デイビッド・フィンケルホー(David Finkelhor) の『子ども被害者学のすすめ』(森田ゆり/金田ユリ子/定政由里子/森年恵 訳、岩波書店)より
こんなに多くの子どもがこんなに多種の被害を経験しているからには、少なからぬオーバーラップがあるはずだ。不幸なことに、子どもの被害の研究分野のタコ壺化が、どれだけのオーバーラップがあってそれがなぜ起こっているのかの探索の障壁となっている。
たとえばデート暴力など、一つの種類の子ども被害しか念頭にない施策検討者や政策決定者は、あたかもその被害が、子どもが被る主要な被害あるいは唯一の被害であるかのように、その領域だけの推計値や研究を並べ立てる傾向がある。
一つの種類の被害に特化した調査では、ほかの被害について尋ねることがほとんどないため、そうなりがちだ。
子どもの不適切な養育についての調査は、身体的虐待や性的虐待などを複数回答形式で行っているものもあろう。ほかの調査、例えばNCVS(全国犯罪被害統計調査)では、いわゆる犯罪について、強姦、強盗、加重暴行などを複数回答形式で尋ねている。
しかし、その調査では、子どもの不適切な養育の被害や、いわゆる犯罪の被害、家庭内やコミュニティにおける暴力に接しているかなど、被害について幅広くあるいは包括的範囲で尋ねることがない。
それでも、大部分の未成年被害者は多重的に被害にあっていることがわかっている。私たちはこれが事実かどうかを確かめるために、子どもの被害34種について尋ねる質問票を開発した。未成年者被害質問票(JVQ)というものだ。大きく分けて5つの被害分野、いわゆる犯罪、子どもの不適切な養育、同年代の子どもやきょうだいからの虐待、性的被害、他人の被害の目撃/間接的被害について尋ねている。
(中略)
2-10歳未満の子どもも10-17歳未満の子どもも、高い頻度で被害に遭っていることがわかった。調査対象者の71パーセントが過去1年間に最低1回は被害を受けていた。
さらに重要なことに、多重の被害を受けていることも非常に多いと判明した。
私たちは、子どもが1年間のうちに異なる種類の被害を異なる期間に経験することを多重被害と定義した。すなわち、暴行と強盗の被害をそれぞれ異なる機会に受ければ、その加害者が同一人物だったとしても、それは多重被害とするが、暴行を2回受けたときは、その加害者が同一人物でもそれぞれ異なる人物でも、これを多重被害とはしなかった。
この地味なカテゴリー定義方法をとったのは、異なる種類の被害を受けるほうが同一タイプの被害をくり返し受けるよりも影響が大きいようだということがわかっていたからである。過去1年間になんらかの被害を受けた子どもの3分の2は、2種類以上の被害を受けていた。過去1年間に被害を受けた子どもの平均被害種類は3、総被害種類は最高で15種類であった。
なんらかの被害を経験している子どもは明らかに、ほかの種類の被害も経験していることが多い。たとえば、ある子どもが養育者から身体的暴行を受けている場合、養育者からの身体的暴行被害を受けていない子どもに比べ、その子どもが同年代の子どもから暴行を受けている可能性は60パーセントも増える。ほかの研究でも同様で、一つの被害を受けていると被害リスクは連鎖的であることが明らかになっている。
専門家は、多重被害を経験している子どもに、特に関心を向けるべきだ。ほかの分野では、逆境が多重交差すると、往々にして単独のストレスフルな出来事よりはるかに大きい影響を及ぼすことが広く認識されている。たとえば、いくつかの精神科診断(併存症診断)がついているクライアント、あるいは、数種類の薬物乱用者(多薬物使用者)は特に困難な治療問題を伴う。子どもの被害者についても同様であると信じるに足る理由は枚挙にいとまがない。
これらの多重に被害を受けている子どもを多重被害者(ポリヴィクティム、polyvictims)と呼称することを私たちは提案する。多重被害者についてのさらなる調査により、その特に高い被害率、脆弱性、精神的苦痛を明らかにできると私たちは考えた。
(中略)
重大な被害だからと言って一種類の被害だけに目を配るのではなく、前にも増して専門家が子どもに目を配るべき点は多重被害であろう。
私たちの分析からは、多重被害はメンタルヘルスの問題や予後の悪さに最も密接な関わりを持つことや、多重被害者は多大な精神的苦痛を隠し持っていることが示唆される。
実際に多重被害の概念を導入すると、苦痛と単独被害との関連はなきに等しいことが多い。つまり、被害一種類だけを経験した子どもは、それがいじめであろうとたとえ子どもの不適切な養育であろうと、被害から回復できるように見受けられるが、複数の加害で受けた多種類の被害を経験した子どもは深みにはまり、下降スパイラルから抜け出せない兆候がある。支援しようとする者は、このことを大いに気にかけるべきだ。
私たちが多重被害について理解を深めるにつれ、これまで全般的に被害について構築してきた前提をいくつか変える必要も出てこよう。
被害とは多く場合ストレスフルあるいはトラウマ性の出来事とされてきた──これは被害研究が外傷後ストレスについての文献を多く参考にしてきたことの遺産でもある。
最も早くから詳細に研究された被害経験は性的暴行だ。性的暴行は個人にふりかかる非常に脅威となる経験で、普通の人間は圧倒されてしまうことが多い出来事とされている。だが、被害についての調査が拡大するにつれ、多くの被害者は時間の経過とともにくり返し被害経験を持つ傾向があることを私たちは理解するようになった。
たとえば、校庭でいじめられる子どもは何度も何度もいじめられたり、親に虐待される子どもはくり返し心理的・身体的に虐待されたりする。
また現在では、多くの子どもが多様な被害を受けやすいこと、たとえば、殴られかつ性的暴行を受けかつ金品をまきあげられるといった被害を比較的短期間のうちに受けやすいことがわかってきた。
このことからは、一部の子どもにとって被害とは、出来事というより状態といったほうがふさわしいということが示唆される。
状態とは持続する現在進行形の過程であり、一方出来事は時間に区切りがある──たとえて言うなら、テストに落第するのと進級に失敗するのとの違い、あるいは、虫垂炎のような急性疾患と糖尿病のような慢性疾患との違いのようなものである。
実は子ども被害にかかわり合う専門家が直面する診断上の最も重要な問題の一つは、被害が出来事にすぎない子どもではなく、被害が常態化している子どもの見極めだ。このような子どもは異なる特徴と異なる予後を持つものと予測すべきなのだ。
p.55-60
- 作者: デイビッド・フィンケルホー,森田ゆり,金田ユリ子,定政由里子,森年恵
- 出版社/メーカー: 岩波書店
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