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裸の王様たちのクィア・ポリティックス ~ 大学がネオリベラリズムの温床で、その最前線であることは、もはや多くの人が薄々感づいている。それなのに、それだからこそ「ネオリベラリズムと親和性がある」と他人にその責を擦り付けている薄汚いクィア・ポリティックス──それこそがまさに”王様は裸だ!”を覆い隠すピンクウォッシュ。

東大でも「非常勤講師雇い止め問題」 早大に続き 財務新聞 

2017年8月22日

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問題の発端は労働契約法の改正によって有期労働契約による労働期間が5年を超えた場合、労働者に無期契約へと切り替える権利が与えられるようになった点。そのため東大では非常勤講師に対し雇用期間を最長5年とし、さらに雇用期間を「リセット」するため6か月の休業期間を設けた後であれば再び上限5年での雇用を認めるとしているのだが、これは脱法行為であると指摘されており、東大と非常勤講師の間で交渉が続けられているという。 

 

「東大が無期転換を阻害している」労組、非正規教職員8000人の雇用危機訴える 弁護士ドットコム 2017年08月23日

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 東大は大学法人化した2004年に、有期雇用の契約上限を5年とするなど、有期雇用にかかわる「東大ルール」を設定した。上限をつけたのは無期雇用との差をつけるためだ。

 

 

阪大非常勤講師4人“雇い止め不当”無期雇用への転換求め提訴

大阪大学で5年を超えて働く非常勤講師ら4人が、大学が新たに定めた契約期間の上限によって、来月(3月)末で雇い止めにされるのは不当だと主張し、期間の定めのない無期雇用への切り替えを求める訴えを起こしました。

訴えを起こしたのは、大阪大学で語学などを教えている50代から60代の非常勤講師の男女4人です。
非正規の労働者をめぐっては、同じ職場で5年を超えて働いた場合、本人が望めば契約期間の定めのない「無期雇用」に切り替えるよう義務づける改正労働契約法が施行され、5年前から適用が始まっています。

 

10年以上勤務も阪大「労働契約ではない」 非常勤講師2人が無期雇用への転換求め大学を提訴

 労働契約法では、有期の『労働契約』が通算5年を超えれば、労働者は期限のない契約に切り替えるよう、雇用主に申し入れることができます。

 しかし大学側は、講師2人は自分の裁量で特定の業務をする『準委任契約』で、『労働契約』ではないとして、2人の申し入れに応じなかったということです。

 講師らは、「大学の指示のもと、授業計画を作成し成績評価をするなど、実質的に『労働契約』だった」として、31日、地位の確認を求め、大阪地裁に訴えを起こしました。

 

金大 泉学寮存続へ最後の訴え 来月末で廃止予定

一九六五(昭和四十)年に金沢市野町に設置された泉学寮は、建物の老朽化を理由に、大学側が二〇二二年度末での廃寮を決定。寮生は経済的事情などを理由に反対し、昨年三月から署名活動を続けてきた。現役寮生に卒業生らが協力し、オンラインを含め約三千八百筆が集まった。
 この日は、これまで活動してきたメンバーに加え、京都大吉田寮、一橋大中和寮の学生と大学院生六人が駆けつけた。学生らは通行人や行き交う車に向かい、廃寮問題について説明。運営費や光熱費を含めて月一万円ほどの泉学寮は、困窮学生の支えとなっていることに触れ「学生の声を聞いて」などと訴えた。
 京都大吉田寮は、大学側が建物の明け渡しを求めて寮生を提訴し、現在係争中。三年の男子学生(22)は「泉学寮の廃寮は大学の管理強化が背景にあり、吉田寮と問題の根っこは同じ。横の連携を深めたい」と思いを共有する。
「大学全体がトップダウンになり、学生の生活を守ろうとしていない」

 

金沢大「泉学寮」ついに廃止 延長期間終え、最後の学生8人退去

新型コロナウイルス禍などの影響で経済的に困窮する学生が増える中、寮生らが寮の存続を求めて署名活動を展開。国会や県議会でも取り上げられたが、大学側の廃止方針は変わらなかった。大学側に要望を続け、転出先を決めていなかった寮生もこの日までに退去し、半世紀以上の歴史に幕を下ろした。

 

本年度より新しくクィアスタディーズ/クィア理論の講義を受講することになった学生の方々にお願いがあります。画一化・統一化されたカリキュラムに則ったクィアスタディーズ/クィア理論の講義では、おそらく「ネオリベラリズムとの親和性」だとか「ノーマティヴィティ」だとかを、まるで何か世紀の大発見であるかのように教員が得意げに(しかし一方で「彼らの罪」を嘆いて見せることも忘れないで)開陳することが十分に予想されます。なぜなら、これこそがクィアスタディーズ/クィア理論の講義を学期を通してやる場合に「間を持たせる」ための格好のトピックの一つだからです。間違えないでください。実際の現実のネオリベラリズムを解消するためではなくて、クィアスタディーズ/クィア理論の授業の「間を持たせる」ために必要なものなのです。

考えてもみてください。もし「ネオリベラリズムと親和性がある」と高度な分析をしていると称している同じ大学で、非正規雇用者の雇止めが粛々と行われていたとしたら、普通に考えて、おかしいと思うでしょう? 

考えてもみてください。もし「ネオリベラリズムと親和性がある」と高度な分析をしていると称している同じ大学で、経済的に困窮している学生のための寮の廃寮が粛々と行われていたとしたら、普通に考えて、おかしいと思うでしょう?

 

何のための理論なのでしょう? 目的を見誤ってはなりません。手段を目的にしてはなりません。問題はいたってシンプルです。「こんなことまで問題にしている」にもかかわらず、なぜ「現状はこうなっている」のか、ということです。「ネオリベラリズムと親和性がある」「ノーマティヴィティ」と他人を恫喝しておきながら、そう言っている者たちこそが、まさにネオリベラリズムの泥沼に首までつかっているような光景が見えます。こんなおかしなことは子供でもわかります。でも、なぜかそう言えない雰囲気が漂っています。王様は裸なのに、それを言うのが憚れるような冷ややかな空気に支配されているのです。

 

 

あなたの口は罪に導かれて語り

舌はこざかしい論法を選ぶ。

あなたに罪を定めるのはわたしではなく

あなた自身の口だ。

あなたの唇があなたに不利な答えをするのだ。

 

 

ヨブ記 15.5-6 新共同訳聖書

 

 

 

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電通で発覚した事実とその後の「その評価」、東京大学で発覚している事実と今後なされるべき「同様の評価」 ~ クィアポリティクスにおいて問題を設定するのは誰なのか? 他人を評価する側に恒久的に就くことができるのは誰なのか? その権能はどこから授けられたのか? 

「東大が無期転換を阻害している」労組、非正規教職員8000人の雇用危機訴える

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 労組が問題視しているのはそれだけではない。東大は労契法改正後の2012年11月、この東大ルールを変更した。この際、パートタイムの教職員の再雇用について、クーリング(空白)期間を3カ月から6カ月に変更している。

クーリングとは、再雇用までの期間のこと。改正労契法では6カ月あけて雇用すれば、それまでの雇用年月をリセットできるとされている。労組は、これまでの規定だと無期転換しなければならなかったため、東大が無期転換させずに長期間雇える体制を整えるため、ルールを改正したと考えている。

実際、東大の会議資料では、変更の理由について「労働契約法の改正に伴い」との記載がある。しかし、労働者に不利益な変更だったのにもかかわらず、労使合意はなかったという。

労組によると、東大は無期転換の手段として、試験に受かればフルタイムの職員として雇うことを提案しているという。しかし、労組は労契法の趣旨に反することや、パートタイムで働かざるを得ない職員に対する配慮のなさを指摘している。

 

 

あなたがたの富は朽ち果て、衣服には虫が付き、金銀もさびてしまいます。このさびこそが、あなたがたの罪の証拠となり、あなたがたの肉を火のように食い尽くすでしょう。あなたがたは、この終わりの時のために宝を蓄えたのでした。御覧なさい。畑を刈り入れた労働者にあなたがたが支払わなかった賃金が、叫び声をあげています。刈り入れをした人々の叫びは、万軍の主の耳に達しました。

 

ヤコブの手紙4.2-5 新共同訳聖書 

 

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東京大学で起こった、非常勤職員の「雇い止め争議」その内幕 〔現代ビジネス〕2017.08.17

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 さらに、「東大ルール」には「6か月のクーリング期間の適用」が記載されている。5年働いたパート教職員は、6か月の休業期間を経た後なら、再び上限5年で雇用することを可能、としている。

 

が、改正労働契約法では、一度6か月もの休業期間を経ると、「雇用継続の期待権」がリセットされてしまい、無期転換の機会を失ってしまうことが定められている。5年働いても、その後半年間の休みをとれば、勤務期間がまた「ゼロ」からとなり、いつまでも無期雇用には至らなくなってしまう。

文書では、これがさも合理的であるかのように記載されているが、無期転換(正規雇用化)を阻止するためにクーリングすることは違法、または脱法行為にあたるとさえいわれている。 

 

 

 

では、どういうことになるのか。律法は罪であろうか。決してそうではない。しかし、律法によらなければ、わたしは罪を知らなかったでしょう。たとえば、律法が「むさぼるな」と言わなかったら、わたしはむさぼりを知らなかったでしょう。ところが、罪は掟によって機会を得、あらゆる種類のむさぼりをわたしの内に起こしました。律法がなければ罪は死んでいるのです。わたしは、かつては律法とかかわりなく生きてきました。しかし、掟が登場したとき、罪が生き返って、わたしは死にました。そして、命をもたらすはずの掟が、死を導くものであることが分かりました。罪は掟によって機会を得、わたしを欺き、そして、掟によってわたしを殺してしまったのです。

 

 

ローマの信徒への手紙 7.7-11 新共同訳聖書

 

 

 

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東京大学で起こった、非常勤職員の「雇い止め争議」その内幕 〔現代ビジネス〕2017.08.17

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 団交の場で、大学側は2018年4月から「職域限定雇用職員」という、フルタイムで定年まで働ける、新たな非正規教職員制度を作ると説明した。契約期間が満了しても引き続き働きたい人は、フルタイムの人もパートの人も、毎年秋に実施される試験を受け、それに合格すれば、非常勤ながら定年まで働くことが可能になる制度だという。

 

大学側は「この試験に合格すれば無期雇用になるので、試験を受けてほしい」と、誰でも受けられることを強調するが、組合側が「試験に受からなかった人はどうなるのか」と質すと、大学側は「試験に落ちた人を保障する必要はない」と回答。つまり、試験で落としてしまえば、その職員を再度雇う必要はない、ということのようだ。

試験に受からない場合は「その人の責任」で、不合格によって雇用が途切れるのは大学側の責任ではない、という理屈をつくるための制度だ、と組合側は受け取っているという。

 

組合側は、無期転換を認めない姿勢はそもそもの法律の趣旨に反していると主張したが、女性が8割を占める短期間有期雇用労働者を雇い止めしようとしている点は、女性に対する雇用差別、とも受け取れるという。

 

 

 

律法学者たちやファリサイ派の人々は、モーセの座に着いている。だから、彼らの言うことは、すべて行い、また守りなさい。しかし、彼らの行いは、見倣ってはならない。言うだけで、実行しないからである。彼らは背負いきれない重荷をまとめ、人の肩に載せるが、自分たちでそれを動かすために、指一本貸そうともしない。そのすることは、すべて人に見せるためである。

 

律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。白く塗った墓に似ているからだ。外側は美しく見えるが、内側は死者の骨やあらゆる汚れで満ちている。このようにあなたたちも、外側は人に正しいように見えながら、内側は偽善と不法で満ちている。

 

律法学者たちとファリサイ派の人々、あなたたち偽善者は不幸だ。預言者の墓を建てたり、正しい人の記念碑を飾ったりしているからだ。そして、『もし先祖の時代に生きていても、預言者の血を流す側にはつかなかったであろう』などと言う。こうして自分が預言者を殺した者たちの子孫であることを、自ら証明している。先祖が始めた悪事の仕上げをしたらどうだ。蛇よ、蝮らの子らよ、どうしてあなたたちは地獄の罰を免れることができようか。

 


マタイによる福音書23.2-5、27-33(新共同訳聖書)

 

 

【関連】

わたしたちは「殺す権利」を要求しない、だからあなたたちも「殺す権利」を放棄して欲しい ~ クィア政治とプロライフ政治の親和性

 私たちは中絶しなかった。私たちは生まれてくる子どもを殺さなかった。私たちは「殺す権利」を選択しなかった。私たちは「殺す権利」を行使しなかった。


そもそも私たちに何の罪もない子どもを「殺す権利」があるのだろうか? 私たちに「殺す権利」がないのに、あなたたちにはどうしてそれがあるのか? どうして「殺す権利」があると言えるのか? 


私たちは殺さない。だから、あなたたちも殺さないでほしい。私たちは「殺す権利」を行使しない。だから、あなたちも「殺す権利」を行使しないでほしい。


中絶はそれ自体が積極的な善ではない、それどころかそれは悪なのだから。中絶は何の罪もない子どもを殺すことなのだから。中絶の権利を要求することは、「殺す権利」を要求することなのだから。


だから、私たちは「そうしなかった」。だから、私たちはこれからも「そうしない」。だから、あなたたちも「そうしないでほしい」。

 

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私たちにも、あなたたちにも「殺す権利」はない。「殺す権利」を求めてはいけない。かつて、あなたたちが私たちに説いて聞かせた〈あなたたちの大義〉を思い出してほしい。  

「人の生命にかんする他の例では、フェミニストの一貫した唯一の哲学は、すべての人に尊厳を認めるというものです。私たちは女を階級としてステレオタイプ化するのを止めるよう要求しています。私たちは、年齢や精神的・肉体的条件、あるいは望まれなさの程度に基づく新しい階級別ステレオタイプを導入することはできないし、しようとも思いません。

かつて人間以下のものと定義されていた私たちには、自分たちの権利を主張する中で、彼らは人間ではないという主観的な判断に基づいて他者の権利を否定することはできません。……中絶は何の解決にもなりません。女は中絶に頼るたびに、差別をより強固なものにしているのです。

……あらゆる世論調査で、女よりも男の方が中絶を支持する率が高いのは不思議ではありません。女の中では、男の教育制度で長く教育を受けた人ほど中絶を支持する傾向が強いことも、不思議ではありません」(議会公聴会での、生命を支持するフェミニストのメンバー証言)。

 

 

荻野美穂『中絶論争とアメリカ社会 身体をめぐる戦争』(岩波書店) p.233-234 *1

 

 

もし、わたしたちが真理の知識を受けた後にも、故意に罪を犯し続けるとすれば、罪のためのいけにえは、もはや残っていません。

── ヘブライ人への手紙 10.27

 

 

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トランプ大統領、トランスジェンダーの米軍入隊を禁止へ 訴訟の恐れも

 

トランプ米大統領は26日、ツイッターで、心と体の性が一致しないトランスジェンダーの人々について、米軍への入隊を禁止する方針を発表した。時期や方法などの詳細は明らかにしていない。

突然の発表に対し、人権団体や民主・共和両党の一部議員は政治的動機に基づく差別だと非難する一方、保守系団体や一部の共和党議員は賛同する考えを示している。

オバマ前政権は、性的指向性自認に基づく米軍内の障壁撤廃に取り組んできた。

トランプ氏は昨年の大統領選期間中、トランスジェンダーを含む性的少数者(LGBT)のために戦うと公約していた。

しかし、この日のツイートでは「米軍幹部や専門家と協議した結果、米政府は米軍のいかなる職務であれトランスジェンダーの個人を受け入れない方針となった」と発表。「米軍は決定的な勝利に専念する必要があり、トランスジェンダーの受け入れに伴う高額の医療費や混乱を引き受けられない」とした。 

 
 
 

  

私たちは殺さない、だから、あなたたちも殺さないでほしい。私たちは「殺す権利」を行使しない、だから、あなたたちも「殺す権利」を行使しないでほしい。私たちは「そうしない」、だから、あなたたちも「そうしないでほしい」。私たちは殺さない、だから、あなたたちも殺すべきではない。私たちは「殺す権利」を行使しない、だから、あなたたちも「殺す権利」を行使すべきではない。私たちは「そうしない」、だから、あなたたちも「そうすべきではない」。私たちは殺さない、だから、あなたたちも殺してはいけない。私たちは「殺す権利」を行使しない、だから、あなたたちも「殺す権利」を行使してはいけない。私たちは「殺す権利」を要求しない、だから、あなたたちも「殺す権利」を放棄してほしい。私たちは「そうしない」、だから、あなたたちも「そうしてはいけない」。

私たちは〈この殺す権利〉を要求しない、だから、あなたたちも〈その殺す権利〉を放棄してほしい。

  

すでに見たように、中絶反対派は女の胎内にあるものは受精の瞬間から完全な一個の「人格」であり、成長した一人の人間とまったく同様に扱われるべきであると主張している。この観点からすれば中絶は殺人と同義であり、たとえ女にプライヴァシー権や身体に対する自己決定権があるとしても、それは彼女の体内にいるもう一人の「人間」を「殺す権利」を含むものではない、すなわち胎児の生存する権利を上回るものではないということになる。なぜならアメリカ国家の独立宣言が個人の「自由」や「幸福の追求」よりも前に「生命」を掲げているように、人間にとって生命の権利とは至高のものとされているからである。もしも胎内の「人間」の生命権を重さにおいて上回りうるものがあるとすれば、それは妊娠出産によって女性の生命を防衛する権利のみである。

(中略)

これに対する中絶擁護派の反論は、中絶を選択したある女性の次のような感想に、素朴ではあるが率直な形で示されている。
「悪いけど、私はよく知りもしない誰かのために、私の人生を犠牲にする気はないわ。それが中絶の後、私がいちばん強く感じたことだったんです。誰かの命を犠牲にすることで、私は自分の生命を救ったんだって。」

 

 

『中絶論争とアメリカ社会 身体をめぐる戦争』p.230-231 

 

 

【関連】

 

*1:

中絶論争とアメリカ社会――身体をめぐる戦争 (岩波人文書セレクション)

中絶論争とアメリカ社会――身体をめぐる戦争 (岩波人文書セレクション)