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The Reverberator

メモ用

女性は少年をレイプできるか? あるいは少年は(年上の男性による加害行為以外に)被害を訴えることができるか? ~ 性的虐待を性的通過儀礼として捉えること

子どもへの性的虐待とセクシュアルハラスメント問題

リチャード・B. ガートナー『 少年への性的虐待 男性被害者の心的外傷と精神分析治療』(宮地尚子ほか訳、作品社)より

13歳の少年をレイプしたと法的に訴えられている37歳の女性の裁判を真剣にとりあげたある新聞記事に、女性と少年の間の性行為に対する社会の態度がよく表れている。

 

ボストン・グローブ紙(July 9, 1996, pp.15-17)で、Karen Aronoso は次のように述べる。「古くからのダブルスタンダード:子どもとセックスをする男性は犯罪者であり、女性とセックスをした少年は幸運である……女性(特に成熟した経験豊富な女性)とのセックスは少年にとって幸運だと認識される。望まないセックスだったと考えられることはほとんどない」
Aronoso は、近所の住民や事件関係者の言葉を引用する。

 

「少年も望んでいたに違いないよ。何が起こっているのかはわかっていたさ。彼は『俺は本物の女とセックスをしたんだ』って言えるんだせ」。
「彼女はちょっと未熟なだけで、暴力的とかそういんじゃないよ」
「これは間違いなくレイプだけど、男の子は若いうちから性的に活発じゃなきゃっていう社会通念があるから、みんなどこかで許容してしまっているのよ」
「(思春期の少年にとって)年上の女性とセックスするなんて、夢のようなことさ」。

 

これらのコメントからは、少年が女性とセックスすることを陰に陽に認める文化的態度が蔓延していることがうかがえる。

Ganzarain and Buchele (1990) は、女性が少年を性的に弄んだのだと陪審員を説得することのむずかしさを指摘する。このことは、Aronoso が詳述した事件における、検察の児童虐待担当部長の言葉に端的に表れている。過去5年間で女性から少年へのレイプ事件を訴追したのはたったの一度であることを指摘した後、引用によると、彼女は次のように言った。

「このような事件における通常の反応は、ウィンクしたり、うなずきあったりしながら、年頃の男の子なんだからと言ったり、これもすべて成長の糧だと言うんです……少年たちは自分が被害に遭ったと認めるのを恥じて、表沙汰にするのを非常に嫌がります」。

 

この最後の点に関して Aronoso は次のように指摘する。

「ある少年が自分はレイプされたと言っても、同級生も大人たちも信じないだろう……強くて自立していると伝統的に見なされてきたために、男性なら自分が望まない状況から脱せるものだと思われてしまう」。

さらに、「いかにも母性的な人物が子どもを誘惑する場合、社会は彼女の加害行為を思慮不足と見なすのがせいぜいで、有害とは見なさないだろう」。

 

Maloney (1995) は、女性を性的虐待者だと想定しにくくさせてしまう、男女にまつわる神話について述べている。彼が列挙する、男女をめぐる文化的幻想には、例えば次のようなものがある。

 

  • 男性は性的虐待を含むすべての性行為に責任がある。
  • 女性とのセックスは常に少年にとって喜ばしい通過儀礼である。
  • すべての性的虐待は明白な形でなされる。
  • 少年や男性は「より弱い性」から自らを守ることができるはずであり、もし被害に遭うとしたら彼らはまぬけである。
  • もし男性被害者が女性加害者とのセックスを楽しいと感じないのならば、彼は同性愛者である。
  • 男性は変態的で攻撃的なセックスを悦ぶ。
  • 男性のオーガズムと勃起はすべて自発的である。
  • 女性はペニスがないのだから性的に害を及ぼしえない。

 

35歳のシアトルの学校教師が13歳の6年生の生徒(彼が2年生の時にも彼女は彼を受け持っていた)との間で子どもを妊娠したというメリー・ケイ・ルトルノーのケースはマサチューセッツのケースよりも悪名高い。

既婚で4児の母であるルトルノーは、女児を出産し、その子は少年の母親によって育てられている。彼女は2件の児童レイプの罪で有罪になり、7年半の懲役刑を言い渡された。

 

ピープル紙(March 30, 1998) によると、判決の言い渡しに際して、「彼女は後悔の念を表し、寛容を嘆願した。『私はすべきでないことをしてしまった。道徳的にも法的にも間違いだった。私を助けてください。もう二度とあのようなことが起こらないことを約束します』」(p.47)。


それに応えて、彼女の刑期のうち6ヶ月以後は仮出獄が認められ、性犯罪者のためのプログラムに参加することと、少年と再び会わないことを条件に、釈放された。しかし釈放から数日後、彼女は躁うつ病のために処方された薬を服用するのを止め、心理療法に行くのを拒むようになった。ほどなく、彼女は駐車してある車の中で少年と一緒にいるところを再逮捕された(New York Times, February 4, 1998, p.A17)。

彼女の仮出獄は取り消され、その直後に彼女が少年との間で妊娠6週間であることが判明した。彼女が再逮捕された時、彼女は少年と一緒に国外に逃げる準備をしていたところだったらしい(People, March 30, 1998, p.A17) 。

ルトルノーに対するさらなる訴追はなされなかった。彼女は獄中で次女を出産し、この子も少年の両親によって育てられている。その両親は、ルトルノーを彼らの家族の一員として受け入れると言われている(New York Times, October 18, 1998, p.A30, and October 24, 1998, p.B18)。

 

この女性の行為は性的虐待として認識され、裁判にかけられたものの、もし男性が彼女の立場だったなら受けていたであろう刑より、はるかに寛容な刑に処されている。

35歳既婚男性教師が教え子の13歳の生徒を妊娠させた場合、その後何が起こるかを想像していただきたい。6ヶ月後の懲役の後、少女とはもう会わないという言葉だけで彼は仮出獄が認められるだろうか? 答えは明らかではないだろうか。個々の性犯罪者の量刑の適切さには立ち入らないが、この事件における量刑は、男性性犯罪者と女性性犯罪者に対する社会の態度の違いを浮き彫りにしていると考える。

 

一方で、この事件における少年は「彼が性的関係を主導したこと、ルトルノーが当初は拒もうとしていたこと」(People, March 30, 1998, p.47) を主張した。彼らの間で起こったことは何も間違っていなかったと主張して、彼は次のように記者に語った。「重要なのは、僕たちが互いを愛し合っていたという事実だけだ」(New York Times, November 9, 1997, p.IV3)。

 

しかし、それだけが問題だろうか? いくら成熟しているとしても、この6年生の少年が相手教師から促されたような、人生の重大決定をなす判断力を、普通13歳の少年というのは持っているだろうか? 自分たちが愛し合っているという事実だけが重要だと考えていること自体、彼が将来に関してこのような複雑な選択をする準備ができていないことを示すものではないか。

 

第1章において、私は、状況によっては早期の性行為が子どもにとってトラウマにならないことがあるかもしれない、と書いた。これは、思春期の少年が暴力を伴わない形で、少年の対象選択と一致した性別の成人との間で行われる場合などに多い。しかしながら、私は、そのような早期の性行為が自分にどんな結果をもたらすかの判断能力を少年はまだ備えていないかもしれないこと、あるいはその行為がうっとうしかったとか嫌だったとさえ認識できないかもしれないことも指摘した。

 

女性は性的に搾取者たりえない、とする文化的神話のため、女性による少年の虐待がもたらすトラウマを、私たちの文化は特に矮小化している(Mendel, 1995)。

実際、ある性的虐待の研究者は「女性による性的虐待はほとんど存在しない」と述べたほどである(Crewdson, 1988, p.70)。

 

そのため、少年は自分がそれを喜んで受け入れたかどうかに関わらず、とりわけ相手が母親以外の女性である場合は、その性的体験を楽しむのが「当然」だと思うようになるだろう。

Johanec(1988) がいうように「女性から性的に弄ばれたり虐待された少年は、しばしば自分が被害者であることに気がついていない。……もし、少年が友達にその件について話したなら、誰にも彼の不快感や、利用された、あるいは搾取されたという思いを気遣われることはなく、幸運な奴だと祝福されるだろう」(p.108)。

 


p.68-72 

  

少年への性的虐待―男性被害者の心的外傷と精神分析治療

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