森田ゆり『子どもと暴力 子どもたちと語るために』(岩波現代文庫)より岩波現代文庫版あとがき、デービッド・フィンケルホーとの対談
森田 司法面接とは主として性的虐待を受けた子どもから、①虐待が虚偽の訴えではなく、実際に起きたことを確認するために、②被害児の証言が誘導されたものでないことを明らかにするために、③性的虐待の事実を被害児が何度も違う人に語らなければならないことで起きる二次被害を最小限にするために、一度だけ面接する目的をもっていますね。
わたしも、チャイルド・アドボカシー・センターのモデルを使って司法面接を行うために設立されたアメリカのNPO団体を訪れて、その方法や効果について学んだことがあります。
児童保護局、警察、検察、医療、教育、市民グループなどさまざまな分野の子ども虐待問題に対応する分野が力をあわせて地域にNPO団体として設立されたセンターで、他分野のスペシャリストが一堂に会して虐待ケースのアセスメント、調査、処遇、治療、起訴などについて相談する場となっていることが見事だと思いました。
日本にも司法面接は紹介されていますが、法的整備ができていないので、その有効な活用がされていません。
デービット チャイルド・アドボカシー・センターでは、被害を受けた子どもが安心して話ができるように、建物や部屋も工夫をしています。訓練を受けたインタビューアーが子どもが安心して話せるような聴き方をします。裁判で子どもが証言しなければならない場合、時間を短くすることなどの工夫がされています。
森田 性的被害の中には、子どもが学校で教師から受けるセクハラも起きています。子どもは教師を告発することをためらいます。たとえ訴えても、学校が問題にしたくなくて聴かなかったことにしてしまうケースもよくあります。
デービット セクハラは身近な関係にある個人と個人の境界線の問題です。教師は子どもたちと非常に近い関係を持つ仕事であるという認識がまず必要です。親密な関係であるからこそとても強い感情を生む。教師にとって、ときには生徒にとっても、それは性的な感情であったりロマンティックな感情であったりする。そういう感情も生まれてくる。
研修が不可欠です。研修の中でそういうことが起こりうると予見し、そうなった時の対応、スキルを研修すること、学校における明確な基準を確立しておくことが必要です。
森田 意識を変えるためには啓発、教育、研修と同時に法律の制定も重要ですね。日本ではDV法が2001年に成立し、内閣府が精力的に啓発、教育、研修を推進したことで、DVに関する社会意識はこの10年で大きく変わりました。
子どもの虐待も児童虐待防止法が2000年成立しましたが、アメリカのように虐待の発生件数が減少するに至るまでは、まだまだ国をあげての取り組みが必要です。予算的にも、法制度的にも、あまりに不十分なのが現状です。
p.286-288
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