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”子どものころに性虐待を受けたあなたへ”

グループ・ウィズネス編『性暴力を生き抜いた少年と男性の癒しのガイド』(明石書店)より

子どものころに性虐待を受けたあなたへ


子どものころに性暴力に遭った場合、その当時は性虐待を受けたのかどうかよくわからなかった人もいるかもしれません。何が虐待なのかという知識がないため、父親が自分の性器をさわるのはどこの家庭でも行われることだと思っていたり、体をさわられたり、その人の言うとおりにするとほめてもらったり、特別に遊びに連れていってもらえたりした場合、そのときはその行為が虐待だと理解していなかったとしても当然です。


しかし、そのときよくわからなかったとしても、性的に利用され、侵害された経験は、大人になっても残るような、長期的で根深い被害をもたらすのです。人間関係での難しさや、自己肯定感の低さなどさまざまな問題が生じるかもしれません。


性虐待は、子どもの未来を奪う危険な加害行為なのです。


また、子どもだったあなたは、助けを求めることもできず、孤独だったかもしれません。言葉を十分習得していないため、自分に起こったことをどう言葉で表現していいのかわからなかったかもしれません。

それに加害者から、このことは誰にも言わないようにと言われていることがよくあります。持っているのもいやな、でも言ったら周りを傷つける「秘密」を持たされて、それは大きな恥と孤独感をもたらしたでしょう。

 

あなたはほんの子どもだったのです。誰にも言えなかった自分を許してあげてください。


性虐待は、さまざまな相反する感情を引き起こします。そのため非常に混乱し、自分の感情が信じられなくなったかもしれません。性的な行為は気持ちがいい感覚が伴うことも多く、虐待の行為はいやでも、行為自体は気持ちがよかったと感じた場合、非常に混乱するものです。

この相反する感情をどうしていいかわからず、「あれは自分も望んでいたんだ」と考えることで納得しようとしたかもしれません。

加害者が親しい人だった場合、加害者を好きな気持ちと憎しみの気持ちを両方持つかもしれません。

 

このような相反する感情は、どちらも自然な感情です。性的な刺激にからだが反応するのも自然なことです。そして、あなたを侵害する性虐待がいやだったと思っていいのです。いつもやさしくしてくれていた加害者を慕う気持ちを持つのは当然です。しかし、その加害者がとった行動に怒りを覚えるのも当然です。

 

あなたは自分を責めてしまったかもしれません。私たちの社会では、子どものころから男は強くあるものと思い込まされているため、たとえ加害者が大人だったり、自分より強い人だったとしても、自分が加害者を止められるはずだと思い込んで、自分を責めてしまいます。

 

子どもだったあなたは、どれだけ小さかったでしょう。自分を守る術もなかったでしょう。知恵も限られていたでしょう。利用できる資源も限られていたでしょう。逃げることも難しかったでしょう。経済力もなかったでしょう。

あなたは子どもだったのです。加害者は、あなたの能力が限られていることをいいことに、あなたを虐待したのです。あなたはそのときできることを十分したのです。たとえそれで虐待を防げなかったとしても、あなたのせいではないのです。

 


p.54-55 

 

 

 

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