ボストン・グローブ紙《スポットライト》チーム[編]『スポットライト 世紀のスクープ カトリック教会の大罪』(有澤真庭 訳、竹書房)より
「私の知る修道女は全員、教会のねずみに負けないくらい貧しかった。一方で司祭は、キャディラックを乗り回していた。修道女たちは健康保険さえろくに入れないという記事を読んで、不平等さに猛烈に腹が立ったのを覚えている」
1978年に地方検事に初めて選ばれたあと、バークは虐待事件について話しあうため、地元のモンシニュールを訪ねた。その時のことをこう語る。
「彼はいい人物でした。私を昼食に誘ってくれ、教区司祭館のなかは、それは豪華でした。高価な陶器とパリっとした白いリネンの整ったテーブルに着いたモンシニュールが、何かを所望するたび小さな銀の鈴を鳴らして、召使いよろしく年寄の家政婦が足を引きずって入ってくる。私がまじめな議論を試みるたび、モンシニュールは鈴を鳴らし、小柄な老女がやってきては彼の勝手気ままな要求に応えていた。席についたまま、私は司教たちが自分たちに科した生活レベル、暮らしぶりの豪華さに目を瞠り、さらには彼らにそんな特典を許したのは我々信徒であり、誰も『おい、それは間違ってるぞ。こいつらはこんな風に暮らすべきではない。尼僧たちは健康保険すら入っていないのに』と言わないことに、呆然となっていました。だが私がその日、鈴を鳴らし続けるモンシニュールのかたわれで悟ったのは、教会のヒエラルキーが、どれほど雲の上のものとなってしまったかでした。彼らは孤立して暮らし、完全に一般信徒の暮らしと切り離されてしまった。そして私たちはそれを許してしまった」
(中略)
2000年、教会の臨時雇いで、最終的に20人以上の子どもをレイプしたり、いたずらをした罪を認めたクリストファー・リアドンを、バークの事務所が起訴した。
「教会は、協力的とはほど遠かった、控え目に言えば。だが私を本当に打ちのめしたのは、大司教区とのやりとりで、彼らが被害者をこれっぽっちも気にかけていなかったことです。虐待で人生がひっくり返ってしまった年少者たちへの、ほんのささいな気づかいひとつなかった。あとから思えば、教会の指導者たちが、自らの道義的責任を果たし損なったことに慄然とします。現在、大司教区は協力的だ。だが彼らは、世間の反応を感じとっていたからで、子どもたちに悪いと思ったからじゃない。捕まったことを悔やんでいたんです。枢機卿と他の面々が一度でも本当に、自分たちの相手が子どもだということがわかっていたとは思えません。今でも見えていないでしょう。彼らは成人が名乗り出ているのを見ているのであって、忌むべき行為がなされた子どもとは見ていない」
教会のヒエラルキーが、性的虐待被害者への同情に欠けていたのは、司教たち──鈴鳴らしのモンシニュールのような──が、完全に浮き世離れしていたことの証拠に、バークは思えた。レイリー検事総長も、ロウ枢機卿がゲーガンに宛てた「神の恵みを、ジャック」のへつらった手紙を読んだとき、同じ結論に達した──「枢機卿は被害者に、あのような手紙は書かなかった」。
まさしく、ロウと大司教区が虐待司教を甘やかす一方、被害者を厄介者扱いする徹底ぶりに、レイリーは心底ぞっとしたと言った。
「本当にむかつくのは、彼らに比らべれば、とるに足らないことをした人々に、教会がどれほど冷酷かつ不寛容だったか、知っているからだ。離婚したカトリック教徒を賤民扱いし、教会での再婚を許さない彼らを見てみたらいい。ゲイの人々にどれほど不寛容で手厳しいか、見るといい」
72歳の修道女、シスター・ジャネット・ノーマンディンが二人の少年を洗礼したため、ボストンの南端にある受胎告知教会のイエズス会アーバン・センターから追放されたという記事を、レイリーはニ年前に読んで覚えている。教会法は、司祭または許可を受けた助祭──唯一絶対的に男性──のみが洗礼式を挙げられると定め、シスター・ノーマンディンに二度目のチャンスは与えられなかった。「人生を教会に捧げた尼僧だぞ」レイリーはそう息まく。「ひるがえって、彼らが子どもをレイプした司祭の扱いを見てみろ。我々は『虐待』というい言葉を使う。穏当な、当たり障りのない言葉だ。多くの場合、虐待ではない。レイプだった。彼らは子どもたちをレイプしていたんだ。憤りはどこに? 道徳上の怒りは? 教会の不寛容と偽善が、その中心にある。これらすべてが私をぐつぐつ煮え立たせるんだ。子どもたちをレイプした者を隠蔽し、他者を容赦なく断罪する、その偽善ぶりに、ただただ恐れ入るよ」
p.201-204
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