リチャード・B. ガートナー『 少年への性的虐待 男性被害者の心的外傷と精神分析治療』(宮地尚子ほか訳、作品社)より
少女への虐待をめぐる家族力動
性的虐待を受けた女性に関する文献の中には、彼女たちの家族についての詳しい記述が多く見られる。例えばProce(1994) は、これらの家族に共通して見られる、混沌、秘密、境界の侵害、役割の混乱について記述している。そこでは過保護とネグレクトが交互に繰り返されているが、「すべては当たり前のことだと見なされたり、自分たちの家族は優れていて理想的だと思わされてしまっているかもしれない」(p.214) という。
これらの文献は、少女への近親姦的な虐待が起こるような家族の典型的なパターンを呈示している。最も多く記述されているのは、近親姦が、父親と娘か継父と継娘の間で起こる場合である。例えば Hermann(1981) は、彼女の画期的な著書『父-娘近親姦』(Father-Doughter Incest) において、父親としての権限を持つ大人と性的接触を持った経験のある40人の女性について研究した。
(中略)
Kirschner, Kirschner and Rappaport(1993) は、父-娘間で近親姦の起きている家族が文献の中でどのように扱われてきたのかの歴史的な変遷を書いている。
1960年代の家族療法の記述では、近親姦は、母親の心理的距離の冷たさのせいであるとして、母親に責を負わす傾向があったという。こういった女性嫌悪に染まった見方は、虐待に対するフェミニストの見解が1970年代に現れて、男性加害者自らの行動の責任が強調されるようになるまで続いた。
それ以後、家庭内の男性からの被害者、男性優位の文化の被害者として、娘たちは扱われるようになり、被害の発生に責任を負わされることはほとんどなくなった。
Kirschner らは家族システムと個人力動の両方の観点から、それぞれの良い部分を使って、近親姦的な家族の見方を確立していこうとしている。そこで指摘されるのは、父-娘近親姦の家族においては例外なく、夫婦の関係が機能を失っていること、貧しいコミュニケーションしか積み重ねられていないこと、紛争解決能力が低いことである。これらのスキルが乏しいために、両親は親としての効果的なチームを作ることができない。娘たちはしばしば両親の仲を取り持つ役を果たし、たいてい子どもたちは親の世話係と他の子どもの世話係を押しつけられる。
実質的に一つの家族パターンだけを記述した Herman とは異なり、Kirschner et al. は父-娘間の近親姦が起きている家族、母親が優位である家族、混沌とした家族、を記述している。これは、少年時代に近親姦を受けた男性を診てきた私自身の、虐待的な過族が持つ質や、能力、力動、機能不全の程度が多様であるという認識と一致する。
少年への虐待をめぐる家族力動
虐待を受けた少年に関するこれまでの文献には、少女についての Herman やその他の著者による記述に対応するような家族パターンは、まだ描かれていない。
これは少年については少女に対する虐待ほど家族について広く研究されえいないという事実によるものであろう。しかしそれだけでなく、少女に対する性的虐待は家庭内で起こることがほとんどだが、少年に対する性的虐待はかなりの場合で家族外で起こっているということからも来ているのかもしれない(Lisak et al, 1996)。
少年は家族の中か外かに限らず虐待を受けるため、近親姦が引き起こされるような家族の特徴のみならず、家族外の虐待者から性的被害を受けたり、受けやすくなるような家族パターンについても探る必要がある。
私は、治療した男性の家族に繰り返し見られるたった一つの力動パターンや、パターンの組み合わせには遭遇したことがない。しかし以下のように、これらの家族の多くに共通する点がいくつかあるのも事実である。
そこでは、親としてつながりが欠けていることが多く、それはコミュニケーションの領域において著しい。境界がうまく保てなかったり、侵害することがよく見られる。性については、会話さえ全く避けられるか、逆にいつもそこにあって過度に刺激をもたらしている。これらの特徴は、少女が被害を受ける場合の典型的家族像と一致する。しかしながら、これらによって近親姦の家族をそうでない家族から必ずしも区別できるわけではない。
Bolton et al.(1989) の研究は、被虐待少年の家族について典型的な家族力動を描き出すことは難しいことを暗に示している。彼らは、虐待的な家族の力動について普遍的な像を作り出すのではなく、虐待を引き起こすか引き起こさないかを左右する様々な環境要因について記述している。
その中で主に焦点が当てられているのが、家族向けの「セクシュアリティの乱用モデル(Abuse of Sexuality Model)」と呼ばれる、家族がセクシュアリティに対して持つ態度の幅である。これは、明白な性的虐待(abuse)が起きているか否かは別にして、どの程度家族がセクシュアリティの乱用(abuse)しているのかを見るために役立つモデルである。
Bolton et al.はまず、「理想的環境」と「おおむね養育的な環境」について記述し、どちらも虐待の起こる可能性は少ないとする。程度は様々だが、これらの環境には、セクシュアリティを攻撃的ではなく適切に表現できるようなモデルが存在し、子どもが不適切なセクシュアリティにさらされるのを防ぎ、セクシュアリティに関する正確な情報が手に入るようになっていることが多い。
彼らは次に、セクシュアリティの乱用や性的虐待が(必ずというわけではないものの)より起こりやすい環境について述べている。「回避的環境」においては、正確な性的情報がほとんどか全く提供されず、大人が不安を覚えるために性的なことは婉曲的に伝えられ、性についてのまことしやかな俗説や間違った情報が、しばしば無意識に行動の中に現れる。
他方、「環境的真空状態」では、性的な事柄は全く取り上げられない。子どもを守るという名目で、大人たちは故意にセクシュアリティについての情報を何も伝えない。
「許容的環境」では、大人は子どもが自由に性的な事柄に触れることを認める。これは良心的な動機からなされたかもしれないが、性的な事柄を処理するだけの能力を持ち合わせていない子どもは圧倒され、過度に刺激を受けてしまうかもしれない。
「否定的環境」においては、セクシュアリティは悪いものと見なされ、セックスは有害で悪であり、弱さのしるしだと、数え切れないほどのやり方で子どもに語られる。性的な情報が子どもにはほとんど与えられず、性について知ろうと思っても、子どもはじゃまされるか罰せされるであろう。
対照的に「誘惑的環境」においては、一人が数人の大人が、その子どもに対する性的な興味を、言葉で、もしくは行動によって直接伝える。明白は虐待は起きないかもしれないが、子どもは絶えずその大人にとって自分が魅力的だと意識させられ、その大人は「不注意」にその子どもに自分のセクシュアリティをさらすかもしれない。そういったことが重なり、この種の家族においては、刺激がそそられるような雰囲気の中で子どもは性のことを学んでいく。
最後に、著者らは、子どもの性的な悪用(misuse)や性的虐待が起きている「明らかに性的な環境」について記述している。この環境では、一人か複数の大人が子どもと明らかな性的接触をしている。性教育をするふりをして子どもにポルノを見せるなど、性的な情報の伝達が子どもを搾取するためになされる。それだけでなく、大人たちは子ども同士が性的接触をするように密かに謀ることもある。
p.157-160
- 作者: リチャード・B.ガートナー,Richard B. Gartner,宮地尚子,岩崎直子,村瀬健介,井筒節,堤敦朗
- 出版社/メーカー: 作品社
- 発売日: 2005/03
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