西澤哲『子ども虐待』(講談社現代新書)より
性的虐待の影響は、子どもの年齢、虐待行為の頻度や期間、暴力などによる強制の有無、被害のタイプ(特に性器や肛門への挿入の有無)、子どもと加害者の関係など、さまざまな要素の影響を受ける。
ここでは、「父親などの保護者の立場にある親族男性からの、ある程度の長期にわたって、激しい身体的暴力を伴わない性的被害で、必ずしも性器性交や肛門性交を伴わない性的虐待を経験した子ども」という典型的な事例について、子どもの年齢を思春期前と思春期後にわけて見ていくことにする。
幼児期や小学校低学年ぐらいまでの幼い子どもの場合には、子どもは、性的虐待の行為の本当の意味、つまりそれが性的な意味を持つ行為であるということを理解していないことが多い。したがって、その行為に、たとえば性器や肛門への手指などの挿入があって子どもが身体的苦痛を感じている場合には、性的虐待というよりも身体的虐待と同様の影響を子どもに与える可能性がある。
また、非接触性の性的虐待(直接その子どものからだにはさわらない虐待。たとえば、アダルトビデオなど性的刺激になるものを見せるなどの虐待)の場合や、身体的接触はあっても身体的苦痛が伴わない場合には、「虐待」としての顕著な影響が見られないこともある。こうしたことから、たとえば古典的な精神医学の教科書では、子どもの年齢が幼い場合には性的虐待は精神的影響を与えないという記述さえ見られる。
しかし、これは、子どもの発達を考慮に入れないことによる誤解である。幼い子どもの頃は無症状でも、思春期になって自分の体験したことの本当の意味が理解できるようになると、その理解がもたらす精神的衝撃によってさまざまな症状や反応が顕在化するといったことが起こりうる。つまり、成長してからその行為の意味を知ることがトラウマ性の体験となりうるわけである。性的虐待行為が非接触性であっても、あるいは、身体的な苦痛を伴わなくても、子どもに行動上の影響が観察されることが少なくない。
その影響とは、①(特に人前での)過剰な性器いじり(マスターベーション)、②性化行動(通常の行動に、無意識のうちに性的な色彩が備わるもの)、そして③性的な遊びなどである。
(中略)
子どもが思春期以降になると、たいていの場合、虐待行為の意味を理解するようになるため、性的被害としての意味合いが濃くなる。被害の影響は、精神科症状と、行動上の問題とに大きく分かれる。
思春期以降には、性的虐待の影響(後遺症)は、精神科症状としてあらわれることが少なくない。たとえば、摂食障害、いわゆるリストカット症候群などの自傷行為、疼痛、喉の違和感や嚥下困難など呼吸器系の身体症状、あるいは解離性障害など、さまざまである。
過食嘔吐などの摂食障害は、性的虐待の後遺症として珍しくない。
なぜ、性的虐待が摂食障害をもたらすのか、その原因は不明な点も多いが、その一部はいわゆる「女性であることへの否認」によるものではないかと考えられる。
性的虐待を受けた子どものなかには、自分が女性であるためにそうした被害を受けたと考え、女性であることに拒否感を抱く女の子もいる。そして、そういった子どもが女性であることを否認することがある。
p.115-122
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