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法制審答申案 強姦、非親告罪に、性別の前提もなくなる

性犯罪「親告罪」撤廃へ…法定刑引き上げ厳罰化 読売新聞

2016年06月16日

 性犯罪を罰する刑法の規定の見直しを議論してきた法制審議会(法相の諮問機関)の部会は16日、被害者の告訴が起訴の条件となる「親告罪」規定の撤廃や、強姦ごうかん罪の法定刑の引き上げなどを盛り込んだ答申案をまとめた。

 

親告罪規定は、被害者のプライバシーなどに配慮するため、明治時代に設けられた。しかし、性犯罪被害者が捜査機関に告訴状を出す負担は大きく、被害が潜在化する恐れが指摘されているため、答申案では規定を撤廃するとした。

 

http://www.yomiuri.co.jp/national/20160616-OYT1T50087.html

 

厳罰化へ要綱 強姦、非親告罪に 法制審部会 毎日新聞
2016年6月16日

◇要綱の骨子

強姦罪と強姦致死傷罪の法定刑の下限を引き上げる

強姦罪の加害者、被害者の性別を問わなくする

・強制わいせつ罪で処罰される行為で、一部の悪質性の高い行為は強姦罪で処罰

・強制わいせつ罪と強姦罪、わいせつや結婚目的の略取誘拐罪を非親告罪化し、改正法施行前に起きた事件も同様の扱いとする

・18歳未満の子供を監督・保護する者が影響力に乗じてわいせつな行為や性交などに及んだ場合の罰則を新設

・同一機会に強姦と強盗をした場合、その先後を問わず罰則を統一する

 

http://mainichi.jp/articles/20160617/k00/00m/040/086000c

 

性犯罪厳罰化、刑法改正へ=男性被害、親子間も対象-法制審 時事通信
2016/06/16

 現行法は、強姦罪の被害者を女性だけとしているが、要綱案では男性も被害者として扱う。対象行為についても、通常の「性交」に限定していたものを、性交に類する行為も含む「性交等」とした。
 また、親が監護者としての影響力を行使し、子に性犯罪に及んだ場合などの規定も新設。従来は児童福祉法などで軽い罪で済んでいたが厳罰化する。このほか、強盗と強姦を同じ場所で行った場合、どちらが先行したかで法定刑が異なっていたが、どちらが先でも「無期または7年以上の懲役」に統一した。

 

http://www.jiji.com/jc/article?k=2016061600355&g=soc

 

強姦罪など告訴不要に 性犯罪、厳罰化へ 法制審答申案 朝日新聞
2016年6月16日

 「強姦」の考え方も大きく変わる。「男性が加害者、女性が被害者」という性別の前提がなくなるほか、性交に類似する行為も、強姦罪として扱う。法改正時には「強姦罪」の呼称が変わる可能性が高い。

 また、18歳未満の子どもに対し、親などの生活を支える「監護者」が「影響力に乗じて」わいせつ行為や性交をすることを罰する罪も新設される。被害者が抵抗をしたかどうかに関係なく処罰でき、親による性的虐待などが対象になる。

 被害者の間には、監護者以外による強姦や強制わいせつ罪についても、「暴行や脅迫」という成立条件をなくし、抵抗の有無にかかわらず処罰できるように改めるべきだ、という声もある。しかし、有識者会議の時点で、「現行でも暴行や脅迫の程度は幅広く解釈されている」として、部会では議論の対象にならなかった。

 

http://www.asahi.com/articles/ASJ6J4PTZJ6JUTIL029.html

 

軍事と大学、防衛省公募に応募多数 ~ クィア・ポリティクスと齟齬のある事象、理論の信憑性

軍事と大学、縮まる距離 防衛省公募の技術に応募多数 朝日新聞

2016年6月12日

防衛装備品に応用可能な技術開発のため、基礎研究を委託、最大で年3千万円を拠出する――。防衛省が昨年度はじめたこの制度に、大学などの研究者が関心を寄せている。戦中に兵器開発に携わった反省を踏まえ、大学は軍事研究と距離を置いてきたが、研究費は先細り、両者の距離が縮まっている。

 防衛省が始めたのは「安全保障技術研究推進制度」。防衛装備品への応用を見据えた研究テーマを掲げ、大学や独立行政法人、企業らを対象に提案を募る。防衛装備庁が選定した上で、資金提供し研究を委託する。

 

大学の研究者などから109件の応募があった。同省は9件の研究を採択し、3億円の予算を配分した。

 

http://www.asahi.com/articles/ASJ6B51JPJ6BUTFK008.html

 

軍学共同研究 技術立国に逆行する 東京新聞

2016年5月18日

 学術研究や新技術の開発に防衛省が積極的に関与し始めた。軍事目的に有用となれば、研究成果はまず公開されない。研究成果は誰のものか。科学技術立国と矛盾しないのか。しっかりと考えたい。

 防衛省が大学や研究機関を軍学共同研究に熱心に誘い込んでいる実態が、本紙の調査で分かった。防衛省は予算を伴わない研究協力協定を二〇〇四年度に始めた。技術交流が目的で、複数年に及ぶ。一三年度は計十四件だったが、一五年度には計二十三件と急増した。

 

軍学共同研究の問題点は、成果が公表されないことだ。たとえば、情報収集衛星の画像は防災に役立つはずだが、公表に消極的だ。一般の研究成果も秘密になる可能性が高い。

 一五年度からは安全保障技術研究推進制度ができ、防衛省が直接、募集して研究費を配分し始めた。初年度はJAXA豊橋技科大などの九課題が選ばれた。

 第二次大戦の反省から、日本学術会議は軍事研究をしないと宣言した。民生用の研究に有能な人材が集まり、日本が奇跡的な成長を遂げる一因ともなった。

 

http://www.tokyo-np.co.jp/article/column/editorial/CK2016051802000145.html

 

軍事研究否定、見直し検討 年内に見解 毎日新聞

2016年5月21日

学術会議は1950年の総会で「戦争を目的とする科学の研究には絶対従わない」とする声明を決議。その後、日本物理学会の国際会議が米軍から補助金を受けたことが問題となり、67年の総会でも改めて「軍事目的のための科学研究を行わない」との声明を出した。

 しかし、昨年度から防衛省が防衛装備品に応用できる最先端研究に資金を配分する「安全保障技術研究推進制度」を始め、大学などの研究9件が対象に選ばれた。今年度から始まった国の「第5期科学技術基本計画」でも関連技術の研究開発推進が盛り込まれた。ロボット分野などで従来の原則に従うと研究を進めにくくなるとの指摘もあり、幹事会は防衛省文部科学省の担当者から意見を聴取し、検討委の設置を決めた。 

 

http://mainichi.jp/articles/20160521/k00/00m/040/126000c

 

主張/防衛省の研究助成/大学を軍事の下請けにするな しんぶん赤旗

2016年06月06日

 日本学術会議は、科学者が侵略戦争に協力した戦前への反省の上に、1950年と67年の2度にわたり「戦争を目的とする研究には従わない」声明を採択しました。この声明こそ、多くの大学が軍事研究を拒否する土台となっています。最近も広島大や新潟大、琉球大などが、「学問は平和のため」として防衛省の研究助成に応募しないことを確認しています。学術会議が大西会長の私見を追認し、これまでの声明の立場を事実上骨抜きにするようなことになれば、科学者を戦争国家の“しもべ”へと誘導することになり、学術界の自殺行為と言わなければなりません。

 防衛省は、デュアルユース(民生にも軍事にも利用可能な)技術だから民生分野でも活用されることを強調しています。しかし、スポンサーとして研究成果を活用するのは防衛省であり、その目的が軍事であることは明瞭です。実際、防衛省が研究助成で公募する20のテーマは、いずれも兵器開発に直結する研究です。例えば、「水中移動の抵抗軽減」や「音響・可視光以外の手法による水中通信」は、潜水艦の性能を高度化することに使われるものです。

 

http://blogos.com/article/178376/ 

 

 医学関係団体 軍事研究容認に反対「過ち再びたどる」 毎日新聞

2016年6月8日

 

日本の科学者の代表機関「日本学術会議」が軍事研究を否定する声明の見直し検討を始めたことを受け、医学関係者らでつくる団体「戦争と医の倫理の検証を進める会」は8日、東京都内で記者会見し、歴史を踏まえて声明を守るよう訴えた。

 

同会は、第二次大戦中に細菌兵器開発や人体実験をした旧日本軍の秘密機関731部隊の検証に取り組んできた。西山氏は「関与した医学者や医師らはデータ供与と引き換えに米国から免責され、事実は隠されたままだ」と指摘。「731部隊の問題には軍事研究が行き着く全てが含まれている。学術会議の動きは過去の過ちへの道を再びたどるものだ」と批判した。

 

http://mainichi.jp/articles/20160609/k00/00m/040/055000c 

 

【関連】

子どもへの性的虐待と社会的関心の焦点

西澤哲『子ども虐待』(講談社現代新書)より

第1章でも述べたように、世界のどの国やどの社会においても、子どもへの虐待が問題視され、その対応が講じられていく際には、まず、身体的虐待が問題とされ、その後、ネグレクト、性的虐待、そして心理的虐待の順に社会的関心の焦点が移行していくと言われている。


先に述べたように、「性的虐待」の問題に、少なくとも現時点において、日本社会はきちんと向き合っていない。日本が性的虐待の問題をいまだに的確に認識できていないことは、統計にも反映されている。
たとえば、2008年度の全国児童相談所への虐待関係の通告件数の総数は4万2664件であったが、そのうち性的虐待に関する通告は約1324件であり、全体に占める割合は3パーセントで、欧米の先進各国の統計に比べると、日本はひと桁違っている。


かつて「日本人は欧米人に比べて子どもに対して性的関心を持つことが少ないため、日本では性的虐待が少ないのだ」という説明がなされていた、しかし、いわゆる援助交際と呼ばれる現象、子どもに対する性犯罪の現状、子どもポルノの巨大なブラックマーケットの存在などを考えると、この主張は意味をなさないように思われる。性的虐待の通告件数の相対的低さは、おそらく、過小評価とそれにともなう過小報告の結果であると思われる。日本の社会は、いまだに、子どもの性的虐待という問題を的確に認識できていないと言えるだろう。


これも先に述べたが、性的虐待を受けている子どもの年齢別の分布は、欧米では、6歳頃の就学期、12歳頃という二つの峰を持つことになる。また、米国の統計によれば、性的虐待を受けた子どもの年齢分布では、8歳が中央値になる(つまり、年齢が8歳よりも高い子どもと低い子どもが同数いる)。思春期年齢未満の子どもも、かなり多く性的虐待の被害を受けていることがわかる。


これに対して、日本の性的虐待を受けた子どもの年齢別分布は、12歳頃の子どもをピークとした一峰性(単峰性)にしかならない。つまり、思春期以前の峰が存在しないという特徴を示している。
すなわち、日本では、思春期年齢未満の幼い子どもの性的虐待が見落とされている可能性が非常に高いということになる。

 


後からわかったケースは統計に反映されない

 

著者は、日頃、虐待を受けて家庭から分離された子どもが多く生活する児童養護施設で、子どものケアにかかわっている。こうした児童養護施設には、家庭で父親などから性的虐待の被害を受けた子どもが多く生活しているが、彼らに性的虐待の被害経験があることが判明するのは、施設に入所して以降であることが多い。むしろ、児童相談所がかかわっている時点では明らかになっていく事例のほうが圧倒的に多い。


しかし、施設入所後に性的虐待がわかったとしても、あとから児童相談所のデータが修正されることはない。したがって、先に述べた児童相談所への通告件数には、事後に判明した性的虐待の事例は反映されていない。
しかも、施設入所後にその被害が明らかになる事例の大半は、子どもが幼児から小学校低学年という年齢帯、つまり、思春期前の被害なのだ。このように、日本では、性的虐待は過小評価、過小報告という状況にあり、また、思春期以前の年齢帯の子どもに特にその傾向が顕著であると推測できよう。

 

 p.112-114

  

子ども虐待 (講談社現代新書)

子ども虐待 (講談社現代新書)

 

 

【関連】

学問権威維持のテクニックとセクシャルハラスメント被害者選びのテクニック

柴田朋『子どもの性虐待と人権 社会的ケア構築への視座』(明石書店)より

本書において、運動家による「主張」と知覚される書き方・様相の部分がある。運動家としての「主張」は「主観」に属し、本社会問題の対処法・処方箋としての記述様相は、「中立性」「客観性」に属すると解釈される傾向がある。

 

この客観・主観という二項対立のヒエラルキーを土台として、「中立性」「客観性」という概念が、社会問題の分析を含めた言説の、学術度の判断基準として機能する傾向が見られる。学問の歴史において、そのヒエラルキーの、明示されない構築目的として、学問権威の維持が挙げられよう。

つまり、中立性、客観性という概念が、学問権威維持のテクニックとして、学問言説において偏在的に機能している。子どもに対する性虐待という、権威主義から派生する、重篤な人権侵害の批判と対処を目的とする言説の様相・形態は、権威主義から派生する学問言説の様相・形態から決定的に異なるために、客観性と学問的信頼性に欠けた言説の様相・形態として判断・認識される。


客観性・中立性という概念は、真実の希求を目的として発動すべき概念であって、学問権威の構築・維持目的として、発動すべきではないのである。また、学問に関する言説において、「客観的学問言説」と「主観的運動家の主張」が二項対立化し、ヒエラルキー化される構図・事態・学術的無意識を問題化するべきであろう。
北米フェミニストの法理学者キャサリン・マッキノンは、客観性について次のように述べる。

 

”客観性は、自己の社会観から派生した社会を反映し、その社会観と、その社会観との関係性を合理と名づけながら、自己を正当化する。合理とは、主観的視点の無さによって計られ、既存の社会のあり方をそのまま反映してこそ、合理と見なされる。この手法で、実践的合理性とは、何も変えずにしてなされるあり方を意味する。”*1


ここでの「合理」は、社会科学言説における、「中立性」にもあてはまるだろう。中立性とは、主観的視点の無さによって計られ、社会科学言説において、既存する人間社会の在り方・様相(重篤な社会問題を含める)をそのまま反映した言説こそ、「中立」とみなされる。

この手法で、中立性とは、子どもに対する性犯罪等、今現在この社会に実在する、重篤な社会問題を何も変えずにしてなされる在り方を意味する。つまり、社会科学言説・研究における中立性の希求は、社会における人間の物象化・虐待・人権侵害を放置し、助長する結果を、不可視的、そして制度的に生み出すのである。

 

p.10-12 

 

 「普通」の男性は、養育期全般にわたって親からの充分なケアと指導があったために、フロイトの言う超自我を発達させ、権力(児童期は親で、後に市民社会及び、司法を含めた国家権力)からの期待に沿う自己観察に従って、秩序と規律に従順に行動する直感・本能を児童期から育んできた。

そのため、「普通」の男性ほど、どの(事実認定が司法等にとって難しくなるような)状況でどの人(障害者、子ども等)を標的にしてどの程度の性暴力を遂行したら、被害者の抵抗を容易に阻止でき、証拠の跡を残さず、あるいは隠蔽できる(子どもであれば、犯罪の意味を理解しない)かを、本能的に見極める狡猾な感覚的機能がある。

よって、この「自己コントロール」機能を備えて、「秩序と規律」に従って行動できる「普通」の男性ほど、権力(ここでは司法権力)の視界領域外で、計算高く性暴力を遂行できるため、実際遂行しても何の咎めの受けずにいることができる。


p.47

 

 アメリカの首都ワシントンで、長年性暴力被害者支援に携わってきた、ワシントン市強姦救援センター長のマーサ・ラングレン氏は、『どうセクシャルハラスメントを阻止させるか』という本で、性暴力者は性暴力を遂行する前に、被害者選びテストを行うと言う。

つまり、性暴力を遂行する前に、まず何人かの女性に非常に近くまで寄っていったりして、すぐに逃げたり抗議したりせずに、何もできずに凍りつく女性を探すのである。こういった被害者選びのテクニックは、痴漢がよく使うと警察庁のホームページにも以前記載された。


(中略)


また、「普通」の男性(及び場合によっては女性)は、被害者、場所、時間、状況を計算高く選び、少なくとも直接的な証拠を残さないように性暴力等のハラスメントを遂行するために、司法関係者や、会社、大学等の組織内での管理職者やハラスメント防止委員会にとって、事実認定を難しくさせる。性暴力その他の暴力(「いじめ」を含める)を遂行する多くの「普通」の人は、前記の被害者選びのテクニックで深い心的外傷を負っている児童性虐待等の被害者を狡猾に選ぶため、警察、弁護士等の、被害者がまず先に相談する司法関係者や、組織内の管理職者やハラスメント防止委員会にとってみれば、被害者の精神的信頼性を疑いたくなる。

 

例えば、同一人物があまりに頻繁に被害を訴えているようであれば、本当に被害に遭っているのかと疑うようになる。事実認定が困難であれば、事件として認識するより、被害を訴える人の精神的信頼性を疑った方が、事件処理がずっと楽である。

こうやって、児童性虐待被害者を標的にしたら、何の咎めも受けずにすむという、法の抜け穴が作られるのである。そして、この法の抜け穴を、性暴力者たちは見抜いているようで、児童性虐待サバイバーたちは、性暴力、その他の暴力の標的に、その類の被害に遭っていない女性の二倍以上の確率で遭っているという報告が、社会学者ダイアナ・ラッセルによってされている。

 

p.115-116

  

子どもの性虐待と人権

子どもの性虐待と人権

 

 

【関連】

*1:Catharine MacKinnon, Toward a Feminist Theory of the State

彼らは成人が名乗り出ているのを見ているのであって、忌むべき行為がなされた子どもとは見ていない……そして私たちはそれを許してしまった

ボストン・グローブ紙《スポットライト》チーム[編]『スポットライト 世紀のスクープ カトリック教会の大罪』(有澤真庭 訳、竹書房)より

「私の知る修道女は全員、教会のねずみに負けないくらい貧しかった。一方で司祭は、キャディラックを乗り回していた。修道女たちは健康保険さえろくに入れないという記事を読んで、不平等さに猛烈に腹が立ったのを覚えている」


1978年に地方検事に初めて選ばれたあと、バークは虐待事件について話しあうため、地元のモンシニュールを訪ねた。その時のことをこう語る。
「彼はいい人物でした。私を昼食に誘ってくれ、教区司祭館のなかは、それは豪華でした。高価な陶器とパリっとした白いリネンの整ったテーブルに着いたモンシニュールが、何かを所望するたび小さな銀の鈴を鳴らして、召使いよろしく年寄の家政婦が足を引きずって入ってくる。私がまじめな議論を試みるたび、モンシニュールは鈴を鳴らし、小柄な老女がやってきては彼の勝手気ままな要求に応えていた。席についたまま、私は司教たちが自分たちに科した生活レベル、暮らしぶりの豪華さに目を瞠り、さらには彼らにそんな特典を許したのは我々信徒であり、誰も『おい、それは間違ってるぞ。こいつらはこんな風に暮らすべきではない。尼僧たちは健康保険すら入っていないのに』と言わないことに、呆然となっていました。だが私がその日、鈴を鳴らし続けるモンシニュールのかたわれで悟ったのは、教会のヒエラルキーが、どれほど雲の上のものとなってしまったかでした。彼らは孤立して暮らし、完全に一般信徒の暮らしと切り離されてしまった。そして私たちはそれを許してしまった」

 

(中略)

 

2000年、教会の臨時雇いで、最終的に20人以上の子どもをレイプしたり、いたずらをした罪を認めたクリストファー・リアドンを、バークの事務所が起訴した。
「教会は、協力的とはほど遠かった、控え目に言えば。だが私を本当に打ちのめしたのは、大司教区とのやりとりで、彼らが被害者をこれっぽっちも気にかけていなかったことです。虐待で人生がひっくり返ってしまった年少者たちへの、ほんのささいな気づかいひとつなかった。あとから思えば、教会の指導者たちが、自らの道義的責任を果たし損なったことに慄然とします。現在、大司教区は協力的だ。だが彼らは、世間の反応を感じとっていたからで、子どもたちに悪いと思ったからじゃない。捕まったことを悔やんでいたんです。枢機卿と他の面々が一度でも本当に、自分たちの相手が子どもだということがわかっていたとは思えません。今でも見えていないでしょう。彼らは成人が名乗り出ているのを見ているのであって、忌むべき行為がなされた子どもとは見ていない」


教会のヒエラルキーが、性的虐待被害者への同情に欠けていたのは、司教たち──鈴鳴らしのモンシニュールのような──が、完全に浮き世離れしていたことの証拠に、バークは思えた。レイリー検事総長も、ロウ枢機卿がゲーガンに宛てた「神の恵みを、ジャック」のへつらった手紙を読んだとき、同じ結論に達した──「枢機卿は被害者に、あのような手紙は書かなかった」。


まさしく、ロウと大司教区が虐待司教を甘やかす一方、被害者を厄介者扱いする徹底ぶりに、レイリーは心底ぞっとしたと言った。
「本当にむかつくのは、彼らに比らべれば、とるに足らないことをした人々に、教会がどれほど冷酷かつ不寛容だったか、知っているからだ。離婚したカトリック教徒を賤民扱いし、教会での再婚を許さない彼らを見てみたらいい。ゲイの人々にどれほど不寛容で手厳しいか、見るといい」


72歳の修道女、シスター・ジャネット・ノーマンディンが二人の少年を洗礼したため、ボストンの南端にある受胎告知教会のイエズス会アーバン・センターから追放されたという記事を、レイリーはニ年前に読んで覚えている。教会法は、司祭または許可を受けた助祭──唯一絶対的に男性──のみが洗礼式を挙げられると定め、シスター・ノーマンディンに二度目のチャンスは与えられなかった。

「人生を教会に捧げた尼僧だぞ」レイリーはそう息まく。「ひるがえって、彼らが子どもをレイプした司祭の扱いを見てみろ。我々は『虐待』というい言葉を使う。穏当な、当たり障りのない言葉だ。多くの場合、虐待ではない。レイプだった。彼らは子どもたちをレイプしていたんだ。憤りはどこに? 道徳上の怒りは? 教会の不寛容と偽善が、その中心にある。これらすべてが私をぐつぐつ煮え立たせるんだ。子どもたちをレイプした者を隠蔽し、他者を容赦なく断罪する、その偽善ぶりに、ただただ恐れ入るよ」

 

p.201-204 

  

スポットライト 世紀のスクープ カトリック教会の大罪

スポットライト 世紀のスクープ カトリック教会の大罪

 

 

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