The Reverberator

メモ用

今日、男根支配のシステムを糾弾するのに、多くの場合、フェミニストは ただ一人の人──すなわち精神分析の〈父〉──を糾弾する。フロイトが人類全体のオイディプースに接近するために、彼自身のオイディプースをもちいたように、現在、人類全体の女性蔑視を説明するために、だれも「自分の」オイディプースと「自分の」女性蔑視から出発する。

フロイト自身によって流布されたこの拡大的手続きは、それなりの成果をあげている。その結果、数世紀来、女性にたいして犯されてきたあらゆる犯罪は、今日、フロイトおじさんのせいであるように見えるのである。

自分の母親に復讐するために、フロイトはすべての女性を攻撃しなければならなかった。そしていま、これらすべての女性は彼を墓から引きずりだし、目には目を、歯には歯をの仕返しをしようとしている。

何らかのフェミニストの著作をひもとくや否や、感じられるのがこのことである。フロイトはそうした著作のなかに、ほかのすべての者たち──作家、社会学者、医者──以上の、ナンバーワンの敵としてあらわれている。精神分析は私たちのもとにペストのように出現したが、このペストが殺すのは女性だけである。いやむしろ、精神分析は現在にいたるまで、ただ一つの側面しか所有せず、男性的側面それ自体しか扱っていないというべきではないだろうか。この男性的な側面が確立されるためには、女性または女性性と呼ばれる対位モチーフを必要とするにもかかわらずである。私たちについてあたえられたイマージュは、男性の確固たる優越を保持するために、男性が必要としているイマージュ以外のものでは決してない。だとすれば、私たち女性は、男性が想像しているものについて何をなすべきだろうか。今度は、私たちが男性のなかに見出したいと期待しているものを定義するほうがいいのではないだろうか。私たちは、他者に定義されるがままであるという事実に、とても高い支払をしたのではないだろうか。時がきたのだ、私たち自身について、私たち自身が語る時が。

男性的なものの目的と機能が、女性的なものを投獄し、閉じ込め、窒息させることであるとすれば、彼らがいっていることは私たちとは何の関係もない。私たちは、私たちだけで自分を定義しなければならない。女性精神分析医の義務はそこにある。すなわち、「もう一つの精神分析」を書くことである。

クリスティアーヌ・オリヴィエ『母の刻印 イオカステーの子供たち』p.19-20

 

女性である私がみずからを書き込みたいと思っているのは、女性性にかかわる男性の幻想と言葉のこの惨憺たる失敗のただなかにである。男性の幻想と言葉の多くは、その難解さゆえに、女性を男性の場から遠ざけておくことを使命としている。超自我、昇華、性的快楽、男根崇拝といった、精神分析の著作のなかでよく使われる言葉から、女性が部分的に、あるいは全面的に排除されていることぐらいは知られているだろうか。

 

同p.21 

 

難解な言葉=専門用語(例えば米語由来)は誰かを「その場」から遠ざけている。つまり排除を行っている。言葉による排除、どの言葉をどのように言葉を使うかによる排除──「その場」から遠ざける。逆に言えば、遠ざけるために「どういう(難解な、専門的な、特定の国の)言葉」を使用・利用するのか。