ジュディス・ハーマン『父-娘 近親姦 「家族」の闇を照らす』(斎藤学 訳、誠信書房)より
バックグラウンドや理論的方向性がどのようなものであれ、近親姦が起きている家族の問題に広範囲にわたって取り組んできた専門家は、本質的な三点では一致しているように見受けられる。
近親姦を犯す父親の過剰な力を制限しコントロールする必要性、母親の力を強化し育てていく必要性、母娘関係を修復する必要性、以上の三点である。これらの合意点は、父から娘への近親姦のダイナミクスについての私たちの分析を裏づけるものである。
経験豊かなワーカーは皆、近親姦の秘密の開示は家族にとって深刻な危機をもたらすという点で意見が一致している。通常、秘密が明かされるまで何年も虐待は続いており、それは家庭生活に組み込まれた一部分になっている。その内実はともかくも、それまでは脆い均衡が保たれていたわけであるが、秘密の開示はそれを崩し、家族全員の機能を混乱させ、暴力や絶望に駆られて行動する危険性を高め、家族すべてを、とりわけ娘を報復の危険にさらす。
秘密の開示の引き金は、近親姦の関係が娘にとって耐え難いものに変化したことによる場合が多い。娘が思春期になり、父親が性交をしようとする場合もある。この新たな侵入とそれに伴う妊娠の危険性が、どんな犠牲を払ってもその関係を終わらせようと娘を促す。
もうひとつ、秘密を破る引き金として一般的なのは、父親が思春期の娘を世間から隔離し、彼女の社会生活を制限しようとすることである。父親の嫉妬がつのり、爆発するばかりになっていき、娘は繰り返し警告されてきた仕返しの脅しに屈するより、危険を冒す方を選ぶ。
彼女よりさらに助けを得られない立場にある年下の同胞を守るために、ついに秘密を破ることを決心するという場合もある。
リタ 「妹たちが大きくなってきて、私は彼が妹たちにもやり始めるのではないかと心配になりました。そんなことを見ていられませんでした。自分のことなら耐えられましたし、自分の身に引き受けましたけれど、妹たちがやられているのは見ていられないと思いました。そう思ったとき、当局に行ったんです。」
秘密を破る決心をした娘は、信頼できる人を見つけなければならなくなる。娘は母親とうまくいっていなくて、母親を信頼して秘密を打ち明けられないことが多い。保護を確実なものにするために、娘は往々にして母親を避けて家族外に助けを求める。たとえばシアトルのハーバービュー性暴力センターが取り扱った97の近親姦のケースでは、半数を少し上回る(52.5%)子どもは、最初に話す相手として友だち、親類、ベビーシッター、近所の人、または公的機関を選んでいる。残り(46.5%)が最初に母親に話している。
母親にとって、近親姦の関係に気づいているかどうかにかかわらず、秘密の開示は決定的な衝撃である。まず何より、彼女は夫と娘に裏切られたと感じる。個人としての心の傷と憤りに加えて、結婚生活と生計が危機にさらされているという事態に対処しなくてはならない。
もし、娘の告発が真実なら、離婚、一人親になっての子育て、福祉、社会的な追放、そして夫に対する刑事訴訟手続きをする可能性にさえ直面することになる。たとえ健康で一人で生きていく能力に自信がある女性にとってさえ、こうした可能性は恐ろしいものだろう。身体的もしくは精神的障害があったり、子育てに疲れ果てていたり、夫に脅かされていたり、社会との接触も外からの援助も絶たれてしまっている女性にとって、このような将来像はさらに恐ろしいものに映るにちがいない。
近親姦の秘密が明らかにされた事態に直面して、多くの母親がなぜ必死で娘の告白を否定しようとするのか、少し考えてみればわかることである。娘の言うことを信じることで、母親はすべてを失い、得るものは何もない。
父親にとって、秘密の暴露は彼の生き方全体に対する脅威と言ってもさしつかえない。彼が切望してやまない性的接触のみならず、妻、家族、仕事、自由さえ失う事態に耐えなければならなくなる。
耐え切れないほどの恐怖にさらされて、激高して否認するのが最も一般的な父親の態度である。父親は娘の信用を落とすためにはどんなことでもやり、妻を自分の側に引き入れようとする。そして、残念ながら多くの場合、この戦略は上手くいってしまう。
母親は始めは娘を信じていても、矢継ぎ早に夫から哀願されてり、脅されたり、それまでなかったような関心を寄せられたりといったことが続くと、屈服してしまう。
したがって、外部からの積極的な介入なくしては、近親姦の秘密が明らかにされた場合、娘は家族内で大変危険な立場に置かれてしまうことになる。秘密にしておくようにという父親の命令を無視することで、娘は父親を敵に回すことになる。母親はそれでも決して強力な味方ではなく、窮地に立たされても頼ることはできない。娘を保護する策が講じられなければ、両親が結束して娘に敵対し、娘を家から追い出してしまおうとする可能性が高い。
このような理由から、近親姦の秘密を打ち明けられた人は重い責任を負う。秘密が表沙汰になったこと自体が、家族が危機にあり、娘は危険な状態に置かれていて、何らかの策が講じられなければならないことを意味する。
しかし、適切に対処する気持ちの準備ができていないことにかけては、家族も家族外の人間も同様である場合が多い。ほとんどの友だち、親戚、近所の人、そして援助の専門家でさえ、近親姦について初めて知ったときに、ショックと困惑を隠すのは難しいと感じるものである。
あるソーシャルワーカーは率直にこう話している。「私は本当に動揺してしまいますし、その話は聞きたくありません。専門家らしからぬ反応ですが、〈うっ!〉と言うことしかできないんです」。
毎日、虐待を受けた子どもたちと仕事をしている専門家にとっても、近親姦は難しいものなのだ。たとえば、フロリダ州の児童保護サービスのスタッフを対象としたある調査によれば、ワーカーの約3分の1(31%)が性的虐待のケースを扱うことに不快感を感じており、担当したくないと答えている。この調査の対象となったワーカーらは、父から娘への近親姦はもっとも難しいタイプのケースだと考えている。
(中略)
秘密が表沙汰になったというショッキングな知らせが母親に伝わった後には、おそらく母親は娘よりさらにサポートを必要としている。夫と娘の間で引き裂かれ、結婚生活が破綻するのではないかという恐れに苛まれ、母親はほとんど何も考えられず、ひとりでは行動できなくなっている可能性がある。家族外に共感して助けてくれる味方が見つからない限り、夫の指示と影響に屈して娘から身を引いてしまう可能性がある。あるワーカーはこんなふうに言っている。「母親はショックを受けて、どうしていいのかわからないんです。母親は指示やガイドラインを必要としています。18通りもの選択肢があるんだとか、そんな非指示的なやりかたではだめです。こういう状況にある人にはそんなやり方は役に立ちません。母親は自分の力では物事をやり遂げられないと思っているので、夫の側になびいていってしまいがちです。母親を子どもに敵対する位置に追いやりたいと思う人はいないはずです」。
母親をしっかりサポートするとは、具体的には、秘密が開示された後は、最初の週には毎日連絡をとり、第二週に入ってからも同じくらい頻繁に連絡をとることを意味している。父親と分離するかどうか、刑事訴訟を起こすかどうかについての決断、家計をどうするかといったことやベビーシッターの手配など、現実的な課題について、この期間にできる限り速やかに対処すべきである。
こうした事柄への対処が早ければ早いほど、危機も早く収まり、癒しと立ち直りのプロセスに入っていくことができる。
経験を積んだワーカーの多くは、危機的な時期に、父親と娘は同じ家に居るべきではないという点で意見が一致している。たとえ秘密の開示後すぐに父親が認めた場合でも、家に帰って父親と顔を合わせ、彼の権威の下で生活するのは娘にとって危険すぎるし、ストレスが大きすぎる。
多くの理由から、娘ではなく父親が家を離れる方が、より望ましい。
まず第一に、彼は大人であり、娘よりずっと別の生活場所を探しやすい。里親も必要なくなるし、どこかに部屋さえ見つければいいのである。
第二に、一時的な住居を提供する施設は、近親姦の被害を受けた少女には向いていなかったり、安全でなかったりすることが多い。青少年収容センターや青少年ホームに娘が入所させられた場合、彼女にとって、父親ではなくて自分がまるで犯罪人のように扱われたという気持ちを拭い去るのは難しい。里親の所へ行くことになった場合には、繰り返し性的虐待を受ける危険にさらされることになる。
少女が近親姦の被害者だということがいったんわかると、多くの男性は彼女に性的関心を示し、彼女をまるで誰でも手を出していい公共財産のような扱いをする。
その結果、その娘が里親家族の父親やほかの家族メンバーの性的注目にさらされることは稀ではない。
たとえ娘のために理想的な生活場所が見つかったとしても、父親が家に居続けているというのに、彼女の方が家族から排除されるとしたら、彼女は罰を受けたと感じてしまう。娘を家から引き離すことは、両親が手を結んで娘に対抗する傾向を強めるが、父親を家から離させることで、娘は母親との関係を修復するチャンスが得られ、母親は自分の判断に従って行動する機会をもてる。
p157-167
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