「ピンクウォッシュの問題」はパラドックスなのかアポリアなのか?
「ピンクウォッシュの問題」は何がパラドックスなのか、何がアポリアなのか?
「ピンクウォッシュの問題」をパラドックスにしているものは何か? アポリアにしているものは何か?
そもそも「ピンクウォッシュという問題は、解ける問題なのか/解けない問題なのか」。僕は「それは解けない問題であること」を示すために「それを指摘するクィア馬鹿自身が、それをできていない」ことを示してきた。
「解けない問題」であるならば、それはもうこれ以上「この問題」に関わる必要はないということだ──つまり、それは否定的に解決されるべきものだろう。 では、「ピンクウォッシュの問題は否定的に解決された」ことを示すためにどうしたらいいのだろう?
何を示せばいいのだろう?
そんなときに「いまだにバカがピンクウォッシュとか言って騒いでいるんだな」と思っていたところに、ある「クィア活動家」が重要な示唆を与えてくれだ。この問題である。
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「ピンクウォッシュ専門のクィア活動家」が主張しているのは「LGBT団体はシスコとの提携を解消しろ」ということである。それは「ピンクウォッシュへの加担になるから」がその理由である。
「クィア活動家」の主張を整理すると、
1)「シスコとの提携はピンクウォッシュへの加担」であり(ピンクウォッシュ問題の発生の原因)
2)「シスコとの提携を解消する」ことが「ピンクウォッシュの問題の解決になる」
と言えるだろう。
「クィア活動家」の主張を知ってから、Twitter内を検索してみた。すると「おそらく”クィア”ではない別の活動家」が「そのクィア活動家」とまったく同じ(同型)の主張をしていた。「虐殺への加担をやめるために、○○はシスコとの提携を解消してください」と。 その○○の1つが同志社大学であった。
「クィア理論」、とくに「ピンクウォッシュの問題」に関して、その当事者として同志社大学を取り上げることは意味がある──「ピンクウォッシュの問題に取り組んでいることを見せびらかしたがる自称クィア」にとって、その意味は自明であろう。
繰り返すが「クィア活動家」の主張は「クィアとは別の活動家」の主張と「同型」である。このことが重要である。一方の問題が解ける問題であるならば、自動的に、もう一方の問題も解ける問題になる。一方の問題の解決は、自動的に、もう一方の問題の解決につながる。これらは「双対 dual の関係」にある。そうであるならば、「ピンクウォッシュの問題が(一般的に)解ける問題」であるのならば、その解決は「同志社大学がシスコとの提携を解消する」ことに帰着できる。
私たちは「同志社大学関係者」の動向に注目しよう。「ピンクウォッシュの問題は解ける問題」であるのに、かつて好意的に取り上げた「クィア活動家」の解決策=「シスコとの提携を解消する」を実行に移さななかったら、それはなぜなのか?
もちろん、ちゃんとした学者ならば、そこらへんの「クィア馬鹿」と違って、「シスコは同志社大学にはピンクウォッシュはしていない」=「虐殺への加担はOKだが、ピンクウォッシュへの加担はダメ」なんていう幼稚な反論はしてこないだろう。
「ピンクウォッシュをやめること」は「虐殺をやめること」や「即時停戦すること」を意味しない。それは「クィア馬鹿どもの沽券にかかわること」、すなわち「クィア馬鹿どものメンツの問題」でしかない。
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しかし「同志社大学がシスコとの提携を解消しない状態を続けながら」、その一方で「LGBT団体はシスコとの提携を即時解消しろと迫る」ことは、「虐殺への加担はOKだが、ピンクウォッシュへの加担はダメ」を意味することになるだろう。
「虐殺への加担はOKだが、ピンクウォッシュへの加担はダメ」は「パラドックス」なんだろうか、それとも「アポリア」なんだろうか。
一方で「この問題」は簡単に解けるだろう。「クィア活動家」の主張を認めるのならば「LGBT団体が任意のXとの提携を解消するのと同じように、同志社大学も”それと同じX”との提携を解消する」だけだ。
あるいは、別の解答は、「同志社大学が任意のXとの提携を解消しないかぎり、LGBT団体は、それと同じように、”その任意のX”との提携を解消する必要はない」ということだ。これは「クィア活動家」の主張を否定することであり、したがって否定的に問題を解決することだ。
「この問題」を解くことは簡単だ。「同型の問題」なのだから。
以前、論考等で好意的に取り上げたことのある「クィア活動家」が「ピンクウォッシュをしている」と指摘している企業に対し、自分の所属している大学がその企業と大々的に提携している事実がある。このことに対して学者として何か言うことはないのだろうか?https://t.co/D10qnTt3M6
— HODGE (@HODGE_EGDOH) 2025年2月14日
論考等で取り上げた「クィア活動家」が「ピンクウォッシュをしている」と批判している企業がある。一方で、自分の所属している大学がその企業と提携している。そこに学者として矛盾を感じないのだろうか?
— HODGE (@HODGE_EGDOH) 2025年2月14日
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「この問題」では同志社大学とLGBT団体が一対一に対応付けられる。だから、「この問題」を解くことで「他のピンクウォッシュに関する問題」も一挙に解決するはずだ。「同型の問題」なのだから。
LGBT側に問題の解決を迫る前に、まずは同志社大学及び同大学クィア研究者側が「この問題」を肯定的に、または否定的に、どちらかの手段で明快に解決すべきだろう。「同型の問題」なのだから。両者は「双対 dual の関係」にあるのだから。
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