スーザン・ブラウンミラー『レイプ・踏みにじられた意思』(幾島幸子 訳、勁草書房)より
女性が女性について書いた近年の作品には、子どものころ受けたいたずらやレイプの記述が驚くほど多くみられる。
姪にあたるクウェンティン・ベルによるヴァージニア・ウルフの伝記には、それまで堅く守られてきた家庭の秘密が暴露されている。ヴァージニアは6歳のとき19歳の異父兄ジョージ・ダックワースに子ども部屋でいたずらされ、その後この行為は彼女が10代になるまで密かに続けられたという。
ジャズ・シンガーのビリー・ホリディは自伝『奇妙な果実』の中で、10歳のとき45歳の隣人にレイプされた体験を語っているし、アングラ映画女優のヴィヴァも子どものころ、かかりつけの医者にたびたびいたずらされたことを告白している。
だが、活字になった子ども時代のレイプ体験の中でもっとも悲痛で印象深いのは、ダンサー、女優、作家、黒人活動家という多彩な才能をもつマヤ・アンジェロワの自伝『歌え、翔べない鳥たちよ』に出てくるものだ。それは「うちには、母の男友だちであるフリーマンさんがいっしょに住んでいた。それとも私たちがフリーマンさんのうちに住んでいたのかもしれない(どっちなのか、私にはよくわからなかった)」という文章で始まる一節である。
(中略)
もし仮に、マヤ・アンジェロウ、ヴィヴァ、ビリー・ホリディ、ヴァージニア・ウルフ、そして「当惑した母親」*1といった女性たちがウィーンのジグムント・フロイトのもとを訪れたらとしたら、彼は彼女たちの話をどのように解釈しただろうか。
精神分析の父フロイトは、女性ヒステリー患者の中に、子どものころ──多くの場合、父親の手によって──レイプされたりいたずらされた経験をもつ者が少なくないことに気づいていた。彼ははじめ女性たちの話を信じていたが、やがて幼児期に暴行を受けたといいう患者たちの回想は、性器いじりの快感や父親と寝たいという後ろめたい願望に対する防衛として本人が作り出した空想であるという説を、有名な女性論の中で展開している。
フロイトが女性患者の訴えを断固として退け、独断的な性的空想説を作り上げたことは、その後数世代にわたって彼の忠実な弟子たちに影響を与えた。
子どもへの性的いたずらに関する精神分析の文献が、被害者の側に非があるとしがちなのもそのひとつといえる。それどころか、精神分析アプローチのねらいは、犠牲者である子どもの「誘惑的」なふるまいを指摘することにおかれてきたのだ。
よく引用される1930年代のある研究報告は、犠牲になった子どもは「並外れたかわいさと魅力的な性格」をもち、恐れや不安、罪の意識、精神的ショックなどを示す証拠が「考えられる以上に」少ないと、嬉々とした調子で述べている。またある追跡調査は、「子どもが、誘惑されるという無邪気な立場であったというより、自分の魅力を誘惑者の立場で利用した可能性が大きい」ケースが少なくないとしている。こうして子どもが共犯者だったという隠された事実を暴いたあと、専門家たちはため息をつき、今度は自分の子どもを守れなかった「従順」で「受け身」で「不注意」な母親たちに矛先を向けるのである。
非は、子どもと母親にあるというわけだ。では、加害者はどうなのか。
アメリカが生んだ性の専門家アルフレッド・C・キンゼー(彼によれば、レイプと楽しい時間との違いは、その少女が家に帰ったとき両親が起きていたかどうかによるという)は、著書『男性の性行動』の性的不能についての記述で、次のように書いている。
”注目すべき問題は、性犯罪者として逮捕され刑務所域行きが決まった年配の男たちのことである。彼らは通常、幼い少女や少年にいたずらをして非行に走らせる原因を作ったとして告発され、強姦未遂で告発されることもしばしばだ。……しかし幼い少女の多くは、見知らぬ人に「さわれらる」ことに対する一般世間のヒステリー反応を反映しているにすぎないし、性行為のメカニズムをまったく理解していないため、両親以外の人による単なる愛情表現を強姦の企てだと解釈する子どもも少なくない。その結果、相当数の年配男性が、その年齢ではもはや興味もなく、それどころか多くにとっては明らかに実行すらすでに不可能である行為を企てたとして、刑務所で服役することになる。”
ここには、人間の男性に関する研究におけるキンゼー博士のレイプ観のほぼ全貌が表れている。
彼はまた、『女性の性行動』の中でも、この独自な見方を展開している。調査対象となった女性(すべて白人、大半は中産階級)の4人に1人が、思春期以前に成人男性と何らかの形の望まない性的体験をもった(そのうち80%は恐怖を感じたと述べている)という驚くべき事実を、キンゼーは次のように解釈している。
”文化的条件づけ以外の理由から、子どもが自分の性器をさわられたり、他人の性器を見たりして動揺すると考えるのはきわめて困難である。……経験を積んだ少年問題研究者の間には、親や警察、他の大人たちの感情的反応が……子どもに接触そのものよりも大きな動揺をもたらしているのではないかとする見方もある。性犯罪に対する近年のヒステリー反応をみるかぎり、これらの子どもたちが何年か後に結婚した際に、その性的適応能力に重大な影響が及ぶ可能性は十分にある。”
ソーシャルワーカーであり作家でもあるフローレンス・ラッシュはこう書く。
「キンゼーは傲慢な男性のご多分にもれず、子どもに対する性的暴行がきわめて破壊的な衝撃と辱めであることへの想像力を欠いており、そのため彼は加害者以外のすべての人に責めを負わせた。
子どもへの性犯罪は、はなはだしく暴力的で世間を騒がせる事件を除けば、ほとんど気づかれないのが現実である。大抵の罪は明るみに出ず、明るみに出ても多くは無視されるか届け出られないかのどちらかだ。たとえ届け出られたとしても、多くの場合証拠不足で却下され、たとえ証拠が揃っても被害者と家族にかかる重圧と屈辱のため、取り下げられるケースが多い」
p.179-187
- 作者: スーザンブラウンミラー,Susan Brownmiller,幾島幸子
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*1:ある母親が自分の3歳の娘が親類の男から性的虐待を受けていると警察に相談したが証拠がないと告発ができないと言われた。周囲の人たちからもどうせ娘が話をデッチ上げているのだろうと言われ、彼女自身も「ヒステリーの母親」にされてしまった。