カリキュラムの基礎としておいている。

一方、未成年被害者や子どもの虐待についてのコースははるかに少なく、専門的にソーシャルワークを学ぶ大学院レベルにのみ設置されている。

非行問題、少年法、未成年者による犯罪のコースは、使われている教科書を見ると、未成年被害については、なぜ加害者が形成されたかについて検討した部分以外は、ほとんど言及されていない。いつくかの教科書では、全く触れられていない。


米国の大学でそのコースを選択した彼らの多くは、教育、ソーシャルワーク、司法、そして医療の分野に就職の進路を定めていく。これらの分野では被害と加害の両方に対応せざるをえないにもかかわらず、学部学生に対して、未成年被害よりも未成年加害について理解することがより必要だと考えられているのはなぜなのだろう。

対照的に、女性と犯罪についてのコースでは、女性の被害と加害の両方をそれなりにどちらも提供している。

 

p.19 

 

非行とは被害の結果の一部なのだろうか

もし、非行件数が被害件数より多いと言えないのだったら、非行問題が大きな関心を集めてきたのはなぜだろう。

被害より加害に優先的関心を示す理由の一つは、非行についての関心とは、同時に被害についての関心でもあるという考え方である。つまり、非行への関心は被害を無視するのではなく、むしろ被害への憂慮を含むものである。

非行問題を研究し解決することは、同時に被害の諸問題を解明し解決しようとすることである。多くの未成年被害が他の未成年の手によって起きている。ならば、被害問題を別のトピックとして考える必要がなく、もし別にしたとしても、被害者が無視されていると思うのは大げさであるという考えになる。

 

この考えは抽象的には真実の部分があるが、実際は事実ではない。実は、非行についての研究や論文で被害者について触れているものは極めて少ない。同時に、非行に対応する公的施策で、被害者の治療回復の援助を含むものは極めて少ない。

また同じように、非行防止策などでもいかに被害者を活用し、援助するかを考慮しているものはわずかである。加害者に対処する少年法制度において、被害者の役割や彼らがどう対応されているか議論されることは少ない。


しかし、被害者は未成年加害問題の間接的な要素ではない。家族の一人ががんやメンタルな病にかかったとき、家族が間接的な影響を受けるのとはかなり違う。ここには明らかに未成年加害分野における被害者への無関心がある。


大半の未成年被害は他の未成年の手によって起きていないという現実的な立脚点が、最も重要である。警察の把握する子どもが被害に遭った事件の加害者の約半数は大人である。

未成年加害問題への関心が未成年被害問題をカバーするわけではない。未成年被害問題にも、未成年加害問題と同様の注目が必要であると言えよう。

 

(中略)

 

子どもが極めて暴力に遭いやすい存在であることや、必要以上の関心が未成年加害者に向けられていることを考えると、子どもの被害に対する無視は特異な現象である。

 

女性への犯罪が何世代にもわたって無視され続けた末に、今や、女性への犯罪に対しては極めて強力な政策上の力を達成したことと比べると興味深い。女性への犯罪は連邦政府の犯罪被害者局(Office of Victims of Crime)から多大な注目を受けている。女性たちは、歴史の中で矮小化されてきたひどい犯罪、レイプやドメスティック・バイオレンスなどに苦しんできた。


p.21-24 

 

子ども被害者学のすすめ

子ども被害者学のすすめ

 

 

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