柴田朋『子どもの性虐待と人権 社会的ケア構築への視座』(明石書店)より
本書において、運動家による「主張」と知覚される書き方・様相の部分がある。運動家としての「主張」は「主観」に属し、本社会問題の対処法・処方箋としての記述様相は、「中立性」「客観性」に属すると解釈される傾向がある。
この客観・主観という二項対立のヒエラルキーを土台として、「中立性」「客観性」という概念が、社会問題の分析を含めた言説の、学術度の判断基準として機能する傾向が見られる。学問の歴史において、そのヒエラルキーの、明示されない構築目的として、学問権威の維持が挙げられよう。
つまり、中立性、客観性という概念が、学問権威維持のテクニックとして、学問言説において偏在的に機能している。子どもに対する性虐待という、権威主義から派生する、重篤な人権侵害の批判と対処を目的とする言説の様相・形態は、権威主義から派生する学問言説の様相・形態から決定的に異なるために、客観性と学問的信頼性に欠けた言説の様相・形態として判断・認識される。
客観性・中立性という概念は、真実の希求を目的として発動すべき概念であって、学問権威の構築・維持目的として、発動すべきではないのである。また、学問に関する言説において、「客観的学問言説」と「主観的運動家の主張」が二項対立化し、ヒエラルキー化される構図・事態・学術的無意識を問題化するべきであろう。
北米フェミニストの法理学者キャサリン・マッキノンは、客観性について次のように述べる。
”客観性は、自己の社会観から派生した社会を反映し、その社会観と、その社会観との関係性を合理と名づけながら、自己を正当化する。合理とは、主観的視点の無さによって計られ、既存の社会のあり方をそのまま反映してこそ、合理と見なされる。この手法で、実践的合理性とは、何も変えずにしてなされるあり方を意味する。”*1
ここでの「合理」は、社会科学言説における、「中立性」にもあてはまるだろう。中立性とは、主観的視点の無さによって計られ、社会科学言説において、既存する人間社会の在り方・様相(重篤な社会問題を含める)をそのまま反映した言説こそ、「中立」とみなされる。この手法で、中立性とは、子どもに対する性犯罪等、今現在この社会に実在する、重篤な社会問題を何も変えずにしてなされる在り方を意味する。つまり、社会科学言説・研究における中立性の希求は、社会における人間の物象化・虐待・人権侵害を放置し、助長する結果を、不可視的、そして制度的に生み出すのである。
p.10-12
「普通」の男性は、養育期全般にわたって親からの充分なケアと指導があったために、フロイトの言う超自我を発達させ、権力(児童期は親で、後に市民社会及び、司法を含めた国家権力)からの期待に沿う自己観察に従って、秩序と規律に従順に行動する直感・本能を児童期から育んできた。
そのため、「普通」の男性ほど、どの(事実認定が司法等にとって難しくなるような)状況でどの人(障害者、子ども等)を標的にしてどの程度の性暴力を遂行したら、被害者の抵抗を容易に阻止でき、証拠の跡を残さず、あるいは隠蔽できる(子どもであれば、犯罪の意味を理解しない)かを、本能的に見極める狡猾な感覚的機能がある。
よって、この「自己コントロール」機能を備えて、「秩序と規律」に従って行動できる「普通」の男性ほど、権力(ここでは司法権力)の視界領域外で、計算高く性暴力を遂行できるため、実際遂行しても何の咎めの受けずにいることができる。
p.47
アメリカの首都ワシントンで、長年性暴力被害者支援に携わってきた、ワシントン市強姦救援センター長のマーサ・ラングレン氏は、『どうセクシャルハラスメントを阻止させるか』という本で、性暴力者は性暴力を遂行する前に、被害者選びテストを行うと言う。
つまり、性暴力を遂行する前に、まず何人かの女性に非常に近くまで寄っていったりして、すぐに逃げたり抗議したりせずに、何もできずに凍りつく女性を探すのである。こういった被害者選びのテクニックは、痴漢がよく使うと警察庁のホームページにも以前記載された。
(中略)
また、「普通」の男性(及び場合によっては女性)は、被害者、場所、時間、状況を計算高く選び、少なくとも直接的な証拠を残さないように性暴力等のハラスメントを遂行するために、司法関係者や、会社、大学等の組織内での管理職者やハラスメント防止委員会にとって、事実認定を難しくさせる。性暴力その他の暴力(「いじめ」を含める)を遂行する多くの「普通」の人は、前記の被害者選びのテクニックで深い心的外傷を負っている児童性虐待等の被害者を狡猾に選ぶため、警察、弁護士等の、被害者がまず先に相談する司法関係者や、組織内の管理職者やハラスメント防止委員会にとってみれば、被害者の精神的信頼性を疑いたくなる。
例えば、同一人物があまりに頻繁に被害を訴えているようであれば、本当に被害に遭っているのかと疑うようになる。事実認定が困難であれば、事件として認識するより、被害を訴える人の精神的信頼性を疑った方が、事件処理がずっと楽である。
こうやって、児童性虐待被害者を標的にしたら、何の咎めも受けずにすむという、法の抜け穴が作られるのである。そして、この法の抜け穴を、性暴力者たちは見抜いているようで、児童性虐待サバイバーたちは、性暴力、その他の暴力の標的に、その類の被害に遭っていない女性の二倍以上の確率で遭っているという報告が、社会学者ダイアナ・ラッセルによってされている。
p.115-116
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*1:Catharine MacKinnon, Toward a Feminist Theory of the State