リチャード・B. ガートナー『 少年への性的虐待 男性被害者の心的外傷と精神分析治療』(宮地尚子ほか訳、作品社)より
小児期の性的なトラウマをあますところなく示す、明確な臨床像は特に存在しない。しかし、性的虐待を受けたことがある女性や男性に共通してよく見られる、心理的なトラウマの症状は存在する。これらについてはあちこちで述べられているが、そこには、著しい対人的孤立、人間関係を築く上での複雑な問題、心的外傷ストレス障害(PTSD : post traumatic stress disorder)がある。
PTSDはよく知られた症状の集まりからなる症候群である。PTSDは、トラウマティックな状況に対する急性の反応として起こる場合もあるし、数ヶ月、もしくは数年後にまで遷延して発症する場合もある。PTSDの主な特徴は過覚醒であり、しばしば侵入思考を伴うことが多い。侵入思考は、求められもしないのに、フラッシュバックとして現れ、あらゆる感覚を通して、繰り返し起こることが多い。それらは悪夢や夜驚*1といった形をとることもあり、生々しく、または象徴的に、トラウマが再現される。
PTSDの過覚醒症状の例を、本書で取り上げる事例から見てみよう。
(母親に「性的裏切り」をされた)コリーは、妻とのセックスの最中にフラッシュバックに襲われ、ある特定の方法で妻に触れられると、突然彼女の顔が母親の顔に見えてしまった。彼は飛び起きて、「僕に触るな」と叫びながら妻を突き放した。
パトリックは、部屋に知らない人が押し入るという夜驚に苦しんでいた。彼は自宅のドアに何重もの鍵をしつらえ、旅行する時にはホテルの部屋用に南京錠を持ち歩いたが、それでもよく眠れなかった。
アンドレアスは、上司から仕事を褒められると、上司との関係が急に著しく親密なものになってしまいそうな気がして、身体が麻痺するのを感じた。仕事がうまくいったため、上司は彼に特別な褒美の品を渡そうとしたが、彼は受け取らなかった。
過覚醒と同時に、麻痺を感じたり、世界から離れた感じ、人々と切り離された感じを持つこともある。そして、未来に悪いことが起きるのではないかと考えたり、他者に対してあまり情緒的な反応をしなくなることも多い。(中略)
PTSDと関連する症状のいくつかは、安全な環境で起こる場合には、慣れや逆条件付けをもたらし、元の生活に戻るのに役立つ適応と考えることができる。そのような状況では、リラックスしている時にフラッシュバックが起こるために、トラウマがリラックスした感じと結びつけられる。そうなれば、PTSDはたいてい比較的短い時間でおさまる。
例えば、交通事故にあった人が、「できるだけ早くまた車を運転しなさい」という、よく言われるアドバイスに従う場合を見てみよう。これは、車の運転に結びつけられたトラウマティックな反応全般に慣れを起こさせ、運転をトラウマティックではない反応と新たに結びつける。しかし、再び運転するまでに何ヶ月も間をあけてしまうと、より重篤な慢性PTSDの症状を発展させ、運転できなくなってしまうかもしれない。
一方、先に述べたコリー、パトリック、アンドレアスのような事例では、つらい情緒状態に耐えられなくなっている。フラッシュバックの間リラックスすることができないため、トラウマに慣れが起きない。急にびっくりしたり、すぐに苛立ったり、身体症状を出すなど、慢性的な過覚醒状態を生きることになる。自分の経験を脱感作できないため、認知的、行動的、解離的な方法によって、つらい情緒状態に陥るのを避けるようになる。
認知的な回避としては、気を動転させるような思考を心から追いやる。これは意識的な防衛ともなりえ、ある程度は助けにもなるし適応的でもある。
行動的な回避は、セックスや親密なつながりを持つといった、心を乱すような活動から身を引くことである。
解離的な回避とは、思考、感情、記憶、行動の間の意識的なつながりを、防衛的に絶つことである。解離を用いて、トラウマティックな出来事の一部だけしか経験しないことによって、その衝撃を減らすのである。
Bessel van der kolk と彼の同僚は、PTSDが精神生理的にはどのようなものなのかを明らかにしようと、広範囲な研究をしている。一般にトラウマへの反応は、過剰な反応性と、それに伴う表面上の無感覚という二様相からなり、「刺激に対する過記憶や過剰反応、トラウマの再体験と同時に、心理的麻痺、回避、健忘、無快感症(アンヘドニア)が併存する」と彼らはいう。
長期化したトラウマティック・ストレスは脳に変化をもたらし、自律神経のシステムの崩壊を導く。これは認知的・行動的症状を引き起こすかもしれないし、それを悪化させるかもしれない。慢性過覚醒への反応として、人々が遮断してしまうということを指摘して、van der kolk は、さらされた被害の大きさ、過去のトラウマの重さ、ソーシャルサポートシステムの有無が、PTSDを慢性化させるかどうかを最も左右することを見出している。
極度の非力感を味わうと、出来事が与えるトラウマの衝撃は大きくなる。しかし同じような出来事に個々人がどう反応するかは非常に多様である。ある人にとってトラウマティックな状況でも、他の人は簡単に対処できるかもしれない。重要なのは、その経験がどれほど衝撃的かという外的な判断ではなく、個人の主観的な受けとめ方なのである。刺激が多すぎたり少なすぎる状況におかれても、予想されるようなトラウマティックな反応をしない少年もいれば、「客観的な」傍観者からすれば大したことがないと思われる状況にひどく反応する少年もいるのである。
Crowder が記すように、「クライアントがある性的行為をどれほど侵入的だと感じるかも、主観的なものである……治療において注目されるべきは、その行為が客観的な意味で侵入的かどうかではなく、クライアントがどう経験したかなのである」。
よって、虐待的で裏切りを伴う行動でも、場合によっては被害者にトラウマをもたらさないかもしれない。そういうことはまれではあるものの、特に思春期以降の虐待の場合、虐待者がその少年の性的対象の選択(それが同性であろうと、異性であろうと)と同じ性別であり、虐待者が暴力的でなかったり、明白な強制がなかった場合、性的虐待を受けた少年はトラウマを受けたとは感じないかもしれない。しかし、被害者にトラウマティックな影響がないからといって、行動そのものが虐待的でなかったということにはならない。
(中略)
自分に起きたことをどう受け止め理解するかは、それがもたらした出来事や影響を、治療過程の中で、これまでと異なる視点から考え直すことで、変わっていくかもしれない。性的な裏切りは、肯定的な意味づけを与えられ、教育や、愛、相互性、衛生や医療処置(「これはお医者さんからするように言われていることだよ」)、娯楽(「これはゲームだよ」)であるかのように偽られ、子どもが配偶者のように扱われたり、大人から受けた恩義への礼であるとか公平な取引と見なされてきたかもしれない。
虐待が、愛や気遣いや娯楽の行為であるかのようにしてなされると、子どもはその行動自体によって裏切られるのみならず、その行動に伴う嘘やごまかし、混乱によっても裏切られることになる。……虐待が愛や気遣いや娯楽と同等視されてしまうと、悲惨な結果を招きかねない。
起きたことに対して新しい見方をすることができるようになる鍵は、このごまかしを解きほぐしていく中にある。
p.33-37
- 作者: リチャード・B.ガートナー,Richard B. Gartner,宮地尚子,岩崎直子,村瀬健介,井筒節,堤敦朗
- 出版社/メーカー: 作品社
- 発売日: 2005/03
- メディア: 単行本
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*1:”夜驚症とは、睡眠中に突然起き出し、叫び声をあげるなどの恐怖様症状を示す症状のことである。概ね数分から十数分間症状が続く。” https://ja.wikipedia.org/wiki/%E5%A4%9C%E9%A9%9A%E7%97%87