アンデシュ・ニューマン、ベリエ・スヴェンソンの『性的虐待を受けた少年たち ボーイズ・クリニックの治療記録』(太田美幸訳、新評論)より。
私たちのところにやって来る少年たちの多くは、トーマスのように、男性から性的虐待を受けたことによって、自分は同性愛者なのではないか、あるいは同性愛者になったのではないかという不安に悩んでいる。ある少年は、それを「ゲイのウィルスに感染した」と表現した。こうした不安は、とりわけ年長の少年たちにとっては深刻である。
もちろん、少年たちが同性愛者になる可能性があることを無視してはいけないし、そのことで彼らが自分を責めることがないように注意する必要はある。子どものころに性的虐待を受けた成人男性の多くが、虐待者が男性であったか女性であったかにかかわらず、自分の性的指向がわからなくなり混乱したと語っている。
ロジャースとテリーの研究(Rogers & Terry, 1984)では、同性愛的な虐待の被害にあったことのある少年全員が、自分の性的アイデンティティに関する混乱や恐怖心をあらわにしたという。
また、この研究によれば、こうした混乱は、なぜ虐待者が自分を選んだのかという疑問、自分自身は気づかずにいた同性愛的指向を虐待者が発見したのではないかという懸念、自分が行為を拒否できなかったという無力感と関連しているという。
p.212-213
グループ・ウィズネス編『性暴力を生き抜いた少年と男性の癒しのガイド』(明石書店)より
私たちの社会にある同性愛や性暴力についての無理解のために、性暴力を受けるのは同性愛者だけだと誤って信じている人も多くいます。そのため、あなたが異性愛者だったとしたら、被害を受けた自分は同性愛者なのか、もしくは同性愛者になってしまったのではないかと混乱してしまうかもしれません。
性暴力や性虐待を受けた男性サバイバーの多くが、自分の性について混乱し、不安になります。あなた一人ではありません。特に、それが性的な刺激に対するからだの自然な反応にもかかわらず、男性の加害者から被害を受けたときに性的な興奮を感じてしまった男性サバイバーは、自分が同性愛者なのではないかと混乱することがあります。
あなたが男性、女性、どちらの性を好きになるかということと、性暴力を受けてしまったことは関係ありません。加害者があなたのからだにしたことがあなたの性指向を決めるわけでもありません。
実際、私たちが性的に異性に惹かれるのか、同性に惹かれるのか、もしくは両方の性にひかれるのかがどのように決まっていくかまだよくわかっていませんが、性虐待や性暴力があなたを同性愛者にするわけではないことは明らかです。
あなたがどんな性を好きになるかは、自然に決まっていくもので、また変わっていく場合もあります。異性よりも同性が好きだとしても、決してあなたがおかしいわけでも病気でもありませんし、性暴力を受けたからでもありません。
あなたが同性愛者だったら、自分が同性愛者だからしょうがなかったのでは、と責任を自分に向けてしまっているかもしれません。また、これは同性愛者として普通のことなのかもしれないと思っているかもしれません。しかし、それは間違いです。男性の同性愛の文化として、男性は性的に奔放であることが当たり前だと思っている人もいるかもしれませんが、性暴力は性的に活発なこととまったく関係ありません。
また子どものころの性虐待が自分を同性愛者にしたのではと誤って信じているかもしれません。そのため、自分が同性愛者であることをうまく受け入れられず、苦しんでいるかもしれません。
性暴力があなたの性的な好みを決めるのではありません。また、同性愛者の男の子は自然と男性に惹かれていきますが、それを利用して子どもを性的に虐待することは何があっても許されないことです。
どんな性的な行為でも、あなたの意思を尊重しないような性行為は暴力です。
p.46-47
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性暴力を生き抜いた少年と男性の癒しのガイド (性虐待を生きる力に変えて) (性虐待を生きる力に変えて―大切な存在であるあなたへ)
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