アニタ・ロバーツ『自分を守る力を育てる セーフティーンの暴力防止プログラム』(園田雅代 監訳、金子書房)より
境界線とは何か
境界線とは、私たちのまわりにある目に見えないフェンス、「力を及ぼすことのできる領域」であり、自分の感情的、身体的なスペースを侵害されたとき、そのことを教えてくれる情報システムです。
子どものときに繰り返し境界を侵入されたなら、このフェンスはおそらくダメージを受けているでしょう。このダメージはさまざまなやり方で生じます。
たとえば、子どもに対し「悪い子」とか「ばか」「怠け者」と罵ることは、子どもの感情的な境界線を傷つけ、大切に扱われる権利なんて自分にはないと子どもの自己評価をさげてしまいます。度を超えた愛情表現(子どもがそういう気分でないときに、息もできないくらいに抱きしめたり、キスをすること)は、誰からどのように触られるか、自分でコントロールすることを子どもの手中から奪うことになります。これでは、子どもが不適切に身体を触られるリスクを高めてしまいます。
体罰はどのようなものであっても、子どもの境界線を壊してしまいます。言葉による愛情表現であっても、子どもが望んでいなければ境界線を不確かなものにします。
さらに、身体的虐待、性的虐待は、子どもの境界線に深刻なダメージを与えます。繰り返し境界線を侵された子どもは思春期を迎えるころまでに、通常、以下の二つのどちらかの方法でそのダメージを乗り越えてきたのでしょう。
1.境界線がまったくないか、手遅れになるまで自分の「警報」を感じ取ることができない人。このような人は断り方がわからず、何度も繰り返し他人にうまく利用されてしまいます。言語面、身体面で、自己開示してもいい安全な相手が誰かという感覚がないため、自分で自分の境界線を侵してしまうことすらあるのです。
たとえば、誰かに個人的なことを打ち明けたら、後でその情報をうまく利用されたような体験があなたにはあるでしょうか。この状況は、相手が信頼してよい安全な人間かどうか、その人との境界線について検討するのに格好な例と言えます。
2.誰もなかに入ってこられないように、自分のまわりに厚い壁をつくる。こういう人はひどく孤立し、壁のなかにいる本人も外に出られなくなってしまいます。そこに縛られた状態になると、もはや安全な城塞にいるのではなく、監獄にいることになってしまうのです。
たとえば、誰かに対する自分の本当の気持ちさえ信じることができず、孤立しているとか、一人ぼっちだと感じたことがありますか。これは、自分を壁のなかに閉じ込めている人の例です。
もしあなたがこのように感じているなら、自分の境界線をほんの少し広げることができるかどうか、そうしても安全と感じられる範囲内で検討してみてください。
健全な境界線とは強いものですが、同時に柔軟性もあります。状況や、その時々にどう感じたかによって、健全な境界線は変化するのです。自分の境界線を決めるのは自分しかいないということを覚えておいてください。
p.145-146
奪われた言葉
境界線がダメージを受けていると「いや」と言えないように感じられます。これは女の子や女性に非常によくあることです。
なぜなら女の子は「言うことをおとなしく聞いて、不満を言わないのがいいんだよ」というメッセージを繰り返し、あたりまえのものとして伝えられているからです。
異議を唱えたり、抵抗したり対立したりすると、女の子や女性は非常に不安になりがちです。身体的な危険や、自分を見失うような状況に直面したときでさえ、「いや」と言うのを難しく感じとることがあります。
ある意味、女の子の育て方、教育方法は、彼女から「いや」と言う能力を奪ってしまうのです。その結果、女性は自分のしたくないことをするはめになってしまいます。
性的な初体験で、「自分が積極的にその選択をして、自分のものとして体験できた」と言う女性はまれです。
多くの女性は、1999年に行ったアサーションのワークショップである看護師が言ったのと同じような体験をしたと言うでしょう。「私は、自分とセックスをしようとしたはじめての男の子と初体験をもちました。私のしたいことではありませんでしたが、だからといって彼に強要されたわけでもありません。ただ、自分が〈いや〉と言わなかっただけです」。
p.155
境界線について覚えておくべきこと
1. あなたの情報は、あなたのものです。相手とどんな情報を共有するかについて、あなたは自分で選ぶことができます。プライベートなこととして侵されたくない部分を保持することは、秘密をもつこととは違います。
あなたの境界線が何か、相手と共有するものは何かが明確になっている状況にもかかわらず、後になってけんかしたとき、あなたを攻撃するためにその情報が使われたり、あなたの許可のないままに誰かにそのことが伝えられたりしたならば、あなたの境界線はその相手から尊重されていないことになります。
2.ゆっくり進めていくことが重要です。あなたの心の最深部にある秘密を打ち明けても安全な相手かどうか、そのことを確かめるのは簡単ではありません。とくにまだよく相手を知らない場合には困難となります。
3.よくわからないときは、自分の身体にたずねましょう。境界線のなかに侵入されると、身体は本能的に反応するはずです。みぞおちあたりが締めつけられる、息が切れ切れになる、呼吸が浅くなる、手のひらが汗ばむ、手を握り締めるなどは恐怖や不安の兆候です。
怒りの兆候には、歯を食いしばる、胃が緊張する、拳を握る、息が切れ切れになる、呼吸が浅くなる、などがあります。意識しないまま思わず縮み上がったり、すくんだり、後ずさりするかもしれません。わなにかかったような感じや、隅に追い込まれた感じになるかもしれません。
4.自分の境界線とのコミュニケーションしましょう。人は、相手の心を見透かせるわけではありません。相手はあなたとの境界線がどこにあるかをわからないので、自分の境界線をあらかじめはっきりさせることが重要となります。
事前に境界線について考えておき、どこまでが自分の限界かを決めておくことも、同様に重要です。そうすれば準備しておくことができるわけですから。
p.158-159
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