東大、東北大…国立大学で進む「雇用崩落」の大問題
2017.09.21
特に東京大学が公募する「職域限定雇用職員」では、採用は予算の裏付けがある部局に限られている。過去にも同じような制度が新設されたが、その時もほとんどの職員が採用されなかった、と20年以上働く女性職員が証言する。
「東大での非常勤教職員の雇い止めは2009年頃から始まりました。その時にも『特任の職員』という制度を新設するので、継続して働きたい人は受験してくださいと言われました。しかし、どの部局も予算がなく、結局ほとんど募集はありませんでした。その時の経験から、今回の公募も、自分が働く部局では募集がないのではと、多くの非常勤教職員が不安を抱いています」
つまり、職域限定雇用職員などの新たなポストは、無期雇用への転換を拒否したと言われないように、大学側が体裁を取り繕うだけの策にすぎない可能性があるのだ。
東京大学では2009年からすでに非常勤教職員の雇い止めが行われていた。非常勤教職員の雇い止めがすでに問題化されていた。現場では、すでに声が上がっていた。このことは何を意味するのだろうか? なぜそのことが知らされなかったのか。こういうことが起こっているのに、それでいてネオリベラリズムに警鐘を鳴らしてきたなどとどうして言えるのか? その8年間、いったい何をしていたのだ? 高学歴エリートによるクィア・ポリティクスは所詮、高学歴エリートのためだけのクィア・ポリティクスでしかなかったのではないか。高学歴エリートが大学で安定した地位と高賃金を得ている一方で、不安定な地位と低賃金に喘いでいる人たちがいる。高学歴エリートが、そうでない人たちを支配、搾取している。これは日本社会の縮図そのものではないか? クィア・ポリティクスがそのように見えないのは、大学で「クィア」を名乗る者たちが数々の弱者、多ければ多いほどいい少数者を連帯の名の下に身にまとい、それらを盾にしてきたからだ。数々の弱者、多ければ多いほどいい少数者を自分たちに都合よく統合し、自分たちのために利用し、それぞれを生かさず殺さず、自分たちの配下に置き、自分たちの盾にし、国家から研究費を得、大学でのポストを得るために、「その人たち」を自分たちの「資源」にしてきた。これがピンクウォッシュでなくていったい何だろう? 2009年から雇い止めが始まっていたのに、いったいどんな顔をしてクィア理論で弱者・少数者との連帯を唱えてきたのか? すでに雇い止めされた非常勤教職員の方々はどれほどいるのか? 今後雇い止めの危機に晒され不安な日々を送っている人はどれほどいるのか? 私たちはそういった人たちのことを知って、その人たちの表情を思い浮かべることができてもなお、「ネオリベラリズムと親和性がある」などとクィア理論の定型文を応唱することができるのか。「研究する自由だけを追求」し、不公正や不正義を問うてこなかったその8年間はいったい何だったのだ?
私たちは馬鹿にされているのか? 私たちが馬鹿なのか?
それゆえ、見よ、わたしは仲間どうしでわたしの言葉を盗み合う預言者たちに立ち向かう、と主は言われる。見よ、わたしは自分の舌先だけで、その言葉を「託宣」と称する預言者たちに立ち向かう、と主は言われる。見よ、わたしは偽りの夢を預言する者たちに立ち向かう、と主は言われる。彼らは、それを解き明かして、偽りと気まぐれをもってわが民を迷わせた。わたしは彼らを遣わしたことも、彼らに命じたこともない。彼らはこの民に何の益ももたらさない、と主は言われる。
エレミア書 23.30-32 新共同訳聖書
【関連】
- 「この大学」は労働力を必要に応じて柔軟に雇い入れたり解雇したりすることで、状況の変化に対応し存続をはかろうし、他方で労働者には雇用や解雇の要請を柔軟に受け入れることを要請しているのではないか。「この大学」のやっていることは、非正規雇用を人扱いしなくていいという誤ったメッセージを流すことになっているのではないか。「ラディカルな性の政治」=クィア・ポリティクスとはいったいなんだったのか? それはネオリベラルな体制のもたらす不安定さによって生存を脅かされる人々から切り離されてしまっているクィア理論自体の問題…
- どうして私たちは高学歴エリートによる弱者救済の物語を信じてしまうのか、これまで何度も「それら」に裏切られてきたことを見て知っているはずなのに、どうして「これ」だけは例外だと思ってしまうのか ~ 「国選クィア」あるいは「国家クィア──国家よって選ばれ、国家のよって身分を保証されたクィア」によるクィア・ポリティクスを振り返る
- これで…ちゃんと正しい方向にむかっているのか? ~ 大学において適切な柔軟性を発揮できない非正規労働者は試験によって選抜され、排除されなければならないのか? 社会的なリソースと権利とのより平等な再分配の追求を最初から目指すことなく、既存の不平等な体制内部での権利でさえも反故にしているのではないか? 「こんなことをやっている/やってきた」大学関係者の指導の下に行われるクィア・ポリティクスとはいったい何か? どんな権能で大学関係者は私たちのあり方や私たちの社会活動を評価することができるのか…これで?
- 非常勤職員の雇い止めが「普通の風景」になっている大学、何が/誰が大学にとって優先されるべきなのかという価値判断によって切り捨てられる大学の非正規職員たち、そして労働者としての当たり前の権利を「試験」によって勝ち取らせ、それを寛容さのアピールとして用いる大学当局の傲慢さ ~ 東京大学の非常勤職員8000人の雇い止めはネオリベラリズムの勝利なのか? そのような大学に基盤を置くクィア・スタディーズとはいったい何なのか? 「その」クィア・ポリティクスは詐欺だったのか?
- ジュディス・バトラーの涙 ~ 権力の巧妙な策略による大学の雇い止め問題、解放を促すはずのまさにその大学で起きている欺きの正当化と弱き者の排除、「ピンクウォッシュ化」するクィア・ポリティクス
- 「クィア・スタディーズ」とはいったい何だったのか? 特定の高学歴者たちの研究する自由だけを約束し、その一方で「こんな」ネオリベラルな価値観を温存させ、「このような」階級的ヒエラルキーと結びついた格差を生み出している状況はいったい何なのか? 非正規雇用者に対してまるで「だまし討ち」のようなこんな馬鹿にしたルール=規範を強いて雇い止めを行う教育機関/研究機関としての大学の「この惨状」はいったい何なのか? 東京大学非常勤職員の雇い止め問題から見えるのは高学歴者中心主義のクィア・ノーマティヴィティ・ポリティクス…
- ようこそ、ネオリベラリズムと親和的な大学へ ~ クィア・ポリティクスと偽りのネオリベ批判、「アメリカの事例」をまことしやかに教え説く偽預言者たちのクィア・ポリティクス──すなわち「ピンクウォッシング」
- 裸の王様たちのクィア・ポリティックス ~ 大学がネオリベラリズムの温床で、その最前線であることは、もはや多くの人が薄々感づいている。それなのに、それだからこそ「ネオリベラリズムと親和性がある」と他人にその責を擦り付けている薄汚いクィア・ポリティックス──それこそがまさに”王様は裸だ!”を覆い隠すピンクウォッシュ。
- 電通で発覚した事実とその後の「その評価」、東京大学で発覚している事実と今後なされるべき「同様の評価」 ~ クィアポリティクスにおいて問題を設定するのは誰なのか? 他人を評価する側に恒久的に就くことができるのは誰なのか? その権能はどこから授けられたのか?
- 渋谷区の寓話、東京大学の寓話、野宿者排除とクィア・ポリティクス、大学非常勤職員の雇い止め問題とクィア・ポリティクス、ピンクウォッシュの接続、ピンクウォッシングの展開
- そこにネオリベラリズムの地獄を見た ~ 東京大学非常勤職員の雇止め問題とクィア・ポリティクスの悪魔的欺瞞
- ”人件費を抑えるため、身分が不安定な任期つき雇用を増やさざるを得ない国立大が増えている””非正規なくして○○大学なし”──これがクィアポリティクスの成れの果てなのか? ネオリベラリズムへの警鐘を鳴らし、その処方箋だと嘯いてきた「アメリカの新興学問」の正体なのか? インチキじゃないか? 詐欺じゃないか?
- 東北大学で非正規教員3200人「雇い止め」の恐れ、「優秀な人を継続雇用する制度を導入する予定」 ~ クィア・ポリティクスと齟齬のある事象、ネオリベラリズムとの親和性
- 軍事応用可能研究に16大学応募 東工大や岡山大 防衛省が費用
- 日本の研究者に米軍資金 12大学・機関に2億円超
- 【理論の信憑性】それほどまでにナショナリズムやネオリベラリズムの研究/に対する警戒、「それに加担している」と他人を恫喝・告発をしてきたのに、自分たちのその基盤がその渦中にあるのって、どういうことなんだろう? 足元を見ていない? 研究成果を生かせていない?
- 「非常勤講師ノーマティビティ」とクィア格差
- 軍事と大学、防衛省公募に応募多数 ~ クィア・ポリティクスと齟齬のある事象、理論の信憑性