格差を永続させ差別的身分制を固定化する制度の問題性を認識していながらそれに乗ろうとすること、それはいったいどれだけ多くの人々を置き去りにしていくことなのか。そのような状況の中でクィア理論という学問の制度化を目指すという動きは、実のところクィアの名のもとに「その格差と身分制社会」を維持しつつ特定のクィアたち=エリートだけがそれにアクセスできる科研費の配分増額を目論むことなのではないか、それこそがまさにネオリベラリズムと親和性があるのではないか。もっともこの「クィアの(特権)例外主義」はこれまでずっと続いていたのかもしれない。差別的制度を解消するのではなくそれを回避するための「クィア例外主義」。そして今後もそれを続けていくためのクィア・スタディーズの制度構築が。
博士号を取得し、専任の教授と同じように講義しても、年収250万円ほどで研究費・出張費も自腹、社会保障もない劣悪な待遇で暮らす人たち。それが大学の非常勤講師だ。その実態を探るべく当事者を取材し、2010年度早稲田大学文学部の年間トータル講義数と500人強に及ぶ非常勤講師全リストを照合したところ、全2032コマのうち、実に51%が非常勤講師の担当であることが分かった。搾取の上に成り立つ早大は、賃金格差5倍の身分制度を放置する「格差拡大装置」と化している。正規・非正規問題を論じる学者は、まず足もとを改革してから公の場に出てくることだ。
早稲田大・非常勤講師の給与明細が語る“大学内搾取”の構造:MyNewsJapan
今回の告発は、なぜ大学が非常勤講師の無期転換をしたくないのか、という問題につながってくる。
「無期転換したとしても、法律上、労働条件は有期雇用の時のまま。そうなると、専任教員と非常勤教員の間の異常な格差が露見してしまうからではないか」。松村さんはこう分析した。
たとえば、週に5コマの授業を受け持つ場合、一般的な大学での専任教員の平均年収は1000万円。これに対して、非常勤は150万円。「何年か修業をして常勤に」と信じて耐えているという。一方で、授業の半分以上は非常勤が担当している現実もある。松村さんは「格差を永続させて身分制社会を固定化したいというのが大学関係者の本音」と見立てていた。
それを読み、筆者は、劣悪な環境のなかで、高い志を持ち学問を続ける人たちがいることに深い敬意を抱くとともに、どの大学もたいそうな建学の理念を掲げておきながら、その実、大学内で理不尽な格差社会を生み出していることに、唖然としてしまった。
本来、学問の府というのは、そうした世の中の理不尽さを糺す人材を輩出するところであるはずなのに、その大学の講義の場自体が、理不尽な“搾取”の場と化しているのである。“搾取”を土台とした大学――そこを出た人たちが中核をなしていく社会は、政治、経済、文化、科学、教育、家庭など社会のありとあらゆる分野で、搾取を「再生産」していき、格差を推し進めることになりはしないか。大学は、未来の社会の鏡であるがゆえに、心配、と言わざるを得ない。
彼女彼らは仕事をやめ、抑圧に加担することで得る、権力や特権を放棄しました。スピヴァクは、そうしたマジョリティの人々を「批判する権利を得た人々」と呼んでいます。差別構造によって得た自分たちの既得権は手放そうともしない人に、その差別構造を批判する資格などありませんから。
自分がやっている学問や研究の価値や意義を疑わなくなったら人文学としては終わりである。大学の人文系潰し(とそれに伴う人文学者による人文学の価値主張の強制)は人文系研究者に「人文学として終わる」ことを求めている点で絶望的だと思う。
https://twitter.com/ynabe39/status/662407327954243584
現在の科研費の各分野における配分額は、分化細目ごとの応募数によって決まっている。つまり、ある分野の研究者が多くなり、科研費の申請が増えれば、自然とその分野への研究費の配分額も増えてくる。学問の進展に柔軟に対応していくシステムといえる。しかし、逆に言えば、特定の研究者コミュニティが一定の研究費を継続的に確保し続けるため、その分野のボス支配が強まるシステムであるといえる。
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- 【理論の信憑性】それほどまでにナショナリズムやネオリベラリズムの研究/に対する警戒、「それに加担している」と他人を恫喝・告発をしてきたのに、自分たちのその基盤がその渦中にあるのって、どういうことなんだろう? 足元を見ていない? 研究成果を生かせていない?
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