The Reverberator

EFFORTLESS FRENCH

【理論の信憑性】それほどまでにナショナリズムやネオリベラリズムの研究/に対する警戒、「それに加担している」と他人を恫喝・告発をしてきたのに、自分たちのその基盤がその渦中にあるのって、どういうことなんだろう? 足元を見ていない? 研究成果を生かせていない? 

 法人化して10年たった国立大がまた転機を迎えている。文部科学省から通知があり、教員養成系や人文社会科学系の学部などについては、廃止を含めて見直すよう求められている。

 国の財政事情は厳しい。限られた予算を有効活用するため、国立大は国や地域に有用な即戦力の育成に特化すべきで、費用対効果が分かりにくい人文系は私立大に任せる―。そう言ったも同然である。本当にそれでいいのだろうか。

 

文科省の通知の基になっているのは、昨年8月に国立大学法人評価委員会が示した「視点」案である。盛り込まれた文言を見ると「持続的な競争力」「高い付加価値」「我が国の経済社会の発展に資する教育研究」「イノベーションの創出」など経済的な用語、概念がちりばめられている。

 そのうえで教員養成系学部などは「廃止や社会的要請の高い分野への転換に積極的に取り組むべきではないか」と続く。

 こうした方針に対する大学関係者の危機感は強い。その1人で名古屋大大学院文学科の日比嘉高准教授は、近著「いま、大学で何が起こっているのか」(ひつじ書房)で「目先の基準でいらないものを切り捨てていった組織は、起こりうる変化に対応できない」と憂える。

 そんな大学に変われば学生も同様の価値観に染まり、国や社会そのものが目先の利益や有用性だけに価値を置く息苦しい場になりかねない。「一見役に立たないけれども実は大切なことが、世の中にはごまんと」あり実際、大学が学問以外にも「実は大切なこと」を学ぶ場になっているとの主張は一般的にも理解しやすい。

 

それでも国の財政事情からすれば、教員養成系や人文系を残しておく余裕がないと文科省は言いたいのかもしれない。

 しかし日本の場合、教育に対する公的支出がそもそも低い。経済協力開発機構OECD)の2013年版調査によると、加盟国で比較可能な30カ国のうち国内総生産(GDP)に占める割合は3・6%で最下位。子ども1人当たりだと平均を上回り29カ国中12位だが、高等教育の授業料が5番目に高額で家庭の負担がかなり大きい。

 これが家庭の経済的な格差が学歴格差を招き、さらに貧困家庭を生むという負の連鎖の一因ともなっている。社会不安につながりかねない問題である。

 国立大の改革以前に「国家百年の大計」として、この教育への公的支出のあり方をまず見直すべきだろう。

 

 

国立大に文系不要? 「すぐ役立つ」は息苦しい 論説 福井のニュース |福井新聞ONLINE:福井県の総合ニュースサイト