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「私は生きるか自殺するか決めなきゃいけないの?」 ~ 宗教指導者による子どもへの性的虐待とその影響

ピア・メロディ『児童虐待と共依存 自己喪失の病』(内田恒久 訳、そうろん社)より。ピア・メロディは共依存やトラウマの治療施設「メドウズ」の責任者。

宗教代表者から身体的・性的・もしくは情緒的虐待を受けることは子どもにとってとても悲惨なことだ。化学物質嗜癖、食べ物嗜癖、それに加えて共依存の治療のためにメドウズに来る患者の中にも、相当数の人が男性や女性のスピリチャルな指導者や宗教指導者から性的虐待を受けたと述べている。医者やカウンセラー、治療者それに援助職にある他の人たちから虐待が行われることもある。

 

宗教の指導者といえどもセックス・アディクションになるのを免れない。それに、とても傷つきやすい多くの人々がスピリチャルな保護と指導を求めて宗教専門家のところへ内密にやってくるから、セックス・アディクション宗教的な背景が隠れみのになりやすいと私は考える。

宗教の指導者は比較的安全にかつ隠密にこれらのとても困った人たちに対して自分のセックス・アディクションを行動に移すことができる。宗教の指導者にそのようなことが起こるなんて誰も考えないからだ。犠牲者は性的加害者を告発することには強い抵抗がある。また、たとえ虐待を受けたその人が実際に誰かに話しても信じてもらえないのだ。

 

親から受けたスピリチャルな虐待と対照的に、宗教の専門家は通常はその子どものハイヤーパワーとはならない。しかし、そのスピリチャルな指導者は神の代表者であるから、その虐待の発生を許したことでその子どもが神を憎んだり神に腹を立てたりすることがよく起こる。

あるいはその子どもは恐れて、「ハイヤーパワーと結ばれているといういことは、起きたことがもとで自分が傷つけられることなのだ。そしてハイヤーパワーが私にそんなことが起こるのを許したので私はハイヤーパワーを恐れる」という受け止め方をする。

 

宗教の代表者からの性的虐待はことのほか破壊的だ。私は宗教の代表者によって性的虐待を受けた多くの人を取り扱ってきて、このようなことが起こるたびに、深刻な不道徳な行為が行われていると考える。多くの犠牲者は回復のある時点で「私は生きるか自殺するか決めなきゃいけないの?」という疑問と苦闘しながら、生死の間をさまよっていることに私は気づいた。

ほとんどの時間は彼らも意識的に自殺と格闘しているわけではないが、自分たちの過去と直面すると、生死に相当する重大な問題を相手にしているということが明らかだ。

 

治療において性的虐待の問題が表面化すると、これらの患者はすでに強烈なトラウマと苦しみを感じることが多い。神の代弁者がそれほど恥知らずで虐待的なことをしたというその現実を認めることは厳しいことだ。ただ「その全貌を知る」だけのことでもその患者にはとても不快きわまりないことだ

 

しかし彼らは前進し、安全で神として限りない力を代表していると考えられていたある人から実際に汚されたという認識を受け入れなければならない。ほとんどの人が愕然としてとても腹が立ってくる。しかし、神に腹を立てることについては反対する多くの訓戒や恐れがあり、この怒りを感じることを自分自身に許すことは困難だ。

ほとんどの患者がこの怒りを自分自身に向けて、極端なうつになったり自殺しそうになる。「自分の感情にまかせてもいいのだ、重くわだかまっている感情から自分自身を解放するためにハイヤーパワーや神に対して言うべきことは何でも言っていいのだ」と彼らを助けてそのようにさせるのは実に難しい。その種のスピリチャルな性的虐待にまつわる感情に面と向かって取り組むための内的な決断は真のスピリチャルな危機を象徴している。しかし、この抵抗が克服されるまでは回復も真のスピリチャリティも得られない。

(中略)

私にはいつも自殺を考えている友だちがいる。僧侶から受けたあるとてもひどい性的虐待の結果、彼女の身に生じた恐ろしいことを納得できないでいる。彼女とハイヤーパワーとの間に立ちふさがるあらゆる怒りや苦しみのために、プログラムのスピリチャルな贈り物を活用できているようには見えない。

虐待を生き延びた多くの人たちの経験に基づいた私の意見では、スピリチャルなリーダーの手による身体的、情緒的、スピリチャルな虐待は、結果としてとても深刻な否認、欺瞞、抑圧につながる。彼らによる性的虐待は深刻で治療は一段と難しい。

 

p.298-301 

  

児童虐待と共依存―自己喪失の病

児童虐待と共依存―自己喪失の病

 

 

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