The Reverberator

EFFORTLESS FRENCH

”何のイシューが排除されているのか?”という問いかけは、実のところ何のイシューを不可視化しているのか? ~ 慰安婦問題で中心的役割を果たしている早稲田大学教授に対する早稲田大学の教員及びかつて非常勤講師として早稲田大学の教壇に立っていたクィア理論の専門家による「抵抗の証」=「クィア政治」の内実を教えてほしい。

 

 

早稲田大学の有馬哲夫教授に関していまさら紹介する必要はないだろう。記録しておくべき必要があるのは、有馬教授の言動に対する政治的な態度に関してである。

 

有馬教授の言動に対し、大学関係者のみならず多くの一般の人もその問題を訴えている。とくに注目すべきなのは、有馬教授個人の言動そのものだけではなく、そのような言動を繰り返している人物に対する早稲田大学の姿勢を問うていることだ*1教育機関として、慰安婦問題をめぐるその歴史認識を大学は許容しているのか、ということだ。大学のそういう姿勢こそが、慰安婦問題をめぐるその歴史認識に対し一定の評価を与えているのではないか、と。
だから「この問題」に対して少なくない人たちが早稲田大学当局の責任を問うている。だから少なくない人たちが有馬教授の同僚である早稲田大学の教員の「この問題」に対する沈黙を問うている。


慰安婦問題に詳しく、かつ、クィア理論およびジェンダー論を専門としているならば、非常勤講師として(でも)早稲田大学に応募する段階で、有馬教授の存在を知っていたはずだ。「この問題」を知っていたはずだ。「この問題」の重要性を十分に認識できていたはずだ。


非常勤講師であっても早稲田大学の教員としてクィア理論またはジェンダー論を学生に講じていたならば、有馬教授の問題を他の大学の人たちが「そうしていたように」大学当局に訴えることも十分可能であったはずだ。具体的に早稲田大学当局にどんな請願をして、どんな交渉をし、それに対して大学当局がどんな回答をしたのか、さらにその大学の回答に対してどんな行動を取ったのか教えてほしい。「クィア政治」というものが具体的にどういうものなのか知りたいからだ。


非常勤講師であっても早稲田大学の教員としてクィア理論またはジェンダー論を学生に講じていたならば、直接、有馬教授と慰安婦問題について問い但すことも十分可能であったはずだ。非常勤講師であっても早稲田大学の教員として、電話、SNSのアカウント等、または有馬教授の研究室に直接訪れるなど、どのような手段でコンタクトを取り、慰安婦問題について議論したのか、あるいは会見を申し込んだが断られた経緯などを教えてほしい。「クィア政治」というものが具体的に何をするものなのか知りたいからだ。

 

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