最近のヒズボラ関係のニュース。
毎日新聞 2015年01月19日
イスラエルやシリア、レバノンなどの国境に広がるゴラン高原で18日、イスラエル軍のヘリコプターがシリア側に越境してレバノンのイスラム教シーア派武装組織ヒズボラの車列を空爆、ヒズボラ戦闘員6人とイラン人司令官1人を殺害した。レバノン紙が報じた。イスラエルとヒズボラは長年敵対関係にある。死者にはヒズボラの有力司令官も含まれておりヒズボラが報復に動く可能性もある。
レバノン紙デーリースター(電子版)やレバノン国営通信によると、イスラエル軍ヘリはシリア南部クネイトラ近郊で、ミサイル2発を発射し、ヒズボラの車列を大破させた。
ヒズボラはシリア内戦でアサド政権側について参戦。死者にはヒズボラのシリアでの軍事作戦の責任者ムハンマド・イッサ氏や、2008年にシリアで暗殺されたヒズボラのムグニエ司令官の息子が含まれていた。
クネイトラでは昨年以降、シリアのアサド政権と国際テロ組織アルカイダ系のヌスラ戦線が激しい戦闘を続けている。ヒズボラやイランはアサド政権を支援しており、標的となった車列も軍事活動に従事していた可能性がある。
ヒズボラは13年春、アサド政権を支援するためシリア内戦に本格参戦した。イスラエルは、ヒズボラが政権側への加勢の見返りとして、イラン製高性能ミサイルなどを取得することを強く警戒。過去3年間に数回、イスラエル軍はシリア領内でヒズボラ向けの軍事物資などを攻撃したと報じられている。
http://mainichi.jp/select/news/20150120k0000m030052000c.html
2015年1月23日
アメリカとイスラエルはヒズボラをテロ集団と見なし、EUもその軍事部門をテロ集団に指定している。しかしシーア派のイランからの潤沢な支援に加え、裕福な国外移住者からの送金や、巧妙な駆け引きで、ヒズボラはこの30年間でレバノンの政治と治安を支配するようになった。同時に、貧しかったシーア派住民はかなり豊かになった。
だがヒズボラとその支援者にとって、良い時代は過ぎ去ったのかもしれない。ヒズボラに年間数億ドルもの資金をもたらしてきたイランは、原油の利益をこれまでのように望めなくなった。
昨年6月に1バレル=100ドルだった原油価格は、いま50ドルを下回っている。世界的な需要の減少と中東諸国の原油の供給過剰に加え、アメリカのシェールガス、シェールオイルの開発が進んだためだ。イランでは原油輸出量が11年から60%減少しただけでなく、財政赤字も90億ドルに膨れ上がったと報じられている。
しかも今回の資金難は、ヒズボラにとって最悪のタイミングだ。ヒズボラのある幹部がイスラエルの情報機関モサドのスパイだったことが発覚した上、シリア内戦では戦闘員1000人近くを失ったという。イスラム教スンニ派テロ組織ISIS(自称イスラム国、別名ISIL)やシリア反政府軍との戦いでヒズボラの果たす役割が大きくなるほど、人材と資金がさらに費やされる恐れがある。
いずれにせよ、現在の「石油ショック」はヒズボラにとって最悪の経験だと、ワシントン中近東政策研究所のテロ対策専門家マシュー・レビットは言う。
原油価格低迷の長期化が予想されるなか、資金難は極限まで進む可能性がある。今の段階では軍事予算に悪影響はないはずだが、シリアの前線で戦う戦闘員の不満は高まるかもしれない。
資金難は社会サービスの段階的縮小にもつながり、政治的な支持者への支払いも滞る可能性がある。ヒズボラと手を組むイスラム教ドルーズ派のある政治家に流される資金は、月6万ドルから2万ドルに減った。
http://www.newsweekjapan.jp/stories/world/2015/01/post-3528_1.php
08年のヒズボラ幹部暗殺、CIAとモサドが共同実施 米紙報道
2015年01月31日
米紙ワシントン・ポスト(Washington Post)は30日、シリアの首都ダマスカス(Damascus)で2008年にレバノンのイスラム教シーア派(Shiite)原理主義組織ヒズボラ(Hezbollah)の司令官が暗殺された事件の背後に米中央情報局(CIA)とイスラエルの対外特務機関モサド(Mossad)がいたと伝えた。
同紙によると2008年2月12日、ヒズボラのイマド・ムグニヤ(Imad Mughniyeh)司令官がダマスカスのレストランを出たところ、近くに止まっていた車の後部のスペアタイヤに仕掛けられていた爆弾が爆発して狭い範囲に金属片をまき散らし、ムグニヤ司令官は死亡した。同紙は複数の元情報当局者の話として、米国とイスラエルの情報機関が協力してムグニヤ司令官を標的にしたと伝えている。
爆弾は米国が製造し、米ノースカロライナ(North Carolina)州でテストされたもので、イスラエルのテルアビブ(Tel Aviv)にいたモサドの工作員が、ダマスカスの現場にいたCIA工作員と連絡を取り合って遠隔操作で爆発させたのだという。
ムグニヤ司令官がダマスカスにいることを米国とイスラエルの情報当局が知った時期は明らかになっていないが、ある元情報当局者は同紙に対し、イスラエルがCIAに共同で同司令官をダマスカスで暗殺しないかと打診してきたと語った。
米国とイスラエルの情報機関はムグニヤ司令官の「生活パターン情報」を集め、暗殺当日の夜、レストランから出てきた男が同司令官だと顔認識技術を使って特定した。
ムグニヤ司令官は1980年代にレバノンで起きた欧米人の誘拐事件や、1992年にアルゼンチンでイスラエル大使館が爆破され29人が死亡した事件の首謀者だとされているほか、1983年にレバノンの首都ベイルート(Beirut)の空港にあった米海兵隊の兵舎が爆破され米兵241人が死亡した事件や、1985年にトランスワールド航空(Trans World Airlines、TWA)847便がハイジャックされ、乗客として搭乗していた米海軍のダイバー1人が死亡した事件にも関与したとされていた。