クィア理論/クィア・スタディーズをやってる教員にとって、一般のLGBTは「その受け持ちの生徒」だと思っているのだろうか? 自分が「その教師」だと思われていると思っているのだろうか?
キミら学者やろ運動家ちゃうやろ学者で運動の味方したいんやったらまともな武器上げるんがキミらの仕事やろ「なまくらな武器で一所懸命やってる人を馬鹿にするな」とか言うとる暇あったらなまくらな武器しか作れん自分を恥じんかいなオラ https://t.co/nvwYKtMBKP
— 稲葉振一郎 (@shinichiroinaba) 2021年6月19日
一般のLGBTにとって、クィア理論/クィア・スタディーズをやってる教員は、どんな教員だろうと、他のどんな専門分野の教員よりも「私たちのために、きっと何かをやってるはずだ」と信じ、それに疑義を挟むことなく、その特別なステータスを既成事実として問答無用で認めなければならないのだろうか? 一般のLGBTにとって、クィア理論/クィア・スタディーズは、他のどんな分野の学問領域よりも優先して、その学問としての価値を無条件に認め、それを無条件に受け入れなければならないのだろうか?
それは自明なのか? そんな契約をした覚えはない。何かがおかしい。
一般のLGBTはお前の「受け持ちの生徒」でもなんでもない。偉ぶって偉そうなことを言ってくるな。
— HODGE (@HODGE_EGDOH) 2022年2月12日
なんで担当の教員を選べないんだ?#クィア理論なんていらない
#クィア理論なんていらない
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